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あなたの誕生日は?
と聞かれて答えられない人は
ほとんどいないと思います。
母親から
生まれた瞬間の時間まで
教えてもらっている人も
少なくないかも知れません。
換言すると
誕生日というのは
母親から切り離された記念日
とも言えるわけで
すべての人に共通した事実が
そこにあります。
しかしながら
誕生日について
よくよく観察してみると
切り離される前には当然
母親の胎内にいたわけですから
誕生日=生命の発生日
ではありません。
であれば
生命の誕生はいつなのかと
疑問が湧いてきます。
心臓の鼓動が始まった瞬間?
受精の瞬間?
卵子、精子が生まれた瞬間?
どんどん時を戻して観察すると
限りなく過去へと進んでいきます。
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すると
結局のところ
わたしが生まれた瞬間など
どこにも見当たらない。
魂が両親を選んでやってくる
ということが、もしあるのであれば
どのタイミングなのか。
それが
生命の誕生とも
言えなくはないのでしょうか
あくまでも概念上での解釈になります。
誕生日の「誕」は
誕る(いつわる)という意味です。
誕生日とは
本当のわたしが生まれたことを
示した日ではありません。
つまり
だれも生まれたという事実を知らないまま
今この現実の中で存在しているという
驚くべき真実にたどり着きます。
にもかかわらず
今この瞬間もリアルな存在として
肉体もあり思考もあるという矛盾した存在が
このわたしです。
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このあたりのことは
生まれてもないから死ぬこともない
と禅問答でよく耳にするフレーズです。
わたしという
矛盾を抱えた不思議な存在は一体何なのか?
しっかりと
味わってみる必要がありそうです。