6月になりましたね。
令和3年ももう半分近く経過したんですね。
こないだまで寒い日が続いていた記憶も
6月に入り、いきなり真夏日になりました。
本格的な夏の入り口でしょうか。
最近
リアルな夢をよくみます。
夢のなかの出来事を
翌朝覚えていることが多いのは
しっかり睡眠がとれていないと言われますが
今朝の夢は場面の記憶ではなく
言葉の捉え方の関する
メッセージのような内容でした。
それは
いのち
とは何かという問いかけから始まりました。
人間は
ひとりひとりが
魂という名のいのちを「所有」していて
死によって魂は本来居たふるさとへ戻る
という物語を信じさせられています。
あるいは
死んだあとは再び赤ん坊として生を得て
新しい人生において
また新たな学びが始まるという、所謂
輪廻転生
という概念を信じている方も
少なくないと思います。
これらはすべて
「概念」であって
「真実」はどうなのか?
日々の生活で忙殺され
いのちに関する問いを
真剣に考える時間もない昨今の風潮に
宗教者や科学者が警鐘を鳴らしていますが
今一つはっきりとした答えが得られないのは
概念で生きているということすら知らない
わたしたちの限界なのかも知れません。
わたしたちの存在は
樹木に茂る一枚の葉っぱのような存在です。
風に吹かれ、雨に打たれ
時には虫に喰われてズタズタにされてしまう。
太い幹や枝に繋がれて
逃げようにも身動きが取れません。
絶望的な日々を過ごすしかない存在です。
しかし
一枚一枚異なる個性を持った葉っぱは
樹木の一部なわけで
よく観察してみると
わたしは太く力強い
大樹そのもの
でした。
さらに観察をすすめていくと
大樹だと思っていたわたしは
大樹を養っている
大地そのもの
だったことを知らされます。
そうやって
観察をすすめていくと
なんのことはない
わたしは
宇宙そのもの
だった。。。。。
そこで眼が覚めました。
わたしたちは今この瞬間
同じいのちを生きている
ワンネスとはこのことなのかという
大きな気づきに包まれました。