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🌸🌸トリプル介護🌸🌸②

2018-04-27 17:21:47 | お話
🌸🌸トリプル介護🌸🌸②


(かのこさんお一人でも大変ご苦労なさった上に、ご両親の介護🌸も重なったわけですね)

そうなんです。最初に少し触れましたが、

阪神・淡路大震災💢の翌年に、父が大分の実家🏠から電話📞をかけてきて、

母👵が自分の髪の毛を切って✂️燃やして🔥いると。😵

お風呂🛁の水💦は出しっぱなし、鍋は火🔥にかけっぱなしで、

「死にたい、死にたい💀」と言って、起きてこない。😵

病院🏥で診てもらったら、

認知症😵と鬱💀を両方患っていたから、ずぐ帰ってこい✊と父は言うわけですよ。

けれども、最重度の障がい💢を持っているかのこを施設に預けたら、

環境の変化🔄によって一晩🌌でストレス💢で胃に穴が開いて😵亡くなってしまう😇こともあるんですよ。

ですから、父には「帰れない🚫」とハッキリ🌟言いました。

(あぁ、帰れないと)

その代わり、一週間まとめて、2人の食べるもの🍱を作って冷凍❄️して、送り💨🎁ました。

それから、笑う😊ことが体にとてもいい💕と言う話を聞い👂たので、

毎日一枚、ハガキ✉️には「くすっ」と笑える😊話と絵を描いて送ることにしたんです。

(絵心はあったのですか?)

ないない(笑)。必要に迫られて描いた🎨だけです。

といっても、娘の介護🌸で行動範囲も限られて⚡️いるから、ネタはすぐ枯渇😵してしまう。

日々☀️の出来事ひとつひとつの中から、毎日、目👀を皿のようにして面白いこと😍を見つけださなければいけません。😊

知人にも頼んで、必死⚡️になってネタ📰を探す日々が、

両親の呼び寄せるまで、13年と11ヶ月続いたんです。😊

おかげさまで、母の状態🌸もだんだんまし✨になってきて、

4年目には、うつも認知もなくなり☁️、

先ほどお話ししたように、作家デビュー🌟まで果たしたわけです。

(お母様への一途な想いが、5,000枚ものハガキ✉️となり、奇跡🌟を起こしたのですね)


本当は、やめるのが怖かった😱んですね。😊

そういういいこと🌟は続けないと、前より悪くなると新聞📰に書いてあったので。😊🎵

自分にはできないことが多過ぎるから、
できることを200%やってみようって。😊✊


(ところが、その後、トリプル介護が始まったと)

そうなんです。母が電話で

「日本中🗾探して、いい養老院🏡があればそこへ行くことにした」

と言うので、それなら私がお世話🌸をしたいと考えて、

同じ団地に部屋🚪を借りて2人を呼び寄せたんです。😊

平成20年でした。

そうした3ヶ月後には、母がお風呂🛀から出られない😵と言う。

脳梗塞🌸を発症していたんですよ。

おまけに父は、4年後から認知症😴の症状が出始めました。

夏の暑い日に「寒い、寒い😨」と言ってエアコンをつけないんです。

リハビリ中の母が熱中症🔥で倒れてしまって、😵

私のところに預かったら、

大好き💕な妻を取った悪人😈にされて、

そこから、私への暴力✊💢が始まりました。

剣道の有段者🌟ですから、バシーッ💥て叩かれたら、

次の日には紫色に腫れ上がって😵いましたもん。

一所懸命💓お世話しているのに、

何でこんな目に遭わなければいかんのって…😵

怒りが😠、こみ上げてくるんですよ。


(辛い状況でしたね)

娘のヘルパー💕さんが、以前老人施設🏢にいた方で、老人👴👵を知り尽くしていましたね。

父の言うことを否定🚫したらいけないと。😊

「オレは寒いんだ」

と言ったら、

「あぁ寒いのね。大変だね💕」

「俺の財布を取ったろう」

と言ったら

「財布をなくなったんやね。一緒に探そうか💕」。

いつもの2倍ゆっくりと肯定🌟してあげなさいと。😊🎵

私は、そこで初めて、

人を受け入れる☀️ことを学び✊ました。

(あぁ、人を受け入れること)

それまで私は、泣いて😢いる若いお母さんたちを、

「頑張れ✊」

って励まして✊しまう人だったんです。

「辛かったやろうな。ようわかるよ💕」

って、受け入れができていなかった。😊

でも、私が態度🌸を変えた🔄ことで父は、

「いつも、おいしいご飯🍚をありがとう🙏」

とか、

「あんたさんを叩いた💢らしいが、悪いことをしたな😊」

とまで言ってくれるようになったんです。😊

そうして、8年間の介護🌸を経て、父は平成28年に97歳で亡くなり😇ました。

大好きな妻🌸より先に死にたい。

家🏠で苦しまずに死にたいという思いを全部まっとうして、

老衰💀で自宅で新聞📰を読みながら逝きました。☁️😇☁️


亡くなっても耳👂は聞こえているっていうので、

「お父さん、私に人生で大切な、寛容🌸、容認☀️の心を、身をもって教えてくださって、本当にありがとうございました😊」

って耳元で言いました。😊


(その後は、お母さんとかのこさん、お二人の介護を続けておられるのですね)

