🍀後ろ姿のよい人こそが本物🍀
孔子から高く評価され、後継者と目されながらも早世した高弟の顔回(がんかい)が、生前、
「之(これ)に従わんと欲すといえども、由なきのみ」
と、ため息をついた場面が『論語』に出てきます。
師である孔子の至った境地が、仰げば仰ぐほど高く、
自分の才能のあらん限りを尽くして後に従っていこうと思っても、
どうにも手立てがないというのです。
孔子という人は、幼い頃に父親を失い、貧しい中で学の道を志します。
生活のために様々な技術を身に付けたとも述べていますが、
そうした苦労を通じて徳が備わったのでしょう。
人は孔子に接すると、おのずからそれに近づき、教えをこいたいという思いに駆られたといいます。
人間の魅力というのは実に不思議なもので、
決して意図してつくられるものではありません。
しかし、その人の心掛けによって内面が充実してくると、
おのずと外ににじみ出てくるものでもあるようです。
魅力は顔や動作にも現れますが、最も端的に現れるのが背中です。
後ろというのは意識外のものです。
いくらお化粧して自分を取り繕っても、背中だけは、誤魔化すわけにはいきません。
後ろ姿のよい人、それこそが本物といえましょう。
それを形に表したのが、お寺に祀られている仏像の光背(こうはい)です。
後から発する光によって、ひと言も発しなくとも、
そこへやってくる人に影響を及ぼします。
ちなみに、菩薩(ぼさつ)というのは腕輪や指飾り、耳飾りなどでいろいろ飾り立てをして、
こちらの目を引いたところで仏の道を説きます。
そうしたテクニックを使わず、何も身に付けずに
ただじっと座っているだけで人に影響及ぼすのが如来(にょらい)です。
人間には、何遍あっても顔も思い出せないような人がいる一方で、
ことさらに言葉や動作を弄(ろう)することがなくても、
その人がそこにいるだけでちゃんと周囲が立派に治まっていくような人があります。
孔子という人は、そういう人間的魅力が横溢していた人であったようです。
孔子がいかにしてそうした人間的魅力を涵養(かんよう)したかということについては、その言葉から窺うことができます。
「子曰わく、賢を見ては斉(ひと)しからんことを思い、
不賢を見ては内に自ら省みるなり」
(先師が言われた。知徳兼備の優れた人を見たら、自分もそのようになりたいと思い、
つまらない人を見たら、自分はどうかと内省する)
孔子は、相手が賢人であっても、愚か者であっても、
すべてを我が師として学んでいったのです。
偉い先生に高い月謝を払って学ばなくても、
本人さえその気になれば、すべての人が自分を導いてくれる先生になり得ることを示唆しています。
孔子は、これと相通ずることを次のようにも述べています。
「子曰わく、三人行えば、必ず我が師有り。
其の善き者を選びって、これに従い、
其の善からざる者にして之を改む」
(先師が言われた。三人が行動をともにしたら、必ず自分の先生になるものがいるものだ。
そのよい者を選んで素直に従い、悪い者を見ては、反省して自ら改める)
作家の吉川英治さんが、
「我以外皆我師(われいがいみなわがし)」
を座右の銘とされていたことは有名です。
家庭の事情から小学校中退という学歴しかなかった吉川さんは、
あらゆるものから学んで数々の名作を生み出し、国民作家と謳われるまでの大家となりました。
ちなみに、その吉川さんが敬服していたのが安岡正篤先生であり、
安岡先生から学んだことをもご自身の作品に思い切って取り入れたようです。
さて、孔子の言葉をもう一つご紹介しましょう。
「子曰わく、我は生まれながらにして之を知る者に非(あら)ず。
古(いにしえ)を好み、敏にして之を求めたる者なり」
(先師が言われた。私は、生まれながらに道を知る者ではない。
古聖の教えを好み、進んで道を求めた者である)
分からないことを尋ねに行くと、たちどころに解答を与えてくれる孔子のことを、
「あの人は特別だ。生まれながらにして特殊な頭脳を持っているのだ」
と、囁く人もいました。
しかし、孔子はそれを否定し、
努力によって身につけた者であることを説いたのです。
不遇の中でもひたすら己を磨き続けた孔子にならい、
各々の立場で、たとえ一二歩歩でもでも、
自分を高めるべく努力を重ねてまいりたいものです。
(「致知10月号」伊與田覺さんより)
