マイストーリー9
政権移行ではその名のとおり、すべてが新しいものに移り変わる。
聖書に手が置かれ、宣誓が繰り返される。
前大統領の家具が運び出され、次の大統領の家具が運び入れられる。
クローゼットは空にされ、また服で満たされる。
そして、寝室の新しい枕では新しい住人が新しい夢を見る。
任期が終わって最後にホワイトハウスを去る日には、また1から自分探しをするための道が目の前にいくつも広がる。
私は再び人生の新たなステージに、新たな始まりに立つのだ。
政治家の妻としての義務からついに解き放たれ、周囲の期待という重荷も降ろした。
2人の娘はもう大きくなって、以前ほど私の手を必要としなくなった。
夫は、もう国家をその両肩に背負ってはいない。
サーシャとマリアに、バラクに、そして自分の仕事とこの国に対する私の責任は変化し、
将来について今までと違った考え方ができるようになるだろう。
じっくり考える時間、シンプルな自分に戻る時間も増えるに違いない。
54歳の私はまだ発展途上で、これからもずっとそうありたいと思う。
私にとって "何かになる" ということは、どこかにたどり着くことでも、目標を達成することでもない。
それは前進する行為であり、
進化の手段であり、よりよい自分になろうと歩みつづけることだ。
その旅に終わりはない。
私は母親になったけれど、子どもから学ぶこと、彼女たちにしてあげることはまだたくさんある。
妻になったからといって、1人の人を心から愛してともに人生を歩むことを完璧にできるようになったわけではなく、
その意味の重さに改めて圧倒されることもある。
影響力を持つ人間とみなされるようになった今でも、
気持ちが不安定になったり自分の意見が聞き入れられないと感じたりする瞬間はある。
何かになることはすべてプロセスの一部であって、
長い道のりの中の一歩にすぎない。
そこには断固たる姿勢と忍耐が求められる。
成長しつづけることを決して諦めてはいけないのだ。
これまで何度も訊かれてきたので、ここではっきりと言っておきたい。
私は政治家になるつもりは、まったくない。
もともと政治を好きになったことは一度もなく、
この10年を経てもその気持ちはほとんど変わっていない。
政治の嫌な部分には今でもうんざりしている。
赤と青で思想を区別して国民をどちらかの側につかせ、
その立場を固持するためには相手の意見に耳をかさなくていい、
譲り合うこともしなくていい、ときには常識さえも見失っていいとするこの国の政治の在り方には嫌気がさす。
もちろん、政治が前向きな変化をもたらすこともできるとは思うが、政治は私の戦いの場ではない。
とはいえ、私がこの国の未来を真剣に考えていないわけではない。
バラクが大統領職を退いて以来、気分が悪くなるようなニュースをいくつも目にしてきた。
ひどい出来事に憤るあまり眠れない夜もあった。
現在の大統領の振る舞いと政策が多くのアメリカ国民を疑心暗鬼に陥らせ、
互いへの不信感お恐怖心を抱かせるのを見ていると心が痛む。
社会のためになるよう入念に練られた政策が次々と覆され、
アメリカが大切な同盟諸国から孤立し、社会的立場の弱い人々が保護されずに人権がないがしろにされるのを見るのは辛い。
いったいどこまで落ちれば底にたどりつくのだろう。
それでも決して悲観的にはならないようにしている。
不安で胸がいっぱいになったときは深呼吸をして、
これまでの人生で目撃してきた人々の尊厳と良識、
この国が乗り越えてきた多くの困難を思い出す。
不安を感じたら、私と同じことをしてほしい。
この民主主義国家では私たち全員に役割がある。
一票一票が持つ力を忘れてはならない。
また私は、一回の選挙や1人のリーダー、1つのニュースにとらわれることなく、
もっと大きくて強力なものとのつながりを絶やさないようにしている、、
それは、前向きな心だ。
