🌸🌸知られざる日本の偉人🌸🌸⑥
🔸服部、日本🇯🇵を救ったたという意味では、第二次世界大戦💣末期、アメリカ軍🇺🇸との
「硫黄島の戦い💢」を指揮した栗林忠道中将も、ほんとに立派✨で素晴らしい人だと思います。
🔹岡田、同感💓です。
🔸服部、平成18年に発表されたクリント・イーストウッド監督の映画🎥『硫黄島からの手紙✉️』の効果🌸もあり、
日本でも栗林中将の存在が広く認知🌸されるようになりましたが、
それまでは、その名を知る日本人はほとんどいませんでした。😊
🔹岡田、その一方で、アメリカ🇺🇸ではこの「硫黄島の戦い💣」を知らない人はいない✊ともいわれていますね。😊
アメリカ人にとっての至高の聖地✨
アーリントン国立墓地には、25メートルの彫像「硫黄島記念碑🌸」が建っています。
日米戦💢でアメリカ軍の損害が日本軍を上回った⤴️唯一の戦闘が「硫黄島の戦い」ですから、
今なおアメリカ人の心💓に永遠🌈に忘れがたい激戦💥として刻まれて⚡️いるのだと思います。
🔸服部、硫黄島は、アメリカ軍による日本本土🗾空襲の出撃地であるサイパン島🗻から東京🗼までの、ちょうど中間地点に位置しますので、
日本本土防衛🚨にとって非常に重要⚠️な拠点🚩だったんですね。
日本🇯🇵にとっては絶対に譲れない✊島でした。
この硫黄島を守るために派遣🎵されたのが栗林中将🌸を司令官とする
約2万1千の将兵たちです。
しかし硫黄島の日本軍🇯🇵は、そのほとんどが一般市民🏠として生活🍀していた徴兵による将兵で、
中年の将兵も多くいました。
しかもアメリカ軍に比べ兵器と弾薬💣も著しく欠乏😵していたんですね。
これから始まる戦闘💢が絶望的😱な戦いになることは誰の目にも明らか☀️でした。
🔹岡田、確かに戦力は雲泥の差⚡️がありました。
🔸服部、その戦い💢を指揮した栗林中将とはどのような人物だったかというと、
陸軍きってのアメリカ通で、当時としては珍しく、
アメリカの工業力🏭のすごさ、アメリカ人の強さ✊を理解していた人です。☀️
そして本当に情愛💓の深い、優しい🌸人でしてね。
常に一人ひとりの将兵のことを考え、自分の食料🍙や水💧の配給なども一切⚡️特別扱い🌸しなかったそうです。
また、己を厳しく⚡️律して、率先垂範し、
常に自分は将兵たちと一緒に戦うんだ✊ときう姿勢🌸で戦いに臨んでいたと。
🔹岡田、指導者👆の鑑(かがみ)ですね。
🔸服部、そのような将兵への情愛の深さは、やっぱり、家族🌸を大事にする気持ち💕から来ていたんだと思います。
栗林中将には東京に妻🌸と3人の子供がいたんですが、
硫黄島に着任後、家族🏠宛に実に41通もの手紙✉️を出しているんです。
特に10歳の次女・たか子さん遺した手紙などを読むと、非常に心💓を打たれる😢ものがあります。
その家族を愛する気持ち💕が将兵たちにも伝わり、
彼らに
「この将軍のためなら死んでもいい✊」
「どれほど苦しくても耐え抜き⚡️、絶対💢硫黄島は渡さない✊」
という使命感💓を奮い起こし🔥、
目覚ましい✨統率力を発揮できたのだと思います。😊
🔹岡田、そうですね。
その結果🌸、栗林中将と将兵たちは米軍が3、4日で占領するつもりでいた硫黄島🗻を36日間守り抜き✊ました。
しかもアメリカ軍🇺🇸は28,000人もの死傷者⚡️😇を出し、
これは死傷者の合計の数で日本軍🇯🇵を上回る⤴️大損害😵でした。
アメリカ軍は「勝利なき死闘」と嘆じた😩といわれます。
