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豊穣の海

2015年06月09日 | 趣味日誌


マーガリンは
高価なバターの代替品として
誕生しましたが

トランス脂肪酸

が含まれていることから
アメリカではマクドナルドを始めとした
外食産業でマーガリンの1種である
ショートニングの使用が禁止されています。


マーガリンは
健康面に関して

「少量なら大丈夫」
「植物性油脂だから安全」


とも言われたりしますが
マーガリンの最大手メーカー
ユニリーバが 同社の製品である

「ラーマ」

にバターを加えて
販売するようになりました。


ユニリーバは
今までに段階的にマーガリンの
トランス脂肪酸を減少させ、
オメガ-3脂肪酸を加えてきました。

あわせて
コレステロールの減少のために
植物ステロールを加えるなど
改善をすると同時に
マーガリンを
健康的な食品として位置づけ
マーガリンの長所キャンペーンを
行いました。

その際
人々にバターの摂取量を
制限するように訴えかけていました。


しかし
ある調査によると
2013年のドイツでは
マーガリン1個に対してバター3個が
売れているというデータがあり
さらに
アメリカ政府のデータによると、
1人あたりのバター消費量は上昇を続ける中
マーガリンの消費量は過去70年の中で
最低記録を記録したというデータもあります。


その結果
ユニリーバはバターの位置づけを
大きく改めることとなりました。





ちなみに
BMJ(ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル)の

「飽和脂肪と心臓疾患」

によると
マーガリンに含まれるトランス脂肪酸は
心臓疾患になる危険性を増加させますが
バターに含まれる飽和脂肪は
心臓疾患の発症に直接の因果関係がない
という研究結果を発表しています。

どうやら
マーガリンは
食品としては問題がありそうです。




▲ラーマヤナ



ところで
ここに出てきた
「ラーマ」という名称ですが
Webで検索してみると
以下のような標記がありました。

***************************************
インドの大叙事詩
『ラーマーヤナ』
の主人公。ビシュヌ神の第7の化身として
広くインドから東南アジアにわたって
崇拝されている。
コーサラ国の都アヨーディヤーの王
ダシャラタの長子として生れ
ジャナカ王の娘シーターを妻とする。
***************************************

なんだか舌を噛んでしまいそうな
名前がたくさん出てきますが

神の化身

ということですから
深い信仰の対象だということが
伝わってきますね。


実は昭和21年(1946年)の今日
タイの国王であるラーマ8世の

ラーマ8世崩御事件

が発生しています。


▲ラーマ8世


ラーマ8世は
昭和20年(1945年)に
第二次世界大戦が終結するとともに
スイスでの学業を終え、タイに帰国しました。

昭和21年(1946年)6月9日の朝
ボーロマピマーン宮殿の
自身の寝室で額から後頭部にかけて
銃弾が貫通する形で死亡。
傍らには自動拳銃が落ちていました。
第一発見者の侍従の証言を要約すれば

「午前9時20分頃
中から銃声が聞こえた。
侍従が中に入ってみると
ラーマ8世がベッドの上で
頭から血を流していた」


とのこと。
詳細は今日でも
闇の中にあるようです。





さて
ラーマに関する考察が
食べ物から人物へと
拡がってしまいましたが
さらに飛躍して
三島由紀夫の最後の長編小説

『豊饒の海』
(ほうじょうのうみ)

にも
のラーマ5世の息子
が登場していることを
思い出しました。



▲三島由紀夫


この作品は
『浜松中納言物語』を典拠とした
夢と転生の物語で
『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』の
全4巻から成っています。


今からもう
40年近く前になりますか、
辞書を片手に三島の難解な文章を
深夜、一生懸命読んでいた頃が
ありました。


使われている漢字の意味が判らず
止まっては辞書を引き
読み進めるという、今から思えば
学生時代は時間があったなあ
とつくづく感じます。


この歳になって
小説を壱から読むことは
少なくなりましたが
『豊穣の海』は
今からでも読み返してみたいと感じる
作品のひとつです。


ちなみに
第4巻『天人五衰』の末尾には
以下の日付で終わっています。

********************************

『豊穣の海』完。
昭和四十五年十一月二十五日


********************************



この末尾に記された日付け
昭和45年11月25日は
彼が市ヶ谷で割腹自決した日です。

つまり
この日付けが事実であるなら
三島由紀夫は、その日の早朝か未明に
この小説の最後の部分を
書き上げたのだと思われます。



▲昭和45年11月25日朝日新聞


三島由紀夫は
自決や小説から
何が伝えたかったのでしょうか?

国会で
安全保障の机上論が飛び交う今日
今一度振り返り
考える時期に来ているように
思えてなりません。


◎感謝
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