花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

皆既日食

2009-07-25 | Weblog
                          【ダイヤモンドリング】

日本中が沸いた皆既日食でした。私の入会している撮影会からも「日食撮影特集号」が届き詳細に注意書きがありました。

☆ピンホールの利用  ☆木漏れ日を見る  ☆日食グラスを使う
☆デジタル一眼レフに依る撮影  ☆天体望遠鏡に依る撮影
★撮影方法
☆三脚・リモコンの利用  ☆ピント マニュアル 絞り ISO WB

色々とテクニックを書き送って頂いて、私のような未熟者が一人で撮ろうとするにはとてもありがたく、準備を進めたのでした。

前日からの天気予報は決して芳しいものではありませんでした。
ニュースに依ると東京ではかなりの人が、撮影可能だったとか。横浜でも薄日が差した処もあったようですが、我が家の上空は厚い雲が幾重にもガードしていました。

太陽の撮影は諦めても、せめて木漏れ日の地面の半月を撮ることが出来たらなぁ~と・・思い続けたのでしたが・・
このblogは後々読み返すこと、老後の楽しみになるものならばとの思いもあります。それにはNHKから映像を拝借する事に決めて世紀の天体ショーを数枚貼らせていただきましょう。

     【日食の始まり 恥じらいの色に見える】
      

     【皆既日食 コロナ100万度の輝き】
           

   【プロミネンス 太陽のアクセサリーのような・・地球数個分の大きさ      温度は1万度と低い】
                   

     【ダイヤモンドリング 皆既食が終焉を迎える時再度ダイヤは輝く】
       

今回46年振りに日本領土の上空に皆既日食は出現しました。太陽と月と地球の絶妙な位置関係で起るのです。太陽は月の400倍 その一直線上に地球も並んだ時天空の神秘は始ります。
数分間の漆黒の中で、しかし彼方では夕景のような朝焼けのような光景が現れていました。

古都鎌倉史跡めぐり  建長寺 『施餓鬼会』

2009-07-19 | 鎌倉の四季
  【施餓鬼会】

建長寺は鎌倉五山第一位で正式には巨福山建長寺興国禅寺が正式名です。
総門・三門・仏殿・法堂が一直線上に並ぶ禅宗寺院独特の伽藍配置を採っています。

★8:00 三門下に施餓鬼棚が設けられ、位牌のまわりに果物や野菜などが備えられ、三門には七如来の名前や幡がたなびいています。国宝の梵鐘が厳かに撞かれ館長のお経がはじまります。
  

★「水向け」先ず館長が桶の水をシキミの枝で撒き、三界万霊に供養をします。餓鬼に水や食物を食べさせた事になるのです。次に僧侶が二人ずつ組になって水懸をします。
     

★ 行道(ぎょうどう)が始ります。お経を唱えながら三門の周りを廻る作法です。このお経を浴びる事で私欲が祓え、清浄な境地を得られると言います。
皆が元の位置に戻ると施餓鬼法要の終わりです。
 

建長寺の落慶式が無事に済んだ翌年の建長六年(1254)7月15日、一門総出頭で三門施餓鬼が行われ、終了して引き上げようとした時、息せき切って駆け込んできた武者一騎がありました。施餓鬼が終わってしまった事を知り、後悔の念で引き返そうとしのを見て 開山は再び施餓鬼棚を戻して、梵語心経を唱えて施餓鬼を行いました。
その武者は非常に感謝して「我は梶原景時の霊である。只今の有り難きご供養で長年の苦患を脱する事が出来て忝い限りである」と歓喜の涙を浮かべて謝し去りました。この供養を梶原施餓鬼と言い、以後毎年七百五十余年の今日まで7月15日に回向を行っているのです。

★8:30頃 梶原施餓鬼が始ります。
 「梵語心経」(サンスクリット語の般若心経)が詠うように唱えられ、梶原景時 の霊の供養が始ります。
 

★読経の声に鉦の音が和す中、導師が最後のお焼香をして立ち去り、その後各僧が焼香しながら立ち去って行きます。これで一連の儀式が終わります。

【鐘楼 梵鐘(国宝)】
開基北条時頼の初願で大和権守重光が鋳造しました。時を知らせたり、儀式の合図に打ち鳴らしました。本日も勿論打ち鳴らされました。
      

【法堂(はっとう)】
住職が説法をする場所で、鎌倉五山ではここにしか存在しません。
平成14年、解体修理が行われ「雲龍図」が小泉淳作画伯により制作されました。
     

【三門 五百羅漢像 十六羅漢像】
山門とも書きますが、禅宗では三門です。「空・無相・無作」の三つの解脱を意味します。あらゆる執着や迷いから解き放たれること。
三門は30mの高さがあり二階建てになっていてこの日は開放されましたが、非常な急斜の梯子を登ることになります。
中央に釈迦如来像、両脇には銅像の五百羅漢が、その又脇に非常に美しい絹本著色の大きい十六羅漢像が安置されています。前回は語り部のお話を聞きましたが、今回は拝礼をして外側の回廊を廻って、境内の広大さを目にしながら「執着や迷い」から解き放たれるよう念じてみましたが・・ 