🔸服部、そして、もうこれ以上戦えない😢と玉砕の覚悟⚡️を固めた栗林中将は、
兵を前に
「予は常に諸子の先頭に在り!✊⚡️」
と宣言🎵し、
残存400人の先頭🌟に立って突撃💢🏃💨。
ここに、硫黄島守備隊🌸は全滅💀☁️しました。
攻撃💢の最中に負傷して歩けなくなった栗林中将は、
「屍(しかばね)を敵に渡すな⚡️」
ど部下に言い残して自決🌟しました。
その遺体は今もなお硫黄島のどこかに眠って💤います。
硫黄島🗻で栗林中将と将兵たちが命💓を賭して戦って💢くれたおかげで、
アメリカ🇺🇸はずいぶん考え方、戦略を変えた🔄とされていますね。😊
当時アメリカは日本が完璧に屈服するまで戦争💣を続け、無条件☀️降伏🌸させようとしていました。
しかし、硫黄島での日本軍の勇敢⚡️な戦いぶりを見て😵、
「日本🇯🇵はここまで戦えるのか。本土に上陸したら大変なことになる😵」
と、当初の無条件降伏の要求を放棄☁️し、
停戦条件🌸の「ポツダム宣言🎵」を提示する方向に切り替えた⚡️んです。
もしアメリカ🇺🇸が戦略を変更しなかったら、
歴史は本土決戦💢へと突き進み、
膨大な日本国民🌸と米兵🇺🇸の命が犠牲⚡️になったはずです。☀️
🔹岡田、平成6年2月、天皇☀️皇后🌸両陛下が慰霊💕のため硫黄島🗻をご訪問された時のことを思い出します。
天皇陛下☀️は栗林中将🌸の
「国のため 重きつとめを 果たし得で 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき」
という辞世⚡️の句に対して、
「精魂を 込め戦いし 人未だ 地下に眠りて 島は悲しき」
という御歌🎵を詠まれました。
この御歌には、栗林中将たち二万余兵の日本軍🇯🇵の死闘がアメリカ🇺🇸に深い打撃⚡️を与え、
日本を救った🌸という陛下の深い思いが込められていると私は思います。😊
🔹岡田、ここまで本気・本腰を貫いた歴史の偉人🌸たちの生き方を見てきましたが、
結局、わたし自身は1人の人間として、
日本人として、正しく☀️美しく🌸生きるとはどういうことなのかを、
偉人🌸たちから一所懸命💓学んできたように思います。
その偉人🌸たちが最も大切🍀にしてきたものは何かといえば、
私は、誠🍀、真心💓だと思います。
そして、それは世のため、人のため、国のため、私利私欲ではなく、利他の心💓で生きる🍀、
報恩🌸と感謝🌸の心💓で日々生きることだと思います。😊🎵
🔸服部、あぁ、誠🍀、真心💓…。
私はどうしても教員🏫としての立場から歴史の人物🌸を見てしまうのですが、
我われのご先祖様🌸には、もう学ぶべき人物が無数☁️にいますから、
そのことをしっかり意識🌸して歴史の勉強に向き合っていくことが大事🍀だと思ってきました。
要するに年号や出来事を学ぶだけが歴史の勉強📝ではなく、
人物🍀から学ぶ、「人物学習🌸」が大事だと。
今教育現場では、コミニケーション能力🌸とか、アクティブラーニング✨とか、
横文字🔠がどんどん入ってきていますが、
ただおしゃべり🎵できるようになればいいかというと、そうではないわけですね。😊
🔹岡田、おっしゃるとおりです。
🔸服部、やっぱり、コミニケーション能力🌸を言う前に、
歴史📚や道徳の授業でも、子供たちには、歴史の偉人たちの生き方🍀を通じて、
自分たちは、どうやって生きることが正しい☀️のか。
また、どうやって生きれば、かっこいいのか😊をしっかり考えてもらいたいですし、
