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🌸🌸知られざる日本の偉人🌸🌸⑥

2018-04-17 16:24:10 | お話
🌸🌸知られざる日本の偉人🌸🌸⑥


🔸服部、日本🇯🇵を救ったたという意味では、第二次世界大戦💣末期、アメリカ軍🇺🇸との

「硫黄島の戦い💢」を指揮した栗林忠道中将も、ほんとに立派✨で素晴らしい人だと思います。

🔹岡田、同感💓です。

🔸服部、平成18年に発表されたクリント・イーストウッド監督の映画🎥『硫黄島からの手紙✉️』の効果🌸もあり、

日本でも栗林中将の存在が広く認知🌸されるようになりましたが、

それまでは、その名を知る日本人はほとんどいませんでした。😊

🔹岡田、その一方で、アメリカ🇺🇸ではこの「硫黄島の戦い💣」を知らない人はいない✊ともいわれていますね。😊

アメリカ人にとっての至高の聖地✨
アーリントン国立墓地には、25メートルの彫像「硫黄島記念碑🌸」が建っています。

日米戦💢でアメリカ軍の損害が日本軍を上回った⤴️唯一の戦闘が「硫黄島の戦い」ですから、

今なおアメリカ人の心💓に永遠🌈に忘れがたい激戦💥として刻まれて⚡️いるのだと思います。


🔸服部、硫黄島は、アメリカ軍による日本本土🗾空襲の出撃地であるサイパン島🗻から東京🗼までの、ちょうど中間地点に位置しますので、

日本本土防衛🚨にとって非常に重要⚠️な拠点🚩だったんですね。

日本🇯🇵にとっては絶対に譲れない✊島でした。

この硫黄島を守るために派遣🎵されたのが栗林中将🌸を司令官とする
約2万1千の将兵たちです。

しかし硫黄島の日本軍🇯🇵は、そのほとんどが一般市民🏠として生活🍀していた徴兵による将兵で、
中年の将兵も多くいました。

しかもアメリカ軍に比べ兵器と弾薬💣も著しく欠乏😵していたんですね。

これから始まる戦闘💢が絶望的😱な戦いになることは誰の目にも明らか☀️でした。

🔹岡田、確かに戦力は雲泥の差⚡️がありました。

🔸服部、その戦い💢を指揮した栗林中将とはどのような人物だったかというと、

陸軍きってのアメリカ通で、当時としては珍しく、
アメリカの工業力🏭のすごさ、アメリカ人の強さ✊を理解していた人です。☀️

そして本当に情愛💓の深い、優しい🌸人でしてね。

常に一人ひとりの将兵のことを考え、自分の食料🍙や水💧の配給なども一切⚡️特別扱い🌸しなかったそうです。

また、己を厳しく⚡️律して、率先垂範し、
常に自分は将兵たちと一緒に戦うんだ✊ときう姿勢🌸で戦いに臨んでいたと。

🔹岡田、指導者👆の鑑(かがみ)ですね。

🔸服部、そのような将兵への情愛の深さは、やっぱり、家族🌸を大事にする気持ち💕から来ていたんだと思います。

栗林中将には東京に妻🌸と3人の子供がいたんですが、
硫黄島に着任後、家族🏠宛に実に41通もの手紙✉️を出しているんです。

特に10歳の次女・たか子さん遺した手紙などを読むと、非常に心💓を打たれる😢ものがあります。

その家族を愛する気持ち💕が将兵たちにも伝わり、

彼らに
「この将軍のためなら死んでもいい✊」

「どれほど苦しくても耐え抜き⚡️、絶対💢硫黄島は渡さない✊」

という使命感💓を奮い起こし🔥、
目覚ましい✨統率力を発揮できたのだと思います。😊


🔹岡田、そうですね。

その結果🌸、栗林中将と将兵たちは米軍が3、4日で占領するつもりでいた硫黄島🗻を36日間守り抜き✊ました。

しかもアメリカ軍🇺🇸は28,000人もの死傷者⚡️😇を出し、
これは死傷者の合計の数で日本軍🇯🇵を上回る⤴️大損害😵でした。

アメリカ軍は「勝利なき死闘」と嘆じた😩といわれます。


🔸服部、そして、もうこれ以上戦えない😢と玉砕の覚悟⚡️を固めた栗林中将は、

兵を前に
「予は常に諸子の先頭に在り!✊⚡️」

と宣言🎵し、
残存400人の先頭🌟に立って突撃💢🏃💨。

ここに、硫黄島守備隊🌸は全滅💀☁️しました。

攻撃💢の最中に負傷して歩けなくなった栗林中将は、

「屍(しかばね)を敵に渡すな⚡️」

ど部下に言い残して自決🌟しました。

その遺体は今もなお硫黄島のどこかに眠って💤います。


硫黄島🗻で栗林中将と将兵たちが命💓を賭して戦って💢くれたおかげで、

アメリカ🇺🇸はずいぶん考え方、戦略を変えた🔄とされていますね。😊

当時アメリカは日本が完璧に屈服するまで戦争💣を続け、無条件☀️降伏🌸させようとしていました。

