平成ゴジラパーフェクションの企画立ち上げの話
3.11で思い出す事の一つに「平成ゴジラパーフェクション」の企画立ち上げの頃だった…という事があります。
2月に川北監督から話を持ちかけられ、アスキー・メディアワークスに私が交渉。今までこういったゴジラ関係のムックを出版していない所の方が、新しいゴジラ本を検討してくれるのではないか…という私の個人的な考えで、アスキー・メディアワークスに話を持ちかけさせてもらったのです。羽沢組としてのおつきあいも長くさせていただいているというのもあります。
提案書を用意しメールや電話で何度かやり取り。前向きな返事をいただくまでに実はほぼ1ヶ月かかったのです。その間「どうなったー?」「進んでるのかー?」と何度か監督からも言われました。不安なお気持ちにさせてしまったと思います。
平成ゴジラとしては後発の書籍となるのでハードルは低くはありませんでしたが、どうやったら出版を決断してもらえるかを考えていました。当たり前の理屈の多い企画書を用意するより、簡単に理解してもらえるようにビジュアルで見せるべく、基本となるデザインフォーマットも私の独断で作りました。「とりあえず話を聞く」ではなく「前向きな出版の検討」でなければ監督に会っていただく事はできないと思っていたので、この時点ではまだたった一人で動いていた訳です。
そしてようやくこちらの思いを理解してもらい、一回目の具体的な打ち合わせが3月半ばに決まってほっとしていました。そしてデザインフォーマットもほぼできて安心していたのが3.11の頃でした。
そして3.11。
震災の数日後、被害規模が想像以上に大きかった事で、打ち合わせの日程を延期しようと川北監督と話した事は今も忘れません。
原発事故がありましたので、「放射能」とは無関係ではないゴジラを取り上げる事への影響を心配しました。特に『ゴジラVSデストロイア』では「放射能」「核分裂」「メルトダウン」といった用語が登場しますから。これらの心配は、おそらく監督もそうだったのではなかったでしょうか。
企画がなくなる事もそうですが、ゴジラそのものへの「不謹慎」といういわれのない批判を受ける事への心配もあった事は確かです。考え過ぎと言われるかもしれませんが、私としては「川北紘一」のお名前に傷をつけちゃいけないという思いも少なからずともあったのです。
まだ本の名称も決まっていない企画段階でしたが、一人で勝手にプレッシャーをかかえていたのは確かでした。
その後「平成ゴジラパーフェクション」は無事に昨年2月に発売され、今だからこうして当時の事を話せますが、あの頃はそれまでに経験のなかったいろいろな複雑な思いがありました。きっと言葉では表せないあの時の気持ちはずーっと忘れないんでしょうね。
3.11で思い出す事の一つに「平成ゴジラパーフェクション」の企画立ち上げの頃だった…という事があります。
2月に川北監督から話を持ちかけられ、アスキー・メディアワークスに私が交渉。今までこういったゴジラ関係のムックを出版していない所の方が、新しいゴジラ本を検討してくれるのではないか…という私の個人的な考えで、アスキー・メディアワークスに話を持ちかけさせてもらったのです。羽沢組としてのおつきあいも長くさせていただいているというのもあります。
提案書を用意しメールや電話で何度かやり取り。前向きな返事をいただくまでに実はほぼ1ヶ月かかったのです。その間「どうなったー?」「進んでるのかー?」と何度か監督からも言われました。不安なお気持ちにさせてしまったと思います。
平成ゴジラとしては後発の書籍となるのでハードルは低くはありませんでしたが、どうやったら出版を決断してもらえるかを考えていました。当たり前の理屈の多い企画書を用意するより、簡単に理解してもらえるようにビジュアルで見せるべく、基本となるデザインフォーマットも私の独断で作りました。「とりあえず話を聞く」ではなく「前向きな出版の検討」でなければ監督に会っていただく事はできないと思っていたので、この時点ではまだたった一人で動いていた訳です。
そしてようやくこちらの思いを理解してもらい、一回目の具体的な打ち合わせが3月半ばに決まってほっとしていました。そしてデザインフォーマットもほぼできて安心していたのが3.11の頃でした。
そして3.11。
震災の数日後、被害規模が想像以上に大きかった事で、打ち合わせの日程を延期しようと川北監督と話した事は今も忘れません。
原発事故がありましたので、「放射能」とは無関係ではないゴジラを取り上げる事への影響を心配しました。特に『ゴジラVSデストロイア』では「放射能」「核分裂」「メルトダウン」といった用語が登場しますから。これらの心配は、おそらく監督もそうだったのではなかったでしょうか。
企画がなくなる事もそうですが、ゴジラそのものへの「不謹慎」といういわれのない批判を受ける事への心配もあった事は確かです。考え過ぎと言われるかもしれませんが、私としては「川北紘一」のお名前に傷をつけちゃいけないという思いも少なからずともあったのです。
まだ本の名称も決まっていない企画段階でしたが、一人で勝手にプレッシャーをかかえていたのは確かでした。
その後「平成ゴジラパーフェクション」は無事に昨年2月に発売され、今だからこうして当時の事を話せますが、あの頃はそれまでに経験のなかったいろいろな複雑な思いがありました。きっと言葉では表せないあの時の気持ちはずーっと忘れないんでしょうね。