自分の人生🍀の指針👆になるような人物にも出逢ってもらいたいですよね。😊
そして、そうした人物🍀を心💓に持つことは、
将来✨人生のここぞ🌟という時に必ず心の支え✊、糧🌸になるんだということを教えてあげたい。😊🎵
結局、歴史📚の人物から学ぶということは、
この偉人🌸は、あの時こうしたんだと、生き方の事例から1つひとつ自分の覚悟⚡️をつくっていくことだと思うんです。😊
そして、その積み重ね⏬の中から、人間と人間とが本質的な部分で理解しあっていくために、必要なものも自然に身に付けていく。😊✊
それは、コミニケーション能力🌸やアクティブラーニング📝を身につくような軽い☁️ものではないと私は考えています。
🔹岡田、歴史の人物を学ぶ✊ことは、自分の覚悟⚡️を一つひとつつくっていくこと。素晴らしいですね。💕
🔸服部、私たち一般人は、歴史の偉人🌸のようにいつでも本気☀️・本腰⚡️でいることは難しいかもしれません。😊
それでも日々、歴史の偉人🌸たちの生き方の事例を学んで✊いれば、
いざ⚡️という時に必ず本気・本腰で臨めると思うし、
本物☀️にも近づいていけるはずなんですね。😊
🔹岡田、日本🇯🇵はまさに国難というべき状況🌸にありますが、
今最も大切なことは、
やはり、日本人一人ひとりが
「日本人🇯🇵としての誇り✨」
を取り戻すことではないかと思います。😊
そのために大切なことは、誠🍀の心💓を持って、
公のために本気☀️、真剣⚡️に生きた歴史の偉人🌸たちに学ぶことです。
これからも日本の未来✨のため、1人でも多くの人に
歴史📚の偉人🌸に学ぶ大切さや、
素晴らしさを伝えて💕まいりいと思います。😊🎵
(おしまい)
(「致知」4月号 岡田幹彦さん服部剛さん対談より)
🔸服部、日本🇯🇵を救ったたという意味では、第二次世界大戦💣末期、アメリカ軍🇺🇸との
「硫黄島の戦い💢」を指揮した栗林忠道中将も、ほんとに立派✨で素晴らしい人だと思います。
🔹岡田、同感💓です。
🔸服部、平成18年に発表されたクリント・イーストウッド監督の映画🎥『硫黄島からの手紙✉️』の効果🌸もあり、
日本でも栗林中将の存在が広く認知🌸されるようになりましたが、
それまでは、その名を知る日本人はほとんどいませんでした。😊
🔹岡田、その一方で、アメリカ🇺🇸ではこの「硫黄島の戦い💣」を知らない人はいない✊ともいわれていますね。😊
アメリカ人にとっての至高の聖地✨
アーリントン国立墓地には、25メートルの彫像「硫黄島記念碑🌸」が建っています。
日米戦💢でアメリカ軍の損害が日本軍を上回った⤴️唯一の戦闘が「硫黄島の戦い」ですから、
今なおアメリカ人の心💓に永遠🌈に忘れがたい激戦💥として刻まれて⚡️いるのだと思います。
🔸服部、硫黄島は、アメリカ軍による日本本土🗾空襲の出撃地であるサイパン島🗻から東京🗼までの、ちょうど中間地点に位置しますので、
日本本土防衛🚨にとって非常に重要⚠️な拠点🚩だったんですね。
日本🇯🇵にとっては絶対に譲れない✊島でした。
この硫黄島を守るために派遣🎵されたのが栗林中将🌸を司令官とする
約2万1千の将兵たちです。
しかし硫黄島の日本軍🇯🇵は、そのほとんどが一般市民🏠として生活🍀していた徴兵による将兵で、
中年の将兵も多くいました。
しかもアメリカ軍に比べ兵器と弾薬💣も著しく欠乏😵していたんですね。
これから始まる戦闘💢が絶望的😱な戦いになることは誰の目にも明らか☀️でした。