しかし、硫黄島での日本軍の勇敢⚡️な戦いぶりを見て😵、

「日本🇯🇵はここまで戦えるのか。本土に上陸したら大変なことになる😵」

と、当初の無条件降伏の要求を放棄☁️し、

停戦条件🌸の「ポツダム宣言🎵」を提示する方向に切り替えた⚡️んです。

もしアメリカ🇺🇸が戦略を変更しなかったら、

歴史は本土決戦💢へと突き進み、

膨大な日本国民🌸と米兵🇺🇸の命が犠牲⚡️になったはずです。☀️


🔹岡田、平成6年2月、天皇☀️皇后🌸両陛下が慰霊💕のため硫黄島🗻をご訪問された時のことを思い出します。

天皇陛下☀️は栗林中将🌸の

「国のため 重きつとめを 果たし得で 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき」

という辞世⚡️の句に対して、

「精魂を 込め戦いし 人未だ 地下に眠りて 島は悲しき」

という御歌🎵を詠まれました。

この御歌には、栗林中将たち二万余兵の日本軍🇯🇵の死闘がアメリカ🇺🇸に深い打撃⚡️を与え、

日本を救った🌸という陛下の深い思いが込められていると私は思います。😊


🔹岡田、ここまで本気・本腰を貫いた歴史の偉人🌸たちの生き方を見てきましたが、

結局、わたし自身は1人の人間として、

日本人として、正しく☀️美しく🌸生きるとはどういうことなのかを、
偉人🌸たちから一所懸命💓学んできたように思います。

その偉人🌸たちが最も大切🍀にしてきたものは何かといえば、

私は、誠🍀、真心💓だと思います。

そして、それは世のため、人のため、国のため、私利私欲ではなく、利他の心💓で生きる🍀、

報恩🌸と感謝🌸の心💓で日々生きることだと思います。😊🎵


🔸服部、あぁ、誠🍀、真心💓…。

私はどうしても教員🏫としての立場から歴史の人物🌸を見てしまうのですが、

我われのご先祖様🌸には、もう学ぶべき人物が無数☁️にいますから、

そのことをしっかり意識🌸して歴史の勉強に向き合っていくことが大事🍀だと思ってきました。

要するに年号や出来事を学ぶだけが歴史の勉強📝ではなく、

人物🍀から学ぶ、「人物学習🌸」が大事だと。

今教育現場では、コミニケーション能力🌸とか、アクティブラーニング✨とか、
横文字🔠がどんどん入ってきていますが、

ただおしゃべり🎵できるようになればいいかというと、そうではないわけですね。😊

🔹岡田、おっしゃるとおりです。

🔸服部、やっぱり、コミニケーション能力🌸を言う前に、

歴史📚や道徳の授業でも、子供たちには、歴史の偉人たちの生き方🍀を通じて、

自分たちは、どうやって生きることが正しい☀️のか。

また、どうやって生きれば、かっこいいのか😊をしっかり考えてもらいたいですし、

自分の人生🍀の指針👆になるような人物にも出逢ってもらいたいですよね。😊

そして、そうした人物🍀を心💓に持つことは、

将来✨人生のここぞ🌟という時に必ず心の支え✊、糧🌸になるんだということを教えてあげたい。😊🎵

結局、歴史📚の人物から学ぶということは、

この偉人🌸は、あの時こうしたんだと、生き方の事例から1つひとつ自分の覚悟⚡️をつくっていくことだと思うんです。😊

そして、その積み重ね⏬の中から、人間と人間とが本質的な部分で理解しあっていくために、必要なものも自然に身に付けていく。😊✊

それは、コミニケーション能力🌸やアクティブラーニング📝を身につくような軽い☁️ものではないと私は考えています。

🔹岡田、歴史の人物を学ぶ✊ことは、自分の覚悟⚡️を一つひとつつくっていくこと。素晴らしいですね。💕

🔸服部、私たち一般人は、歴史の偉人🌸のようにいつでも本気☀️・本腰⚡️でいることは難しいかもしれません。😊

それでも日々、歴史の偉人🌸たちの生き方の事例を学んで✊いれば、

いざ⚡️という時に必ず本気・本腰で臨めると思うし、

本物☀️にも近づいていけるはずなんですね。😊

🔹岡田、日本🇯🇵はまさに国難というべき状況🌸にありますが、

今最も大切なことは、

やはり、日本人一人ひとりが

「日本人🇯🇵としての誇り✨」

を取り戻すことではないかと思います。😊

そのために大切なことは、誠🍀の心💓を持って、

公のために本気☀️、真剣⚡️に生きた歴史の偉人🌸たちに学ぶことです。

これからも日本の未来✨のため、1人でも多くの人に

歴史📚の偉人🌸に学ぶ大切さや、

素晴らしさを伝えて💕まいりいと思います。😊🎵


(おしまい)

(「致知」4月号 岡田幹彦さん服部剛さん対談より)