【美術館の中庭】
『十二の旅:感性と経験のイギリス美術』と題した美術展の案内を目にした時、何が展開されようとしているのか見当がつきませんでした。副題に「木との対話の日々」とあり、自身山に分け入る時など大木に身を寄せてみる事があるので、見当違いな事を思っていました。
☆「旅」は、古来より私たちに計り知れない体験をもたらしてきました。ヨーロッパの西北に位置し、日本と同様小さな島国であるイギリスの文化にとっても「旅」は欠くことのできない要素です。本展は、19世紀以降の12人のイギリスの作家を取りあげ、「旅」が彼等にもたらしたものを考察しようとする試みです。その旅とは、単に地理的な移動のみに留まらず、はるか古代への時間の旅、また自己の記憶をさかのぼる旅でもあり、時として政治的に強制された旅であったりもします。
この12人は、時代も作風も異なりながら、日本と浅からぬかかわりをもち、また日本でよく知られた作家たちでもあります。彼等にとって、「旅」とは、そして日本とはどのような存在であったのか。また私たち日本人は、彼等によるイギリス文化をどのように受け止めるのか。本展では、日本とイギリス両国の交流を「旅」をキーワードに読み解いていきます。
そこには、普段なにげなく目にする風景への驚くべき視覚の転換が潜んでいるのではないでしょうか。なお本展は、日英修好通商条約締結150年を記念して行われるUK-Japan 2008参加企画です。
☆以上は主催者からの開催概要です☆
出品作家
J. M. W. ターナー(1775-1851)
ジョン・コンスタブル(1776-1873)
チャールズ・ワーグマン(1832-891)
バーナード・リーチ(1887-1979)
ヘンリー・ムーア(1898-1986)
ベン・ニコルソン(1894-1982)
デイヴィッド・ホックニー(1937-)
ボイル・ファミリー(マーク・ボイル 1934-2005、ジョーン・ボイル 1931-、セバスチャン・ボイル1962-、ジョージア・ボイル 1963-)
アンソニー・グリーン(1939- )
デイヴィッド・ナッシュ(1945- )
モナ・ハトゥム(1952- )
アンディ・ゴールズワージー(1956-)
以上12名。良く聞く名前の人よりも知らない人の方が多いのですが、特に4名に限って私の知りえた事と思いを綴ってみることに致しましょう。
【J.M.W.ターナー】
ロンドンに生まれロンドンに没します。イギリスの美術史上最も偉大な画家とされ、風景画家としてヨーロッパを旅して油彩や水彩を描き、今日水彩画家の用いるテクニックでターナーが用いなかったテクニックはないと言われるほど、水彩画の技術の発展に寄与しました。
又イギリスに留学した夏目漱石を魅了した話は有名です。
《セント・マイケル山 コーンウォール》
【バーナード・リーチ】
香港に生まれ、イギリスのセント・アイヴスに没します。幼い頃に滞在した日本に再び。今度はラフカディオ・ハーンの日本に憧れての旅でした。そこで柳宗悦、富本健吉ら「白樺」の人々との出会い、陶芸との出会いをもたらします。彼の理想「東と西の結婚」こそ、今日に至る日英両国の文化交流に豊かな実りをもたらすものとなりました。
《蛸絵大皿》
《陶板画》
【チャールズ・ワーグマン】
ロンドンで生まれ横浜で没します。「イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ」の特派員として来日しました。維新の混乱期 生麦事件等を伝える一方で、イギリス人の目に映る不可思議な日本の日常を描きとめて行きます。本来画家ではなかったのですが、その油彩技術は高橋由一ら洋画黎明期の画家たちを魅了しました。
小品ながら日本女性の油彩画を展示場で数点拝見しましたが 細密で実に美しい作品でした。日本人と結婚し男児をもうけます。外人墓地に葬られました。
《富士遠望図》
【デイヴィッド・ナッシュ】
イギリスのサリーに生まれ現在に至っています。ナッシュの旅は自然の奥深くに入り込み、素材に出会い対話を重ねながら造形してゆく現地主義。その場と自分との関係の深まりから生まれると作者は語っています。1982年の初来日以来、日光をはじめ各地に分け入って制作し、出会った素材との対話を綴ったドローイングはナッシュの旅の絵日記です 沢山展示されています。
