花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

鎌倉 長谷界隈であじさい巡り

2009-06-20 | 鎌倉の四季
                              【成就院にて】

今では『あじさい』は鎌倉を代表する花になっています。
雨の予報でしたが薄日の差すなかを、歴史を偲ばせ紫陽花が彩りを添えて好い一日でした。
江ノ電で極楽寺下車。駅前からあじさいに誘導されるように歩いてゆくと、狭い脇道を登ったところにお墓があります。

【上杉憲方の墓】
上杉憲方(1335~94)は山ノ内上杉の祖で、足利氏満に仕え関東管領を努めました。この辺り一帯は極楽寺跡といわれその広大さが偲ばれます。
          

【成就院】
「開山」である弘法大使が東国巡錫の折、虚空蔵菩薩を祀り護摩を焚いた場所だと言われています。
       

 
「開基」第三代執権北条泰時は北条一族の繁栄を祈願すると共に、極楽寺切通の要衝の防衛を担っておりました。
成就院山門に続く参道は、人間の煩悩の数と同じ108段の石段が刻まれ、般若心経の文字と同じ262本の紫陽花が植えられています。
 《参道のピークからの眺め》
     

「星ノ井」→「虚空蔵堂」→「御霊神社」
上記を過ぎると タイトルの「長谷のあじさい巡り」の本番へ到着です。

【長谷寺】
この寺院への訪れは数知れませんが、何時も面白いと思っていることがあります。
《縁起について、720年「開山」の徳道上人が大和国長谷初瀬において、楠の霊木から二体の観音像を造立。一体は大和に安置し、他の一体を海に流した処16年後相模国三浦に漂着した。その像を鎌倉に移して736年長谷寺の開創の礎にしたと寺伝に記されている》と言うくだりです。

広大な寺域は上下に広がっていて、裏山の眺望散策路には40種以上の紫陽花が美しい彩を見せています。

《綺麗なブルー》

 
《ギボウシと共に》
       

《吊灯篭》
         
   
《柏葉あじさい》
         

長谷寺の紫陽花は2500株以上も植えられています。
西洋あじさいの長谷寺。 日本あじさいの明月院。と並び称されていますが・・・
特に明月院の青色は明月院ブルーと言われています。長谷寺のブルーは少し明るいようですが別称があるのでしょうか。

地図上では、光則寺は長谷寺の北側ですが迂回して坂道を登った所に「花の寺」はありました。

【光則寺】
日蓮が宿谷行時を通じて「立正安国論」を鎌倉幕府得宗の北条時頼に建白しますが、受け入れられないため幕府を激しく攻撃しました。1271年日蓮は捕らえられて佐渡へ流罪となります。行時の子光則は自邸のあったこの地で、日蓮と共に捕らえられた日朗を監視する役目に付きました。日蓮が流刑の前夜日朗に送ったといわれる手紙の、弟子の身を案じる文に心打たれ、後に日蓮宗に帰依し自邸を寺にします。そして寺号を自らの名前から光則寺としたのです。
自らの名前をつけお寺としたことに心惹かれてしまうのですが、門前から広い庭園や裏山の今も残る土牢や墓地などのあらゆる所に花を咲かせ花のマップを頂くことも出来ますし、その上花の無い時期の木に写真を下げ名前が記してあるのです。
戦いで多くの弔いを繰り返した寺の宿命を、せめてもの花で飾っておられるのではないかと想像するのです。

紫陽花が少し遅かったようですが彩りがいいですね。

《光則寺のあじさい》
     

《八重ドクダミ》
     

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