hideyukiさんの、令和もみんなガンバってますね!笑み字も!Webにも愛と光を!

日々の楽しい話、成長の糧などを綴ります。
楽しさ、感動、知恵が学べる。
(^_^)私はとっても普通の人です。

🌸🌸トリプル介護🌸🌸①

2018-04-26 17:08:41 | お話
🌸🌸トリプル介護🌸🌸①


(脇谷さんは、ご家族3人の介護🌸されながら、ラジオ📻のパーソナリティー🎤や執筆活動✒️をしてこられたそうですね)

FMラジオ📻のパーソナリティー🎤を始めたのは、平成17年でした。

脳性麻痺🌀の "かのこ"(娘の名前)が気管切開🌸して呼吸器をつけた頃で、

介護🌸がものすごく大変😵だったんですが、

たまたま娘がお世話になっていた園の隣にあるスタジオ🎤で、

地元西宮のコミュニティー番組をやっていましてね。😊

出演🌸の依頼を受けて、娘の介護🌸のお話🎵をしたら、

アナウンサーの方が心配😨なさるので、

「いやいや、諦めることはないですよ」

って。

「実は私、実家でうつ病になった母🌸を喜ばせるために、五千枚(放送当時は3,000枚)、毎日☀️ハガキを書き続けたら、よくなって、😊

母は、そこから作家✒️にまでなったんですよ」

という話をしたんです。😊🎵

そうしたら、しばらくしてラジオ局📻から

「番組をやりませんか?」

ってご依頼🌸をいただいたんです。😊

私と同じ重度🚨の障がい児😷を持ったお母さんの中には、

夜中🌌に熟睡しないようにラジオ📻やテレビ📺をつけっぱなしにして寝る💤方がたくさんいらっしゃるんです。😊

お子さんが発作💥を起こした時、すぐ気づかないといけませんから。😊

番組では、そういう皆が知らない親の苦しみ😩、悲しみ😢をいろいろお話🎵しするんですが、

早いものでもう13年ですよ(笑)。

(いま、お母様に5,000枚もハガキ✉️を書いたとおっしゃいましたね)

ええ。阪神・淡路大震災💢の翌年に、大分の実家🏠にいた母がうつ病😨と認知症😵を発症🌟したんです。

娘のかのこを抱えていたので家を離れることができなくて、

代わりに毎日一枚、「くすっ」と笑える😊話をハガキ✉️に書いて送ることにしたんです。

それを13年と11ヶ月かけて、5,000枚描き続けたんですが、

おかげさまで、母はうつ病も認証もなくなり😊、

おまけに元気🍀になって、書いた作品が出版社🏢の目に留まって👀、

77歳で作家デビュー🌟まで果たしたんです。

そのハガキ✉️は、とにかく母に治って欲しい🙏一心💓で書き送ったもので、

公にする気は全くなかったんですけど、

母がすべて保管🌸していたので、
私が本📖にすることになりました。

ところが、その後で、

両親を大分から呼び寄せたら、

次の年に、母が脳梗塞⚡️で倒れ、
4年目に父が認知症😵を発症しました。

かのこと併せてトリプル介護🌸の生活が始まりました。😊☀️

そういう体験🌸を、エッセーにまとめて新聞📰に連載したり、本📖にしたりしてきたんです。😊


(もともと書くことはお好き💕だったのですか)

小さい頃、幼稚園🏡に行かないで小学校🏫に入ったら、

いじめ✊の対象になって😵、いつも図書館に逃げ込んで🏃💨本を読んでいるうちに、詩や童話を書くようになったんです。😊

高校🏫の時に、雑誌📖の詩のコーナーで詩人の丸山薫さんに選んでいただいて、

書くことに自信🍀を持つようになりましたね。

学校🏫を出て航空会社✈️に勤務🌸した後に結婚退職して、一男👦一女👧に恵まれるんですか、

28歳で出産🌸した長女の かのこ は2ヶ月くらい経っても目👀でものを追わなくて、

大きな病院🏥で調べてもらうと、

脳性麻痺🌀だということが分かり🌟ました。

周りからは、

「そんな大変な子を育てられるわけがないから、施設🏡に預けなさい💢」

と散々☁️言われましたが、

私は、どうしても✊自分の側で、育てたかった。✊😊

もちろん不安😱でした。

ちゃんと育てられるかなって。😊

(それでどうなされましたか)

どうしていいか分からなくて、診断📊を受けた日、

かのこ👧を抱っこし、長男👦の手を引いて行ったのが、

筋ジストロフィーの息子さん👦を育てた地元で有名🍀な女性🌸のお宅🏠でした。

その方は、

私がワンワン💦泣いて😂いる間に

「おめでとう🌟、よかったね。💕

ここから、あんたの、ほんまもんの人生🍀が始まるんだよ😊」

って言うんです。😵

「ほんまもんの人生なんか、いりません😭」

って泣き続ける私に、

「私たち家族🌸は、筋ジスの息子👦がいたおかげで、

いまがある🌟と思ってるんやで😊」

と話してくださいました。😊🎵


当時の障がい児🌀は養護学校🏫にも行けず、
病院🏥か家🏠で暮らすしかなかったそうです。

ご夫婦👪は、息子を絶対に手放さない✊ことを決意🌟して、

優秀な専門医🏥をつけ、家庭教師🌸をつけるために、

介護🌸をしながら必死⚡️で働く🍳🍴のです。

あいにく、その子は16歳で亡くなり😇ましたが、

その間に、家業🌸はどんどん盛り上がった⤴️というんです。

「あんたも、絶対😊幸せ💕になれる。

頑張れるか?」

と言われて、

私も

「がんばります✊」

と答えるしか、ありませんでした。😊


(その女性との出会い🌟が、大きな転機🔄になったわけですね)