続 ジパング 大人の休日倶楽部

2009-07-14 | Weblog
              【函館山からの夜景】

  『函館』 

仙台での翌朝はホテルを6:00スタート。八戸で新幹線を特急に乗り換えて青函トンネルを体験です。入坑も出坑も2~3回トンネル内と外を繰り返して海底深く疾走し窓外は先ず見えないものでした。

窓が明るくなって右手に津軽海峡が見えてきます。その向こうの島影が下北半島。松前半島を走っているのですが、田舎の風景が続いていたような・・お城のある城下町などはもう少し内陸なのでしょう。

函館駅は明るくて大きく立派です。十数年前に飛行機で来た記憶など無いに等しく
余計に歩いたところもありました。

まず五稜郭見物に。我が国初の西洋式星型城郭で1857~8年を要して、武田斐三郎が洋式城郭設計を手掛かりに見事に築城しますが、実戦を交える事の無い日本最後の内戦の舞台となったのです。(旧幕府軍から脱走した、榎本武揚、土方歳三らが五稜郭を占拠。しかし明治新政府に攻撃されて城を明け渡します。この箱館戦争の勝利に依って明治新政府は、日本統一を果たしました。)

五稜郭タワーに登ると全貌を見ることが出来ますが、私のコンパクトカメラには収まりきれませんでした。

  【五稜郭】
    

五稜郭タワーから後ろを振り向くと函館山が見えます。頂上には雲が掛かっていて、この山からの夜景も楽しみにしているので気になるところです。
左端が立待岬 アイヌ語でピウシ「岩上で魚を待ち捕獲する所」の意味があり、北方警備の台場が設置された要所です。

  【函館山の東端】
    

函館は北海道の地図から見れば津軽海峡に拳を突き出したような小さな半島ですが、東西南北に碁盤の目のように整然とした道路があり、市電が頻繁に通る活気のある街でした。

登山を楽しむ私達は函館山に登る計画を立てますが、足を痛めた私のために ホテル予約の際タクシーの送迎を予約して頂いていました。
夕刻 「函館山行き」のお迎えの際、山裾の観光もお願いしました。

「はこだて明治館」は旧郵便局の建物をショッピングモールにした、クラシックな赤レンガ三連棟の洋風建築は通り過ぎてしまって残念でしたが、海岸辺りの倉庫群では撮影が可能でした。「森」の字が目立つ建築群は「金森洋物店」と言い 多くの希望や欲望が満たされる場所・ミュウジアム等もあると言うことでした。

【赤レンガ倉庫群】
 
     
          

坂道に入ると、傾斜を上手く利用して教会や寺院 領事館 美術館 図書館等公の建物や、外人墓地など高見から一望する事が出来るのです。
下記の写真は日本で最初のギリシャ正教を伝導した由緒ある教会で、ロシア領事館付属聖堂として建てられ、大正5年に再建されたものです。

【ハリストス正教会】
         

山頂を窺うとやはり霧にかくれています。ここまで来たのですから行くべきでしょう。蛇行を繰り返して頂上に降り立ちましたが、7時を過ぎても明るいのです。霧は絶えず動いていてポツリと灯りが見えました、がしかし30分を過ぎtaxiとの約束は迫るし 泣き泣き諦めて下山を決行。中腹くらいに下った時 宝石をちりばめた状態が目の前に「まぁ 幸運!」とクルマから降りて何枚か撮る・・小型三脚にセルフタイマーも用意したのに・・何も使えずトップの夜景がかろうじて一枚。他は皆ブレてしまっていました。

   【海洋に一隻 霧の中を只ひたすらに・・】
          

ホテル近くのレストランで降ろしてもらう。函館といえば海の幸 昨夜に続いて今宵も御寿司を。
翌朝は遮るものの無い窓際での朝食を。波の打ち寄せる砂浜を犬を散歩させている人がいます。お天気は上々のようです。
さぁそれでは昨日下見しておいた朝市に行きましょう。
先ず目に飛び込んで来たのは蟹 それもタラバ蟹が凄い。数匹を親戚に送る・・他には松前漬けや半生の帆立貝や夕張メロンのゼリーも美味しそう。結構広い建物の中や道沿いに宣伝合戦が繰り広げられ、掛け合いも体験して面白かったです。