《歩く椅子》
☆『デイヴィッド・ナッシュ 木との対話の日々』
講師:塩田純一(東京都庭園美術館副館長)
講堂での講演を拝聴しました。
① 「ミズナラとの20日間」 1982年 奥日光光徳
ビデオを駆使してミズナラの倒木からイメージが出来、作品を生み出す過程を説明。そして作品の誕生。
○キャップト・アーチ ○フイッシュ ○リバー・トンネル ○クラッキング・ボックス ○トゥワリング・ボックス ○ウオール・ラダー ○フロア・ラダー
○スノー・ストーブ(かまくら様のもので中で火を燃やす事で解けてゆく様を観察する) ○筧(栃木美術館の屋外展示場へ 芽が出るとそれは木の蘇りと認識)
②「樹のいのち 樹のかたち」1984年 奥日光光徳
○リング・オーブン(樺のリングを焼く) ○スタンディング・カット(山を見下ろす木精) ○黒い丸石、ラフな台座の上のラフなオブジェクト ○ムーン・ピラミッド ○ステップ・アサイド ○羊の親子 ○ダケカンバのテーブルと椅子 ○竹のストーブ(奥日光には竹がなくて今市に移動してストーブをつくる)
③ウェールズにおける制作
ナッシュはウェールズに住んでいる。石材が採れていたが今は採り尽くして廃墟になってしまった。そこで教会を修造して300点位の作品を収納している。
○ブライナイ・フェスティニオグのアトリエ
○トネリコのドーム(生きている木を作品とする・・トネリコを20本位 円形に植えて1m位に成長した所で曲げて繁らす事でドーム型にする20年位かける)
○木の丸石(ゴツゴツの球形の丸太→流す→変形→苔が生える→一抱えもある木の球を何年もかけて 長時間撮影で追い続けて海に没するまでの執念を見る・・丘に留まり、浅瀬につかまり・・見失いつつも1978~2003の間に)
世田谷美術館は南西に砧公園が広がり何時も大勢の人々が集っています。西洋風の建物は落ち着いて、中庭には大きく枝を広げた大樹と、程よい数のブロンズ像が配されて 何時も満ち足りた気持ちになって帰っています。
【中庭を眺める】
『十二の旅:感性と経験のイギリス美術』と題した美術展の案内を目にした時、何が展開されようとしているのか見当がつきませんでした。副題に「木との対話の日々」とあり、自身山に分け入る時など大木に身を寄せてみる事があるので、見当違いな事を思っていました。
☆「旅」は、古来より私たちに計り知れない体験をもたらしてきました。ヨーロッパの西北に位置し、日本と同様小さな島国であるイギリスの文化にとっても「旅」は欠くことのできない要素です。本展は、19世紀以降の12人のイギリスの作家を取りあげ、「旅」が彼等にもたらしたものを考察しようとする試みです。その旅とは、単に地理的な移動のみに留まらず、はるか古代への時間の旅、また自己の記憶をさかのぼる旅でもあり、時として政治的に強制された旅であったりもします。
この12人は、時代も作風も異なりながら、日本と浅からぬかかわりをもち、また日本でよく知られた作家たちでもあります。彼等にとって、「旅」とは、そして日本とはどのような存在であったのか。また私たち日本人は、彼等によるイギリス文化をどのように受け止めるのか。本展では、日本とイギリス両国の交流を「旅」をキーワードに読み解いていきます。
そこには、普段なにげなく目にする風景への驚くべき視覚の転換が潜んでいるのではないでしょうか。なお本展は、日英修好通商条約締結150年を記念して行われるUK-Japan 2008参加企画です。
☆以上は主催者からの開催概要です☆
出品作家
J. M. W. ターナー(1775-1851)
ジョン・コンスタブル(1776-1873)
チャールズ・ワーグマン(1832-891)
バーナード・リーチ(1887-1979)
ヘンリー・ムーア(1898-1986)
ベン・ニコルソン(1894-1982)
デイヴィッド・ホックニー(1937-)
ボイル・ファミリー(マーク・ボイル 1934-2005、ジョーン・ボイル 1931-、セバスチャン・ボイル1962-、ジョージア・ボイル 1963-)
アンソニー・グリーン(1939- )
デイヴィッド・ナッシュ(1945- )