🔹岡田、確かに戦力は雲泥の差⚡️がありました。
🔸服部、その戦い💢を指揮した栗林中将とはどのような人物だったかというと、
陸軍きってのアメリカ通で、当時としては珍しく、
アメリカの工業力🏭のすごさ、アメリカ人の強さ✊を理解していた人です。☀️
そして本当に情愛💓の深い、優しい🌸人でしてね。
常に一人ひとりの将兵のことを考え、自分の食料🍙や水💧の配給なども一切⚡️特別扱い🌸しなかったそうです。
また、己を厳しく⚡️律して、率先垂範し、
常に自分は将兵たちと一緒に戦うんだ✊ときう姿勢🌸で戦いに臨んでいたと。
🔹岡田、指導者👆の鑑(かがみ)ですね。
🔸服部、そのような将兵への情愛の深さは、やっぱり、家族🌸を大事にする気持ち💕から来ていたんだと思います。
栗林中将には東京に妻🌸と3人の子供がいたんですが、
硫黄島に着任後、家族🏠宛に実に41通もの手紙✉️を出しているんです。
特に10歳の次女・たか子さん遺した手紙などを読むと、非常に心💓を打たれる😢ものがあります。
その家族を愛する気持ち💕が将兵たちにも伝わり、
彼らに
「この将軍のためなら死んでもいい✊」
「どれほど苦しくても耐え抜き⚡️、絶対💢硫黄島は渡さない✊」
という使命感💓を奮い起こし🔥、
目覚ましい✨統率力を発揮できたのだと思います。😊
🔹岡田、そうですね。
その結果🌸、栗林中将と将兵たちは米軍が3、4日で占領するつもりでいた硫黄島🗻を36日間守り抜き✊ました。
しかもアメリカ軍🇺🇸は28,000人もの死傷者⚡️😇を出し、
これは死傷者の合計の数で日本軍🇯🇵を上回る⤴️大損害😵でした。
アメリカ軍は「勝利なき死闘」と嘆じた😩といわれます。
🔸服部、そして、もうこれ以上戦えない😢と玉砕の覚悟⚡️を固めた栗林中将は、
兵を前に
「予は常に諸子の先頭に在り!✊⚡️」
と宣言🎵し、
残存400人の先頭🌟に立って突撃💢🏃💨。
ここに、硫黄島守備隊🌸は全滅💀☁️しました。
攻撃💢の最中に負傷して歩けなくなった栗林中将は、
「屍(しかばね)を敵に渡すな⚡️」
ど部下に言い残して自決🌟しました。
その遺体は今もなお硫黄島のどこかに眠って💤います。
硫黄島🗻で栗林中将と将兵たちが命💓を賭して戦って💢くれたおかげで、
アメリカ🇺🇸はずいぶん考え方、戦略を変えた🔄とされていますね。😊
当時アメリカは日本が完璧に屈服するまで戦争💣を続け、無条件☀️降伏🌸させようとしていました。
しかし、硫黄島での日本軍の勇敢⚡️な戦いぶりを見て😵、
「日本🇯🇵はここまで戦えるのか。本土に上陸したら大変なことになる😵」
と、当初の無条件降伏の要求を放棄☁️し、
停戦条件🌸の「ポツダム宣言🎵」を提示する方向に切り替えた⚡️んです。
もしアメリカ🇺🇸が戦略を変更しなかったら、
歴史は本土決戦💢へと突き進み、
膨大な日本国民🌸と米兵🇺🇸の命が犠牲⚡️になったはずです。☀️
🔹岡田、平成6年2月、天皇☀️皇后🌸両陛下が慰霊💕のため硫黄島🗻をご訪問された時のことを思い出します。
天皇陛下☀️は栗林中将🌸の
「国のため 重きつとめを 果たし得で 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき」
という辞世⚡️の句に対して、
「精魂を 込め戦いし 人未だ 地下に眠りて 島は悲しき」
という御歌🎵を詠まれました。
この御歌には、栗林中将たち二万余兵の日本軍🇯🇵の死闘がアメリカ🇺🇸に深い打撃⚡️を与え、
