🌸必要なものにしてあげる🌸
僕の仕事は、自分の活動や作品を皆さんに見つけてもらわないことには始まらない。
どれだけ腹を痛めて生んでも、観客がゼロなら、生んだ歴史ごと抹殺されてしまう。
とにもかくにも、見つけてもらわないと始まらない。
なので、作品を生んだら、お客さんの手元に届くまでの導線をデザインする必要がある。
もともとは「僕は作品を生む人間、それを届けるのは…」と、届ける仕事を吉本興業や出版社に一任していたんだけど(だって、そのほうがカッチョイイから)、
ある時、「生むだけ生んで、あとは任せる」というのは、
どこか"育児放棄"な気がしてしまい、
届けることまで責任を取ろうと決めた。
流通やお金のことなど、作り手があんまり口にしたくないことも口にしていこう、と。
我が子を生かすためなら、泥水でも何でも飲む。
まぁ、親の務めだよね。
僕は絵本を作っているので、ここでは僕が自分の絵本を売るために、
どういう動きをしているのかをお話ししようと思う。
さっきも書いたけど、もともと「作品を届けるには僕の仕事ではない」と思っていて、
「俺は作家だぁ!アチョー!」と吠えながら、100万超えの大ベストセラーになる予定で描いた絵本は、
1作目、2作目とも、売り上げは2万〜3万部に留まった。
「絵本で2万〜3万部も売れたらすごいよぉ〜」てなことを言われたりもするんだけれど、
僕としては100万部超えを予定していたので、その落ち込みようは凄まじかった。
そんなこんなで、3作目。
さすがに3作目と思なると、
「良い作品を作ったら売れる」という幻想は完全に消え去り、「作ったからには届けるところまで責任を取らなきゃだめだ」
と、ついに観念し、そこから親の自覚が芽生え始めた。
さて、どうやって作品を売るか?
まず、皆や自分が
「何を買い、何を買わないか」、
そこから考えてみることにした。
僕も皆も、米や水やトイレットペーパーやシャンプーは迷わず買うが、
小説やDVDやライブチケットを買うのは渋ってしまう。
「買う・買わない」の違いは明確で、
必要なものは買うし、必要じゃないものは買わないのだ。
作品は生きていく上で必要じゃないから売れないわけだ。
ならば、少し魔法かけてあげて、作品を「必要なもの」にしてあげればいい!
「必要なもの」になっている作品とは何だろう?
さっそく答えを言うけど、「おみやげ」だと思う。
シンガポールのマーライオンのキーホルダー。あれ、要る?
あんまり要らないよね。
でも、買う人がいるわけだ。
しかも、かなりの数。
だとえば広島・宮島で売っている「宮島」と書かれたペナント(三角形のやつ)。
あれ、要る?
でも、僕は小学校の修学旅行で宮島に行った時に買っちゃった。
おみやげは1,000円までだったから、大半をペナントに使ってしまった。
あとは木刀。
劇場のパンフレットもそう。
1,400円の分厚い小説を買うのは渋るくせに、
20ページぐらいしかない2,000円のパンフレットには手が伸びる。
キーホルダーもペナントもパンフレットも「作品」には違いないが、「おみやげ」である。
皆、「作品」は買わないが、どうやら「おみやげ」には手が伸びる。
「おみやげ」が、の思い出を残しておくために"必要なもの"だからだ。
ならば、売りたい作品を"おみやげ化"してあげればいい。
おみやげ化に必要なのは、思い出作りで、思い出作りに必要なのはシンガポールや宮島や劇場といった「体験」だ。
絵本を売りたければ、その絵本が「おみやげ」となるような体験を作ってあげればいい。
そこで、これまでに3作分の絵本の原画(約140点)を無料でリースし、
全国のどこの誰でも『にしのあきひろ絵本原画展』を開催できるようにした。
条件は「原画展の出口で絵本を販売すること」、ただそれだけ。
吉本が保管している絵本の在庫を持ち出した場合の売り上げは、吉本に収められる
(そのかわり、1冊も売れなくても最初は1円も払わなくても良い)。
中には、絵本を7掛けで購入して、絵本で売り上げを出される主催者さんもいる。
どちらを選んでもイイ。
「無料でリースするから、原画展をしたい人はいつでも言ってねぇ〜」
とツイッターで募集をかけたところ、
大分のサラリーマンが、名古屋の中学生が、横浜のOLが次々に手を上げた。
そして狙い通り、絵本は「おみやげ」として売れた。
今、僕の絵本は本屋で「作品」として売れ、
いろんな土地で誰かが開催している原画展で、「おみやげ」として売れている。
2015年は原画展だけで数千冊売れた。
毎年続けていけば、なかなかバカにならない。
僕が電子書籍に興味がない理由が、まさにこれ。
今、時代は「体験」を求めていて、僕はライブや個展といった「体験」を頻繁に仕掛けるので、
そういった運動の落とし所を作品にする場合、
「おみやげ」になりにくい作品には興味がない。
僕にとっては、本が"物質"であることに、大きな意味があるんだよね。
(「魔法のコンパス」西野亮廣さんより)