私にとってこれはいわば信念であり、恐怖心に打ち勝つ手段だ。
前向きな考え方はユークリッド通りに立つ小さな私の実家に満ちあふれていた。
まるで自分の体には何の問題もないかのように、
いずれは自分の命を奪うことになる病など存在しないかのように家の中を動き回る父の中にそれは息づいていた。
私たちが暮らしている地域を深く信頼し、
近所の人たちが将来への不安から荷物をまとめて引っ越していく中でもその内にとどまることを決めた母親の中にもそういう姿勢が見られた。
そして、希望に満ちた笑みをたたえてシドリーの私のオフィスにやってきたバラクに惹かれたきっかけも、彼の前向きな考え方だった。
のちに私は、こうした考え方のおかげで不安と自分の弱さを乗り越え、
常に国民の注目を浴びることになっても家族は安全で幸せに生きていけると信じることができた。
そして、今でも前向きな心に支えられている。
ファーストレディー時代には、意外なところでも人々の中にその心を見つけた。
戦場で負傷し、ウォルター・リード陸軍医療センターに入院しながらも落ち込む気持ちに抗うため部屋の扉にメモを貼り、
自分は希望を忘れていないと周りに知らせる兵士。
娘を亡くした悲しみを銃規制強化を求める戦いへのエネルギーに変えたクレオパトラ・カウリー・ペンドルトン。
廊下で生徒とすれ違うたびに愛と感謝の気持ちを大きな声で語りかけるハーパー高校のソーシャルワーカー。
また、子どもたちの心にはいつだって前向きな気持ちが根付いている。
子供は毎朝、目を覚ましたとたんに、
今日もいいことがあるかもしれない、
ワクワクすることが起こるかもしれないという気持ちになる。
ひねくれた考えを持たず、心の底から物事を信じられる。
そんな子どもたちのために、私たち大人は強くあり続け、
もっと平等で人道的な世界を作っていかなければならない。
子どもたちのためにも、たくましさと希望を失うことなく、成長には終わりがないのだと考えなければならない。
今やワシントンの国立肖像画美術館にはバラクと私の肖像画が飾られていて、
2人ともそのことをとても光栄に思っている。
私たちの子ども時代や育った環境を見てきた人たちのいったい誰が、私たちがここまで行き着くなどと予想できただろう。
肖像画そのものも素敵だけれど、何よりも大事なのは、
そこに飾られた私たちの姿を若い人たちが見ることだ。
そこに私たちの顔があることで、
歴史に名を刻むには決められた外見をしていなくてはならないという考えを
少しでも取り除くことができるかもしれない。
私たち2人がそこにいるのだから、他の多くの人たちにもその可能性があると考えるだろう。
私は、いつの間にか普通ではない旅に出ることになった、いたって普通の人間だ。
そんな私が自らの経験を語ることで、
他の人も自分の経験を語って意見を発信し、
誰がどんな理由でそこにいるのかが伝わっていく可能性が広がればいいと思う。
石造りの城に、都会に立つ学校の教室に、
アイオワのキッチンに足を踏み入れる機会を持てた私は、
いつでも自分らしく、そこにいる人々とつながりを築こうとした。
自分に向けてドアが開かれれば、私も相手に向けて自分のドアを開いた。
最後にこう伝えたい、、、
みんなでお互いを迎え入れよう。
そうすればきっと、私たちは恐怖心をなくし、
誤解を減らし、
互いを不必要に隔てる偏見や先入観を手放せるはずだから。
そうすればきっと、私たちは皆同じなのだという考えをうまく受け入れられるようになるだろう。
完璧などを目指さなくていい。
最後にどこに辿り着けるかが問題ではない。
自分自身と自分の意見を知ってもらい、
自分にしかない経験を本音で語ることには大きな力がある。
他者を知ろうとし、他者の意見に耳を傾けることは美しい。
人はそうやって前に進んでいくはずだから。
(おわり)
(「マイ・ストーリー」(集英社)ミッシェル・オバマ著 長尾莉紗 柴田さとみ訳)