はい。かのこは、若いリハビリの先生のおかげで、7年かけて意思💓の疎通⚡️ができるようになりました。

私は最初の頃

「ムリやから、先生」

って言っていたんですが、

先生は

「お母さん、なんで諦めるの?」

と。

後から、母である私の無理解に1人で泣いた😢こともあると知って、

とんでもない親やったな😵と反省しました。

実際、かのこは手を握ったり✊開いたり✋することで、会話🎵がどんどんできるようになりました。😊

「これまでたくさん発作💢を起こして、しんどかったな🎵」

って聞いたら

「違う⚡️」

と。

「自分の思ってることを、ちゃんと表現🌸できないことが、しんどかった。😊

でも、いまは楽しい💕」

と言うんです。

究極✨の会話は、

「お母さんがいなくなったら大変だね😊」

って言ったら、

「大丈夫。若い人に介護🌸してもらって、私は楽しく💕暮らしてききます✊」

と(笑)。

(目覚ましい成長🍀ですね)

さらにありがたいことに、

母に5,000枚のハガキ✉️を書いたいきさつが

『キセキの葉書』という映画🎥になったんですけど、

すぐに打ち切り⚡️になると思っていたら、大ヒット🌟したんです。😳

同じ方が、ご家族🌸や仲間🍀を連れて何回も見に来て下さるので、会場はいつも満杯🌸で。

養護学校🏫の車椅子の子たちを連れてこられた方は、

君たちが家族🌸の希望✨なんだと伝えたかった💕と。

こうしてヒット🌟しているのが考えても分らないんです。

あえて言うと、本📖にしようとかヒット🌟させようとかいう思いはなかったんですね。😊

(ご本や映画をヒット🌟させたいという思惑はなかったと)

最初にも言いましたが、もともと5,000枚のハガキ✉️を本📖にするつもりは全くありませんでしたしね。😊

映画🎥の舞台挨拶🎵でいつも言うんですが、

母に書いた5,000枚のハガキ✉️は、

誰も知らない洞窟🌑の中で、

ポチョーン💧、ポチョーン💧と
水滴💧を落としていくような営み🌸でした。

誰も知らないけれど、

いつか洞窟🌑が水💦で満杯🌸になると、

出口を求めて自然🍀に地上に噴き出して⛲️、

みんなの目👀に触れる💕ものなんですね、と。


(そこまで続けられたら要因🍀は何ですか)


たった1人の母🌸を助けることもできないで、

何が文章📝を生業🍀とするだと。

だから、配達してくださる郵便局🏣の方も、つい読んでしまうような面白い💕ものを書こうと。✊

その積み重ね⏫で、ここまできたわけで、

映画化は降って湧いた話ではあったけども、嬉しい💕ことでした。

(まさに、利他によって開けてきた人生🍀と言えそうですね)

かのこと映画の舞台挨拶🌸に行った時は、

「いま入ってきたのが原作者の娘さんの、かのこさんです」

ってスポットライト🌟を浴びて、娘は握手や写真撮影📷を求められました。🌸

あんなキラキラ✨したかのこを見たことはなかったので本当に感動💓しました。😍

生きてきたことを肯定🌟していただいたのです。☀️


いま、私の人生🍀のどこを切り取っても、
かのこに教えられて導かれて💕きたことがよく分かり🌟ます。


(介護🌸をしてきたかのこさんに、ご自分が教えられて🌸きたと)


作家📝としても、かのこがいたから普通とは違う闘い✊もあり、思い🌀もあり、

書く内容も、何が大事かが確立🌟されてきたんでしょうね。😊

かのこに学んだのは、息子も同じです。

私が

「かのこを施設🏡に預けたい😵」

と弱音を吐いた時、当時中学生🏫だった息子から、

「かのこは物じゃないんやで、可哀想じゃないか! ✊

お母さんが面倒を見られないならいいよ、

僕がおんぶして学校🏫に行く」

と言われて、

胸を突かれ⚡️ました。

息子はいつもかのこの味方🌸でした。


彼は自分でお金💰を貯めてアメリカ🇺🇸へ行きました。

日本では皆がかのこをジロジロ見る👀のに、
向こうでは、障がい者が好奇の視線に晒(さら)されないことに感動💕したと。

いまカンザス🌇で障がい児教育🍀に携わっています。

昔は不幸の種😵のように周りから言われていたかのこは、いまはダイヤモンド💎の種✨になりました。

山崎で

「あんたが変わらなければあかん」

と言われた本当☀️の意味🍀を悟った時から、

石ころがダイヤモンド💎に変わった🔄んですね。😊🎵


(真の利他に目覚めた🌟時から、すべてが変わったのですね)


介護🌸のあり方というのは、10人いたら10人違います。😊

利他と言うのは、どういうことを言うんだろう?

介護🌸される方だけが、幸せ💕になると言うのは、無理⚠️があると私は考えています。

どうやったら喜んで💕もらえるのか?

守れる✊のか?

考えて🌀、実践🌸して、

挫折😵して、

また、学んで✊いく中で、

自分自身も打たれ強く😊、したたかで✨、

とてつもなく豊かな👑心💓になっていいることに気づく🌟んです。😊

自己犠牲⚡️ではなく、

両方幸せ💕になることが、勝利👑でしょうね。😊🎵


(おしまい)

(「致知」5月号 脇谷みどりさんより)