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アルツハイマー薬③

2019-12-06 12:38:00 | お話
アルツハイマー薬③

(認知症治療薬の開発に携わるようになった経緯をお聞かせ下さい)

🔹杉本、20代で「デタントール」という降圧薬を開発し、

これからようやく親孝行ができると思っていた33歳の時の、母親が認知症になりました。

ある日母に会いに行くと、

「あんたさん、誰ですか?」と。

「あなたの息子の八郎ですよ」と答えると、
「私にも八郎という息子がいるんです。よろしくお願いします」と。

母は自分の息子の顔すらもわからなくなっていたわけですよ。

本当にショックで悔しかったですね… 。

当時、認知症には治療薬がなかったので、

せっかく製薬会社の研究所にいるのだから、自分で認知症の薬をつくろうと思ったんです。

研究者としてのスイッチがオンになった瞬間でした。

それから家に帰るのも惜しいくらいに残業して、猛烈に仕事に没頭するになったんです。

(お母様の認知症治したい一心で研究に励まれたのですね)

🔹杉本、認知症にはアルツハイマー型などいくつか種類があり、

当初は母がかかった脳血管性認知症の治療薬を模索していました。

しかし2年後に母は亡くなってしまい、研究もなかなか成果が上がらなかった。

8年の歳月をかけてようやく臨床試験までこぎつけたものの、

肝臓に副作用が発見され、研究が打ち切りとなったんです。

それまでに累積で8億円もの経費を使っていたので、社内では、

「八郎が8年で8億円」

と陰口を叩かれていました。

(研究の中止を余儀なくされた上に、社内からも快く思われていなかった)

🔹杉本、その後違う仕事を与えられたんですけど、

認知症の治療薬を作りたいと言う信念は変わらず、様々な論文に目を通していました。

するとある時、脳血管性認知症からアルツハイマー型認知症に研究内容を切り替えてはどうかとひらめいたんです。

ちょうど他チームから成果を期待できる化合物が見つかったこともあり、

上司に何度も直談判し、研究を再開させてもらえることになりました。

(杉本さんの強い信念が研究再開への道を開いたのですね)

🔹杉本、やっぱり、認知症で苦しむのは本人とその家族です。

母が弄弁(ろうべん)する姿も目のあたりにし、認知がどれだけ辛い病気なのかを痛感していたからこそ、

同じ苦しみの中にいる人々を助けたかった。

そんな思いで研究に打ち込んでいると、

3年経った頃、それまでの2万倍以上の成分を含む "最強の化合物" ができ上がったのです。

ようやく完成に漕ぎ着けられる。

そう期待を膨らませていただけに、動物実験の段階で副作用が見つかった時は堪(こた)えましたね。

そして研究の中止とチームの解散を上から命じられてしまったのです… 。

(あと1歩と言う段階で再び壁が立ちはだかった… )

🔹杉本、そこで終わっていればきっとアリセプトはこの世に含まれていなかったでしょう。

絶対に諦めるわけにはいかないという強い信念があったので、

上司を説得し、何とか1年間の猶予をもらうことができました。

その1年は夜を徹するほど研究漬けの日々を送り、

ついに薬効があって副作用のない化合物を発見するに至ったのです。

1990年、48歳の時でした。

(15年の歳月をかけて、ようやく悲願を果たされたのですね)

🔹杉本、やっぱり、発明や発見の前にはある時期、夢中になって打ち込む時期が必要です。

「天は自ら助くる者を助く」

という言葉のごとく、死に物狂いで努力する人のもとに天は味方してくれるのでしょう。

アリセプトはピーク時には年間3000億円を売り上げ、世界中の患者さんに重宝されています。


(つづく)

(「致知」12月号 杉本八郎さんより)