🌸内助の功🌸
当時、馬は武士のステイタスシンボルでした。
いい馬に乗っているのほど経済力があるということだったからです。
「雑兵(ぞうひょう)」と呼ばれ、その他大勢の扱いをされる足軽なんかは自分の馬を持てません。
ところが一段昇格して侍になると、「旗指物(はたさしもの)」という自分の紋をつけた自分だけの馬に乗れるようになります。
戦の時には目付という役所の人がその紋を見ているので、名声に繋がるのです。
また、足軽は槍や刀を貸してもらえますが、
給料もらう侍は自分で武装を揃えなきゃいけません。
現在と同じですね。
そして自分のお金できちんとした鎧や刀、馬を揃えていると、
主君から
「おまえは心がけのいい侍だ」
と褒められることになります。
そんな中、織田家に1人の侍がいました。
NHKの大河ドラマ『功名が辻』の主人公にもなった山内一豊(かずとよ)です。
彼は貧乏侍でしたから、馬を持っていませんでした。
ある時、奥州から見事な名馬を引いてきた商人がいました。
「いいな」と思った一豊が値段を聞いてみると、金10枚、100両です。
「そんな金はない」と一豊が言うと、商人は彼を馬鹿にします。
「安土といえば天下人の織田信長がいるというのに、
その家来はろくに金も持ってないのか」
と。
一豊が悄然と家に帰ると、その話を聞いた妻の千代さんは
「じゃあ、あなたこれで買ってください」
と言って、なんと金10枚をぽんと出してくれました。
千代さんは夫の有事に備えてそんな大金をこっそり持っていたのです。
それで一豊はその馬を買うことができました。
その後、京都で軍事パレード「馬揃え」が行われました。
これは天皇に対し
「織田の家中には素晴らしい兵がおります」
とアピールするもので、織田家に仕える全ての家来たちが自慢のかたなや槍、馬を携えて信長と天皇の前に出るのです。
そんな時、武装は貧しいのにすごい名馬に乗っている一豊が出てきたものですから「あいつを誰だ」と注目を集めました。
「あれは山内一豊というのか。あんないい馬をどうしたのだ」
と尋ねた信長は一豊が馬を手に入れるまでのいきさつを聞き、二度感心したといいます。
1つはそのような名馬を買おうとした一豊の心がけがいいということ。
そしてもう一つはとっさに機転を利かせて金を工面できた妻が素晴らしいということ。
別のところに行った商人に
「織田家は馬も買えない貧乏侍ばかりだった」
と吹聴されてしまったら織田家全体の恥になるからです。
「それをおまえたち夫婦はよくぞカバーしてくれた」
と言うことで、
この出来事が山内一豊の出世のきっかけになったといいます。
この話は江戸時代は「婦道」、明治時代には「修身」という、
今でいう道徳の教科書に載っていました。
だからかなり有名な話なのです。
「夫の外部での働きを支える妻の功績」
や「影の功労者」を指す言葉である「内助の功」の語源を探っていくと、
必ず山内一豊の妻、千代さんの話が出てくるんですよ。
(「みやざき中央新聞」H30.2.26 井沢元彦さんより)
当時、馬は武士のステイタスシンボルでした。
いい馬に乗っているのほど経済力があるということだったからです。
「雑兵(ぞうひょう)」と呼ばれ、その他大勢の扱いをされる足軽なんかは自分の馬を持てません。
ところが一段昇格して侍になると、「旗指物(はたさしもの)」という自分の紋をつけた自分だけの馬に乗れるようになります。
戦の時には目付という役所の人がその紋を見ているので、名声に繋がるのです。
また、足軽は槍や刀を貸してもらえますが、
給料もらう侍は自分で武装を揃えなきゃいけません。
現在と同じですね。
そして自分のお金できちんとした鎧や刀、馬を揃えていると、
主君から
「おまえは心がけのいい侍だ」
と褒められることになります。
そんな中、織田家に1人の侍がいました。
NHKの大河ドラマ『功名が辻』の主人公にもなった山内一豊(かずとよ)です。
彼は貧乏侍でしたから、馬を持っていませんでした。
ある時、奥州から見事な名馬を引いてきた商人がいました。
「いいな」と思った一豊が値段を聞いてみると、金10枚、100両です。
「そんな金はない」と一豊が言うと、商人は彼を馬鹿にします。
「安土といえば天下人の織田信長がいるというのに、
その家来はろくに金も持ってないのか」
と。
一豊が悄然と家に帰ると、その話を聞いた妻の千代さんは
「じゃあ、あなたこれで買ってください」
と言って、なんと金10枚をぽんと出してくれました。
千代さんは夫の有事に備えてそんな大金をこっそり持っていたのです。
それで一豊はその馬を買うことができました。
その後、京都で軍事パレード「馬揃え」が行われました。
これは天皇に対し
「織田の家中には素晴らしい兵がおります」
とアピールするもので、織田家に仕える全ての家来たちが自慢のかたなや槍、馬を携えて信長と天皇の前に出るのです。
そんな時、武装は貧しいのにすごい名馬に乗っている一豊が出てきたものですから「あいつを誰だ」と注目を集めました。
「あれは山内一豊というのか。あんないい馬をどうしたのだ」
と尋ねた信長は一豊が馬を手に入れるまでのいきさつを聞き、二度感心したといいます。
1つはそのような名馬を買おうとした一豊の心がけがいいということ。
そしてもう一つはとっさに機転を利かせて金を工面できた妻が素晴らしいということ。
別のところに行った商人に
「織田家は馬も買えない貧乏侍ばかりだった」
と吹聴されてしまったら織田家全体の恥になるからです。
「それをおまえたち夫婦はよくぞカバーしてくれた」
と言うことで、
この出来事が山内一豊の出世のきっかけになったといいます。
この話は江戸時代は「婦道」、明治時代には「修身」という、
今でいう道徳の教科書に載っていました。
だからかなり有名な話なのです。
「夫の外部での働きを支える妻の功績」
や「影の功労者」を指す言葉である「内助の功」の語源を探っていくと、
必ず山内一豊の妻、千代さんの話が出てくるんですよ。
(「みやざき中央新聞」H30.2.26 井沢元彦さんより)