日本を救った🌸という陛下の深い思いが込められていると私は思います。😊
🔹岡田、ここまで本気・本腰を貫いた歴史の偉人🌸たちの生き方を見てきましたが、
結局、わたし自身は1人の人間として、
日本人として、正しく☀️美しく🌸生きるとはどういうことなのかを、
偉人🌸たちから一所懸命💓学んできたように思います。
その偉人🌸たちが最も大切🍀にしてきたものは何かといえば、
私は、誠🍀、真心💓だと思います。
そして、それは世のため、人のため、国のため、私利私欲ではなく、利他の心💓で生きる🍀、
報恩🌸と感謝🌸の心💓で日々生きることだと思います。😊🎵
🔸服部、あぁ、誠🍀、真心💓…。
私はどうしても教員🏫としての立場から歴史の人物🌸を見てしまうのですが、
我われのご先祖様🌸には、もう学ぶべき人物が無数☁️にいますから、
そのことをしっかり意識🌸して歴史の勉強に向き合っていくことが大事🍀だと思ってきました。
要するに年号や出来事を学ぶだけが歴史の勉強📝ではなく、
人物🍀から学ぶ、「人物学習🌸」が大事だと。
今教育現場では、コミニケーション能力🌸とか、アクティブラーニング✨とか、
横文字🔠がどんどん入ってきていますが、
ただおしゃべり🎵できるようになればいいかというと、そうではないわけですね。😊
🔹岡田、おっしゃるとおりです。
🔸服部、やっぱり、コミニケーション能力🌸を言う前に、
歴史📚や道徳の授業でも、子供たちには、歴史の偉人たちの生き方🍀を通じて、
自分たちは、どうやって生きることが正しい☀️のか。
また、どうやって生きれば、かっこいいのか😊をしっかり考えてもらいたいですし、
自分の人生🍀の指針👆になるような人物にも出逢ってもらいたいですよね。😊
そして、そうした人物🍀を心💓に持つことは、
将来✨人生のここぞ🌟という時に必ず心の支え✊、糧🌸になるんだということを教えてあげたい。😊🎵
結局、歴史📚の人物から学ぶということは、
この偉人🌸は、あの時こうしたんだと、生き方の事例から1つひとつ自分の覚悟⚡️をつくっていくことだと思うんです。😊
そして、その積み重ね⏬の中から、人間と人間とが本質的な部分で理解しあっていくために、必要なものも自然に身に付けていく。😊✊
それは、コミニケーション能力🌸やアクティブラーニング📝を身につくような軽い☁️ものではないと私は考えています。
🔹岡田、歴史の人物を学ぶ✊ことは、自分の覚悟⚡️を一つひとつつくっていくこと。素晴らしいですね。💕
🔸服部、私たち一般人は、歴史の偉人🌸のようにいつでも本気☀️・本腰⚡️でいることは難しいかもしれません。😊
それでも日々、歴史の偉人🌸たちの生き方の事例を学んで✊いれば、
いざ⚡️という時に必ず本気・本腰で臨めると思うし、
本物☀️にも近づいていけるはずなんですね。😊
🔹岡田、日本🇯🇵はまさに国難というべき状況🌸にありますが、
今最も大切なことは、
やはり、日本人一人ひとりが
「日本人🇯🇵としての誇り✨」
を取り戻すことではないかと思います。😊
そのために大切なことは、誠🍀の心💓を持って、
公のために本気☀️、真剣⚡️に生きた歴史の偉人🌸たちに学ぶことです。
これからも日本の未来✨のため、1人でも多くの人に
歴史📚の偉人🌸に学ぶ大切さや、
素晴らしさを伝えて💕まいりいと思います。😊🎵
(おしまい)
(「致知」4月号 岡田幹彦さん服部剛さん対談より)