アルツハイマー薬②
(杉本さんの研究者としての原点について教えてください)
🔹杉本、よく「逆境が人生最大の教育者だ」と言いますが、幼少期の家庭環境が人格形成の基礎となったのは間違いありません。
私は9人兄弟の8番目で次男でした。
家が貧しかったので小学生の頃はお弁当を持っていけず、
雨が降っても家に傘が足りないので濡れながら学校に行っていたんです。
その上、どんくさくて勉強もできなかったので、格好のいじめの対象でした。
家に帰っても、女きょうだいが多くて、兄とはちょうどひと回り年齢が離れていたので相談相手がいない。
その孤独感を救ってくれたのが読書でした。
洋の東西を問わず、様々な本を読みふけりました。
あと、母の後ろ姿を見て育ったことが何より大きかったですね。
(どんなお母様でしたか?)
🔹杉本、母は本当に苦労人でした。
父が戦後事業に失敗し、日雇い労働者として働きに出てはその給料をすべて呑み代に使ってしまう代わりに、
母は昼間はガラス工場、夜は内職をしながら9人の子供を育ててくれたんです。
その母の苦労を知っているので、きょうだい全員がなんとしても親孝行したいと思っていました。
そのため社会人になると、皆が封を切らずに給料袋を持って帰ってくる。
母親はそれが自慢だったようで、いつも仏壇に並べていましたね。
(お母様の一生懸命に働く姿が杉本さんの原点だと)
🔹杉本、私は本が好きだったので、本当は小説家や詩人になりたかったんですけど、
「工業高校に進学すれば卒業後すぐ職に就けるから」
と母に勧められ、工業高校に進学しました。
卒業後はその時求人があったエーザイに入社したんですけど、
製薬会社だというのは採用されてから知りました(笑)。
高卒だと補助研究員として実験道具を準備したりわ器具を洗う仕事しかできなかったため、
働きながら職場の近くにあった中央大学の夜間部に通い、卒業後に正規の研究員にしてもらいました。
(剣道はお若い頃からされていたのですか?)
🔹杉本、高校の頃から熱中していまして、エーザイにも剣道部を作ったんです。
定時になるとすぐに仕事を切り上げ、当時は会社の屋上で稽古に明け暮れていました。
私の恩師は地福義彦先生と言って、「警視庁の三羽ガラス」と呼ばれるほどの腕の持ち主で、
その厳しい指導のおかげで剣道が強くなったのみならず、剣道を通じて人生の処世訓も教わりました。
(例えばどんなことですか?)
🔹杉本、剣道では「間合い」が大切です。
宮本武蔵は相手の太刀と我が身との間合いを見切っていたから強かったといわれています。
人間関係も同様で、上司との間合い、部下との間合い、それをきちんと見切れていれば失礼はありません。
その間合いを間違えるから「間抜け」になるんです(笑)。
他にも、男児として突破する力、勇気を学びました。
「山川の瀬々を流るる栃殻(といがら)も身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」
という有名な古歌がありますね。
栃の実は重いので、川に落ちると沈んでしまう。
でも実を捨てて、殻だけになると浮かんでくると。
これは捨て身、つまり自己を捨てよという教えです。
(ああ、自己を捨てる)
🔹杉本、剣道で言えば、「面」を打ちに行く際、「小手」を打たれたり、「胴」を抜かれる不安があるわけですが、
相手より先に「面」を打てば1本取れる。
勝負の時に恐怖を払い、捨て身になれるか否かが勝敗を決める。
これは生き方にも通じると思います。
(つづく)
(「致知」12月号 杉本八郎さんより)
(杉本さんの研究者としての原点について教えてください)
🔹杉本、よく「逆境が人生最大の教育者だ」と言いますが、幼少期の家庭環境が人格形成の基礎となったのは間違いありません。
私は9人兄弟の8番目で次男でした。
家が貧しかったので小学生の頃はお弁当を持っていけず、
雨が降っても家に傘が足りないので濡れながら学校に行っていたんです。
その上、どんくさくて勉強もできなかったので、格好のいじめの対象でした。
家に帰っても、女きょうだいが多くて、兄とはちょうどひと回り年齢が離れていたので相談相手がいない。
その孤独感を救ってくれたのが読書でした。
洋の東西を問わず、様々な本を読みふけりました。
あと、母の後ろ姿を見て育ったことが何より大きかったですね。
(どんなお母様でしたか?)
🔹杉本、母は本当に苦労人でした。
父が戦後事業に失敗し、日雇い労働者として働きに出てはその給料をすべて呑み代に使ってしまう代わりに、
母は昼間はガラス工場、夜は内職をしながら9人の子供を育ててくれたんです。
その母の苦労を知っているので、きょうだい全員がなんとしても親孝行したいと思っていました。
そのため社会人になると、皆が封を切らずに給料袋を持って帰ってくる。
母親はそれが自慢だったようで、いつも仏壇に並べていましたね。
(お母様の一生懸命に働く姿が杉本さんの原点だと)
🔹杉本、私は本が好きだったので、本当は小説家や詩人になりたかったんですけど、
「工業高校に進学すれば卒業後すぐ職に就けるから」
と母に勧められ、工業高校に進学しました。
卒業後はその時求人があったエーザイに入社したんですけど、
製薬会社だというのは採用されてから知りました(笑)。
高卒だと補助研究員として実験道具を準備したりわ器具を洗う仕事しかできなかったため、
働きながら職場の近くにあった中央大学の夜間部に通い、卒業後に正規の研究員にしてもらいました。
(剣道はお若い頃からされていたのですか?)
🔹杉本、高校の頃から熱中していまして、エーザイにも剣道部を作ったんです。
定時になるとすぐに仕事を切り上げ、当時は会社の屋上で稽古に明け暮れていました。
私の恩師は地福義彦先生と言って、「警視庁の三羽ガラス」と呼ばれるほどの腕の持ち主で、
その厳しい指導のおかげで剣道が強くなったのみならず、剣道を通じて人生の処世訓も教わりました。
(例えばどんなことですか?)
🔹杉本、剣道では「間合い」が大切です。
宮本武蔵は相手の太刀と我が身との間合いを見切っていたから強かったといわれています。
人間関係も同様で、上司との間合い、部下との間合い、それをきちんと見切れていれば失礼はありません。
その間合いを間違えるから「間抜け」になるんです(笑)。
他にも、男児として突破する力、勇気を学びました。
「山川の瀬々を流るる栃殻(といがら)も身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」
という有名な古歌がありますね。
栃の実は重いので、川に落ちると沈んでしまう。
でも実を捨てて、殻だけになると浮かんでくると。
これは捨て身、つまり自己を捨てよという教えです。
(ああ、自己を捨てる)
🔹杉本、剣道で言えば、「面」を打ちに行く際、「小手」を打たれたり、「胴」を抜かれる不安があるわけですが、
相手より先に「面」を打てば1本取れる。
勝負の時に恐怖を払い、捨て身になれるか否かが勝敗を決める。
これは生き方にも通じると思います。
(つづく)
(「致知」12月号 杉本八郎さんより)