僕の仕事は、自分の活動や作品を皆さんに見つけてもらわないことには始まらない。
どれだけ腹を痛めて生んでも、観客がゼロなら、生んだ歴史ごと抹殺されてしまう。
とにもかくにも、見つけてもらわないと始まらない。
なので、作品を生んだら、お客さんの手元に届くまでの導線をデザインする必要がある。
もともとは「僕は作品を生む人間、それを届けるのは…」と、届ける仕事を吉本興業や出版社に一任していたんだけど(だって、そのほうがカッチョイイから)、
ある時、「生むだけ生んで、あとは任せる」というのは、
どこか"育児放棄"な気がしてしまい、
届けることまで責任を取ろうと決めた。
流通やお金のことなど、作り手があんまり口にしたくないことも口にしていこう、と。
我が子を生かすためなら、泥水でも何でも飲む。
まぁ、親の務めだよね。
僕は絵本を作っているので、ここでは僕が自分の絵本を売るために、
どういう動きをしているのかをお話ししようと思う。
さっきも書いたけど、もともと「作品を届けるには僕の仕事ではない」と思っていて、
「俺は作家だぁ!アチョー!」と吠えながら、100万超えの大ベストセラーになる予定で描いた絵本は、
1作目、2作目とも、売り上げは2万〜3万部に留まった。
「絵本で2万〜3万部も売れたらすごいよぉ〜」てなことを言われたりもするんだけれど、
僕としては100万部超えを予定していたので、その落ち込みようは凄まじかった。
そんなこんなで、3作目。
さすがに3作目と思なると、
「良い作品を作ったら売れる」という幻想は完全に消え去り、「作ったからには届けるところまで責任を取らなきゃだめだ」
と、ついに観念し、そこから親の自覚が芽生え始めた。
さて、どうやって作品を売るか?
まず、皆や自分が
「何を買い、何を買わないか」、
そこから考えてみることにした。
僕も皆も、米や水やトイレットペーパーやシャンプーは迷わず買うが、
小説やDVDやライブチケットを買うのは渋ってしまう。
「買う・買わない」の違いは明確で、
必要なものは買うし、必要じゃないものは買わないのだ。
作品は生きていく上で必要じゃないから売れないわけだ。
ならば、少し魔法かけてあげて、作品を「必要なもの」にしてあげればいい!
「必要なもの」になっている作品とは何だろう?
さっそく答えを言うけど、「おみやげ」だと思う。
シンガポールのマーライオンのキーホルダー。あれ、要る?
あんまり要らないよね。
でも、買う人がいるわけだ。
しかも、かなりの数。
だとえば広島・宮島で売っている「宮島」と書かれたペナント(三角形のやつ)。
あれ、要る?
でも、僕は小学校の修学旅行で宮島に行った時に買っちゃった。
おみやげは1,000円までだったから、大半をペナントに使ってしまった。
あとは木刀。
劇場のパンフレットもそう。
1,400円の分厚い小説を買うのは渋るくせに、
20ページぐらいしかない2,000円のパンフレットには手が伸びる。
キーホルダーもペナントもパンフレットも「作品」には違いないが、「おみやげ」である。
皆、「作品」は買わないが、どうやら「おみやげ」には手が伸びる。
「おみやげ」が、の思い出を残しておくために"必要なもの"だからだ。
ならば、売りたい作品を"おみやげ化"してあげればいい。
おみやげ化に必要なのは、思い出作りで、思い出作りに必要なのはシンガポールや宮島や劇場といった「体験」だ。
絵本を売りたければ、その絵本が「おみやげ」となるような体験を作ってあげればいい。
そこで、これまでに3作分の絵本の原画(約140点)を無料でリースし、
全国のどこの誰でも『にしのあきひろ絵本原画展』を開催できるようにした。
条件は「原画展の出口で絵本を販売すること」、ただそれだけ。
吉本が保管している絵本の在庫を持ち出した場合の売り上げは、吉本に収められる
(そのかわり、1冊も売れなくても最初は1円も払わなくても良い)。
中には、絵本を7掛けで購入して、絵本で売り上げを出される主催者さんもいる。
どちらを選んでもイイ。
「無料でリースするから、原画展をしたい人はいつでも言ってねぇ〜」
とツイッターで募集をかけたところ、
大分のサラリーマンが、名古屋の中学生が、横浜のOLが次々に手を上げた。
そして狙い通り、絵本は「おみやげ」として売れた。
今、僕の絵本は本屋で「作品」として売れ、
いろんな土地で誰かが開催している原画展で、「おみやげ」として売れている。
2015年は原画展だけで数千冊売れた。
毎年続けていけば、なかなかバカにならない。
僕が電子書籍に興味がない理由が、まさにこれ。
今、時代は「体験」を求めていて、僕はライブや個展といった「体験」を頻繁に仕掛けるので、
そういった運動の落とし所を作品にする場合、
「おみやげ」になりにくい作品には興味がない。
僕にとっては、本が"物質"であることに、大きな意味があるんだよね。
(「魔法のコンパス」西野亮廣さんより)