政権移行ではその名のとおり、すべてが新しいものに移り変わる。
聖書に手が置かれ、宣誓が繰り返される。
前大統領の家具が運び出され、次の大統領の家具が運び入れられる。
クローゼットは空にされ、また服で満たされる。
そして、寝室の新しい枕では新しい住人が新しい夢を見る。
任期が終わって最後にホワイトハウスを去る日には、また1から自分探しをするための道が目の前にいくつも広がる。
私は再び人生の新たなステージに、新たな始まりに立つのだ。
政治家の妻としての義務からついに解き放たれ、周囲の期待という重荷も降ろした。
2人の娘はもう大きくなって、以前ほど私の手を必要としなくなった。
夫は、もう国家をその両肩に背負ってはいない。
サーシャとマリアに、バラクに、そして自分の仕事とこの国に対する私の責任は変化し、
将来について今までと違った考え方ができるようになるだろう。
じっくり考える時間、シンプルな自分に戻る時間も増えるに違いない。
54歳の私はまだ発展途上で、これからもずっとそうありたいと思う。
私にとって "何かになる" ということは、どこかにたどり着くことでも、目標を達成することでもない。
それは前進する行為であり、
進化の手段であり、よりよい自分になろうと歩みつづけることだ。
その旅に終わりはない。
私は母親になったけれど、子どもから学ぶこと、彼女たちにしてあげることはまだたくさんある。
妻になったからといって、1人の人を心から愛してともに人生を歩むことを完璧にできるようになったわけではなく、
その意味の重さに改めて圧倒されることもある。
影響力を持つ人間とみなされるようになった今でも、
気持ちが不安定になったり自分の意見が聞き入れられないと感じたりする瞬間はある。
何かになることはすべてプロセスの一部であって、
長い道のりの中の一歩にすぎない。
そこには断固たる姿勢と忍耐が求められる。
成長しつづけることを決して諦めてはいけないのだ。
これまで何度も訊かれてきたので、ここではっきりと言っておきたい。
私は政治家になるつもりは、まったくない。
もともと政治を好きになったことは一度もなく、
この10年を経てもその気持ちはほとんど変わっていない。
政治の嫌な部分には今でもうんざりしている。
赤と青で思想を区別して国民をどちらかの側につかせ、
その立場を固持するためには相手の意見に耳をかさなくていい、
譲り合うこともしなくていい、ときには常識さえも見失っていいとするこの国の政治の在り方には嫌気がさす。
もちろん、政治が前向きな変化をもたらすこともできるとは思うが、政治は私の戦いの場ではない。
とはいえ、私がこの国の未来を真剣に考えていないわけではない。
バラクが大統領職を退いて以来、気分が悪くなるようなニュースをいくつも目にしてきた。
ひどい出来事に憤るあまり眠れない夜もあった。
現在の大統領の振る舞いと政策が多くのアメリカ国民を疑心暗鬼に陥らせ、
互いへの不信感お恐怖心を抱かせるのを見ていると心が痛む。
社会のためになるよう入念に練られた政策が次々と覆され、
アメリカが大切な同盟諸国から孤立し、社会的立場の弱い人々が保護されずに人権がないがしろにされるのを見るのは辛い。
いったいどこまで落ちれば底にたどりつくのだろう。
それでも決して悲観的にはならないようにしている。
不安で胸がいっぱいになったときは深呼吸をして、
これまでの人生で目撃してきた人々の尊厳と良識、
この国が乗り越えてきた多くの困難を思い出す。
不安を感じたら、私と同じことをしてほしい。
この民主主義国家では私たち全員に役割がある。
一票一票が持つ力を忘れてはならない。
また私は、一回の選挙や1人のリーダー、1つのニュースにとらわれることなく、
もっと大きくて強力なものとのつながりを絶やさないようにしている、、
それは、前向きな心だ。