孔子から高く評価され、後継者と目されながらも早世した高弟の顔回(がんかい)が、生前、
「之(これ)に従わんと欲すといえども、由なきのみ」
と、ため息をついた場面が『論語』に出てきます。
師である孔子の至った境地が、仰げば仰ぐほど高く、
自分の才能のあらん限りを尽くして後に従っていこうと思っても、
どうにも手立てがないというのです。
孔子という人は、幼い頃に父親を失い、貧しい中で学の道を志します。
生活のために様々な技術を身に付けたとも述べていますが、
そうした苦労を通じて徳が備わったのでしょう。
人は孔子に接すると、おのずからそれに近づき、教えをこいたいという思いに駆られたといいます。
人間の魅力というのは実に不思議なもので、
決して意図してつくられるものではありません。
しかし、その人の心掛けによって内面が充実してくると、
おのずと外ににじみ出てくるものでもあるようです。
魅力は顔や動作にも現れますが、最も端的に現れるのが背中です。
後ろというのは意識外のものです。
いくらお化粧して自分を取り繕っても、背中だけは、誤魔化すわけにはいきません。
後ろ姿のよい人、それこそが本物といえましょう。
それを形に表したのが、お寺に祀られている仏像の光背(こうはい)です。
後から発する光によって、ひと言も発しなくとも、
そこへやってくる人に影響を及ぼします。
ちなみに、菩薩(ぼさつ)というのは腕輪や指飾り、耳飾りなどでいろいろ飾り立てをして、
こちらの目を引いたところで仏の道を説きます。
そうしたテクニックを使わず、何も身に付けずに
ただじっと座っているだけで人に影響及ぼすのが如来(にょらい)です。
人間には、何遍あっても顔も思い出せないような人がいる一方で、
ことさらに言葉や動作を弄(ろう)することがなくても、
その人がそこにいるだけでちゃんと周囲が立派に治まっていくような人があります。
孔子という人は、そういう人間的魅力が横溢していた人であったようです。
孔子がいかにしてそうした人間的魅力を涵養(かんよう)したかということについては、その言葉から窺うことができます。
「子曰わく、賢を見ては斉(ひと)しからんことを思い、
不賢を見ては内に自ら省みるなり」
(先師が言われた。知徳兼備の優れた人を見たら、自分もそのようになりたいと思い、
つまらない人を見たら、自分はどうかと内省する)
孔子は、相手が賢人であっても、愚か者であっても、
すべてを我が師として学んでいったのです。
偉い先生に高い月謝を払って学ばなくても、
本人さえその気になれば、すべての人が自分を導いてくれる先生になり得ることを示唆しています。
孔子は、これと相通ずることを次のようにも述べています。
「子曰わく、三人行えば、必ず我が師有り。
其の善き者を選びって、これに従い、
其の善からざる者にして之を改む」
(先師が言われた。三人が行動をともにしたら、必ず自分の先生になるものがいるものだ。
そのよい者を選んで素直に従い、悪い者を見ては、反省して自ら改める)
作家の吉川英治さんが、
「我以外皆我師(われいがいみなわがし)」
を座右の銘とされていたことは有名です。
家庭の事情から小学校中退という学歴しかなかった吉川さんは、
あらゆるものから学んで数々の名作を生み出し、国民作家と謳われるまでの大家となりました。
ちなみに、その吉川さんが敬服していたのが安岡正篤先生であり、
安岡先生から学んだことをもご自身の作品に思い切って取り入れたようです。
さて、孔子の言葉をもう一つご紹介しましょう。
「子曰わく、我は生まれながらにして之を知る者に非(あら)ず。
古(いにしえ)を好み、敏にして之を求めたる者なり」
(先師が言われた。私は、生まれながらに道を知る者ではない。
古聖の教えを好み、進んで道を求めた者である)
分からないことを尋ねに行くと、たちどころに解答を与えてくれる孔子のことを、
「あの人は特別だ。生まれながらにして特殊な頭脳を持っているのだ」
と、囁く人もいました。
しかし、孔子はそれを否定し、
努力によって身につけた者であることを説いたのです。
不遇の中でもひたすら己を磨き続けた孔子にならい、
各々の立場で、たとえ一二歩歩でもでも、
自分を高めるべく努力を重ねてまいりたいものです。
(「致知10月号」伊與田覺さんより)