モナ・ハトゥム(1952- )
アンディ・ゴールズワージー(1956-)
以上12名。良く聞く名前の人よりも知らない人の方が多いのですが、特に4名に限って私の知りえた事と思いを綴ってみることに致しましょう。
【J.M.W.ターナー】
ロンドンに生まれロンドンに没します。イギリスの美術史上最も偉大な画家とされ、風景画家としてヨーロッパを旅して油彩や水彩を描き、今日水彩画家の用いるテクニックでターナーが用いなかったテクニックはないと言われるほど、水彩画の技術の発展に寄与しました。
又イギリスに留学した夏目漱石を魅了した話は有名です。
《セント・マイケル山 コーンウォール》
【バーナード・リーチ】
香港に生まれ、イギリスのセント・アイヴスに没します。幼い頃に滞在した日本に再び。今度はラフカディオ・ハーンの日本に憧れての旅でした。そこで柳宗悦、富本健吉ら「白樺」の人々との出会い、陶芸との出会いをもたらします。彼の理想「東と西の結婚」こそ、今日に至る日英両国の文化交流に豊かな実りをもたらすものとなりました。
《蛸絵大皿》
《陶板画》
【チャールズ・ワーグマン】
ロンドンで生まれ横浜で没します。「イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ」の特派員として来日しました。維新の混乱期 生麦事件等を伝える一方で、イギリス人の目に映る不可思議な日本の日常を描きとめて行きます。本来画家ではなかったのですが、その油彩技術は高橋由一ら洋画黎明期の画家たちを魅了しました。
小品ながら日本女性の油彩画を展示場で数点拝見しましたが 細密で実に美しい作品でした。日本人と結婚し男児をもうけます。外人墓地に葬られました。
《富士遠望図》
【デイヴィッド・ナッシュ】
イギリスのサリーに生まれ現在に至っています。ナッシュの旅は自然の奥深くに入り込み、素材に出会い対話を重ねながら造形してゆく現地主義。その場と自分との関係の深まりから生まれると作者は語っています。1982年の初来日以来、日光をはじめ各地に分け入って制作し、出会った素材との対話を綴ったドローイングはナッシュの旅の絵日記です 沢山展示されています。
《歩く椅子》
☆『デイヴィッド・ナッシュ 木との対話の日々』
講師:塩田純一(東京都庭園美術館副館長)
講堂での講演を拝聴しました。
① 「ミズナラとの20日間」 1982年 奥日光光徳
ビデオを駆使してミズナラの倒木からイメージが出来、作品を生み出す過程を説明。そして作品の誕生。
○キャップト・アーチ ○フイッシュ ○リバー・トンネル ○クラッキング・ボックス ○トゥワリング・ボックス ○ウオール・ラダー ○フロア・ラダー
○スノー・ストーブ(かまくら様のもので中で火を燃やす事で解けてゆく様を観察する) ○筧(栃木美術館の屋外展示場へ 芽が出るとそれは木の蘇りと認識)
②「樹のいのち 樹のかたち」1984年 奥日光光徳
○リング・オーブン(樺のリングを焼く) ○スタンディング・カット(山を見下ろす木精) ○黒い丸石、ラフな台座の上のラフなオブジェクト ○ムーン・ピラミッド ○ステップ・アサイド ○羊の親子 ○ダケカンバのテーブルと椅子 ○竹のストーブ(奥日光には竹がなくて今市に移動してストーブをつくる)
③ウェールズにおける制作
ナッシュはウェールズに住んでいる。石材が採れていたが今は採り尽くして廃墟になってしまった。そこで教会を修造して300点位の作品を収納している。
○ブライナイ・フェスティニオグのアトリエ
○トネリコのドーム(生きている木を作品とする・・トネリコを20本位 円形に植えて1m位に成長した所で曲げて繁らす事でドーム型にする20年位かける)
○木の丸石(ゴツゴツの球形の丸太→流す→変形→苔が生える→一抱えもある木の球を何年もかけて 長時間撮影で追い続けて海に没するまでの執念を見る・・丘に留まり、浅瀬につかまり・・見失いつつも1978~2003の間に)
世田谷美術館は南西に砧公園が広がり何時も大勢の人々が集っています。西洋風の建物は落ち着いて、中庭には大きく枝を広げた大樹と、程よい数のブロンズ像が配されて 何時も満ち足りた気持ちになって帰っています。
【中庭を眺める】