私にとってこれはいわば信念であり、恐怖心に打ち勝つ手段だ。
前向きな考え方はユークリッド通りに立つ小さな私の実家に満ちあふれていた。
まるで自分の体には何の問題もないかのように、
いずれは自分の命を奪うことになる病など存在しないかのように家の中を動き回る父の中にそれは息づいていた。
私たちが暮らしている地域を深く信頼し、
近所の人たちが将来への不安から荷物をまとめて引っ越していく中でもその内にとどまることを決めた母親の中にもそういう姿勢が見られた。
そして、希望に満ちた笑みをたたえてシドリーの私のオフィスにやってきたバラクに惹かれたきっかけも、彼の前向きな考え方だった。
のちに私は、こうした考え方のおかげで不安と自分の弱さを乗り越え、
常に国民の注目を浴びることになっても家族は安全で幸せに生きていけると信じることができた。
そして、今でも前向きな心に支えられている。
ファーストレディー時代には、意外なところでも人々の中にその心を見つけた。
戦場で負傷し、ウォルター・リード陸軍医療センターに入院しながらも落ち込む気持ちに抗うため部屋の扉にメモを貼り、
自分は希望を忘れていないと周りに知らせる兵士。
娘を亡くした悲しみを銃規制強化を求める戦いへのエネルギーに変えたクレオパトラ・カウリー・ペンドルトン。
廊下で生徒とすれ違うたびに愛と感謝の気持ちを大きな声で語りかけるハーパー高校のソーシャルワーカー。
また、子どもたちの心にはいつだって前向きな気持ちが根付いている。
子供は毎朝、目を覚ましたとたんに、
今日もいいことがあるかもしれない、
ワクワクすることが起こるかもしれないという気持ちになる。
ひねくれた考えを持たず、心の底から物事を信じられる。
そんな子どもたちのために、私たち大人は強くあり続け、
もっと平等で人道的な世界を作っていかなければならない。
子どもたちのためにも、たくましさと希望を失うことなく、成長には終わりがないのだと考えなければならない。
今やワシントンの国立肖像画美術館にはバラクと私の肖像画が飾られていて、
2人ともそのことをとても光栄に思っている。
私たちの子ども時代や育った環境を見てきた人たちのいったい誰が、私たちがここまで行き着くなどと予想できただろう。
肖像画そのものも素敵だけれど、何よりも大事なのは、
そこに飾られた私たちの姿を若い人たちが見ることだ。
そこに私たちの顔があることで、
歴史に名を刻むには決められた外見をしていなくてはならないという考えを
少しでも取り除くことができるかもしれない。
私たち2人がそこにいるのだから、他の多くの人たちにもその可能性があると考えるだろう。
私は、いつの間にか普通ではない旅に出ることになった、いたって普通の人間だ。
そんな私が自らの経験を語ることで、
他の人も自分の経験を語って意見を発信し、
誰がどんな理由でそこにいるのかが伝わっていく可能性が広がればいいと思う。
石造りの城に、都会に立つ学校の教室に、
アイオワのキッチンに足を踏み入れる機会を持てた私は、
いつでも自分らしく、そこにいる人々とつながりを築こうとした。
自分に向けてドアが開かれれば、私も相手に向けて自分のドアを開いた。
最後にこう伝えたい、、、
みんなでお互いを迎え入れよう。
そうすればきっと、私たちは恐怖心をなくし、
誤解を減らし、
互いを不必要に隔てる偏見や先入観を手放せるはずだから。
そうすればきっと、私たちは皆同じなのだという考えをうまく受け入れられるようになるだろう。
完璧などを目指さなくていい。
最後にどこに辿り着けるかが問題ではない。
自分自身と自分の意見を知ってもらい、
自分にしかない経験を本音で語ることには大きな力がある。
他者を知ろうとし、他者の意見に耳を傾けることは美しい。
人はそうやって前に進んでいくはずだから。
(おわり)
(「マイ・ストーリー」(集英社)ミッシェル・オバマ著 長尾莉紗 柴田さとみ訳)