私の心💓の内をすべて披瀝🌈✨できる人でした。

そして、かのこをなんとしても歩かせたい✊と思って週三回もリハビリに連れて行くようになったんです。😊

ところが1年経ち、2年経つうちに病状はどんどん悪く😵なって、

発作💥や肺炎💢を繰り返して
月に1度は入院🏥するようになったんです。

周りには精いっぱい✨明るく☀️振る舞っていたんですけど、

心💓の中は

「幸せ💕になると言われたのに、

どんどん不幸になっていくやんか😨」

と思うわけです。😊

(逆に状況は厳しく⚡️なったと)


娘につきっきりで、3歳の息子👦は放ったらかし☁️です。

12月のある日、入院中の病院🏥から、夜電話してみたら

「寒いよ、お母さん…😨」

と。

慌てて💢タクシー🚕で戻ったら、
こたつに首まで潜り込んで震えて⚡️いたんです…。

「こんな時くらい家🏠にいてやってよ」

と、夫を責めたり💥もするようになるんですよね。😔

娘と息子の間で、体が張り裂け💢そうでしたし、

娘ももう十分苦しんだから、心臓💓を止めて⚠️楽にしてやってください🙏って思う時もありました。😔

1人になると、泣いて😢いました。


冬⛄️の日、

バス🚌に乗ると「音🎵刺激」で娘が発作💥を起こして、

泣き叫ぶので、バスに乗れず、

粉雪⛄️の中、娘をおんぶして息子を抱いてバス停をいくつも歩く👟👟わけです。

横の国道、大きなトラック🚚がゴーゴー走って、

「あ〜、50センチ車道に入ったら、全てが終わる」

と、思ったこともありました。😵

人間🍀って不思議なもので、

魔😈がさすっていうのか😵、、、

何メートルが歩くと、

これ以上、不幸にはならないだろう✊と笑えて😊きたものです。


(どのようにして乗り切られたのですか)

唯一本音🌸を吐けたのが、先ほどお話しした筋ジスの息子さんを育てた女性🌸だったんですけど、

いつ訪ねても

「あんたが、変わらなければ、あかんのやで😊」

とおっしゃるんです。

私はいつも周りの人に明るく☀️振る舞っているのに

「あんたが変わらなければあかん」

と。😵

かのこを京都の病院🏥へ連れて行くためにJR京都線🚋に乗っていたんですね。

発作でいつ泣き出すか分からないので、

いつもすぐ降りられるようにドア🚪のところに立つようにしていました。

山崎駅で電車🚋が止まって、外を見たら、

田んぼが緑🍀の絨毯のように広がっていたんです。

その間の道を、赤い車🚗が走っていく。

思わず

「かのこちゃん、あの車🚗の中には幸せ💕な家族🌸が乗っているんやろうね🎵」

って呟(つぶや)いていました。

その時、初めて気がついたんです。🌟🌟🌟

「あ、私は、自分のことをメチャクチャ不幸や😵と思ってるんやな🌟」

と。😊

(それまで自覚🌟がなかった)


心💓の奥に押し隠して🌚いたんでしょうね、😊

無意識に、いい母🌸を演じていたんでしょう。

そして、

「変わらなければあかん✊」
というのは、

心💓の闇🌚の部分だったんだなと。😊

いくら表面を取り繕っても、

私の本質⚡️は、かのこが生まれた瞬間🌟から、全く変わっていなかったことに気づいた🌟んです。😊

その山崎で、私は

「変わろう✊」

と誓い✨ました。😊

かのこが歩けないからって何が悪いの。✊

歩けなくても、世界一🌏幸せ💕な子にしてやろう。😊🎵

夫も、私が精いっぱい✨助けて、一流👑の学者🏫にしよう。

そして私も、諦めていた文章📝を書いてお金💰をもらうことに、もう一回挑戦🌟しようと。😊✊

結果的に、息子は元気🍀に成長してくれましたし、

夫は大学教授🏫になり、

私も機会に恵まれて作家デビュー🌟を果たすことができました。😊🎵

それもこれも、全部、あの山崎の誓い✊✨があって実現🌸したことです。


(まさに人生🍀を変える🔄転機🌸となったわけですね)


私を叩き💢直して💫下さった女性🌸は、

2年前に亡くなり😇ました。

生前、

「『あんたが変わらなければあかん』

という言葉🍀に支えられました😢」

ってお礼✨を言ったら、

「あれは、私の言葉🍀じゃないねん」

っておっしゃいました。😊

ご自分が筋ジスの息子さんを抱えて泣いて😢いた時に、

先輩🍀のお母さん🌸から言われたんだと。😊🌟

あぁ、力✊のある言葉🍀って受け継がれていくんだなと思って、

私もいま、障がい児😵のお母さんが相談🍀に見える度に

「あんたが変わらければ、あかんよ😊」

と、お伝え🎵しているんです。😊☀️


(つづく)

(「致知」5月号 脇谷みどりさんより)