     【タラバ蟹】
          

3日目のお昼過ぎに函館駅から出発。八戸駅で新幹線に乗り換えただけで、何処にも降りず、乗車し続けて東京駅へ そして横浜駅へと帰ってきました。長時間だったのにそれほどにも感じず 眠ったわけでもないのに・・お喋りをし続けたのでしたっけ・・これまでツアーに馴れて、二人だけの責任で行動をした緊張感が旅を引き締めてくれたかもしれません。
Kさん 旅行の企画をして頂き、我が家の事情でギリギリまで決定できず、ご心配の限りを尽して申し訳なく 感謝申しあげます。
          

ジパング 大人の休日倶楽部

2009-07-10 | Weblog
                           【伊達政宗 騎馬像】

「JR東日本全線 3日間乗り放題 12,000円」を友人にに誘われて、何のことだか?・・と言うくらいジパング倶楽部にはご無沙汰をしていて、解約しようかなと・・月刊誌も見なくなっていたのです。

未曾有の不況は、クルマも電車も商品や食料品等々知恵が絞られて 我が家にも揺さぶりをかけて来ています。

横浜から新幹線で最長は函館。大好きな北海道に鉄路は始めての経験ですが、その手前の東北地方も始めてなので、目一杯欲張って計画が立ちました。
第一日目が仙台地域。
第二日目が函館。

2日に分けてblogにする事に致しましょう。

 『仙台&松島』 

切符の使い始めは横浜駅→東京・新幹線→仙台・仙石線→松島海岸駅(仙台まで往復)
日本三景の一つ松島着。梅雨の最中も程よく晴れて海には島影が遠く近く点在しています。
【あぁ 松島や松島や】
     

【瑞巌寺】
瑞巌寺は9世紀に天台宗の「松島寺」として創建され、その後1605年伊達政宗は、衰微していた寺院の再建に着手して、寺号を松島山瑞巌寺と改め大伽藍を完成しました。伊達家の菩提寺なのです。
           
          《本堂 国宝 撮影不可のためパンフレットより》  
          

     《庫裡 国宝》
      

         《瑞巌寺参道》    
          

【五大堂 透かし橋】
瑞巌寺守護のため五大明王が祀られている堂宇があり、島全体が聖域とされています。この堂宇への参詣に心身が乱れないよう、脚下を照顧して引き締めさせるための配慮と言われています。
           

【松島博物館】
観瀾亭は仙台藩主代々の月見御殿です。今では和菓子とお抹茶を頂くことができます。その奥に博物館がありました。
 
          《伊達家家紋》 
           
          伊達家には8種類の紋があるそうですが、この額には左から
          ①三引両紋   ②雪薄紋   ③九曜紋  
          ④蟹牡丹     ⑤竹に雀紋

          《屏風》
          

松島で名残は尽きねども先を急がなければなりません。仙台に引き返すと今宵一夜の宿は駅に近く手荷物と共にチェックインを済ませ、仙台城址(青葉城)を目指したのでした。るーぷる仙台と言うバスは観光バスで地図で見ておいたより複雑な行程を辿りましたが、緑豊かで広瀬川は蛇行しているのか又出会ったりしてやがて直線に切られた四角い石積の石垣が大きく立ちはだかった所が大手門跡でした。
坂を登り詰めると、仙台の街が遠くまで広がって見えています。トップの騎馬像が
象徴的でした。
近くに土井晩翠の一廓があって、何度も唄ったあの歌がこの地で生まれたのかと感慨深いものがありました。

【土井晩翠の肖像】
 

  春高楼の花の宴 めぐる盃影さして

    千代の松が枝わけいでし むかしの光いまいずこ

  秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁の数見せて

    植うるつるぎに照りそいし むかしの光今いずこ

  いま荒城の夜半の月 変らぬ光たがためぞ

    垣に残るはただかつら 松に歌うはただ嵐

  天上影は変らねど 栄枯は移る世の姿

    写さんとてか今もなほ ああ荒城のよはの月

青葉山は御裏林と呼ばれていて、鬱蒼とした林の中をバスは進み東北大学の方向から街中を進んでゆく内に様子が解かってきた所で下車して高いアーケードの賑やかな通りを歩いてみました。間もなく始る「仙台の七夕祭り」の道らしい所とか地下道など歩きながら、煉瓦建ての長く美しい仙台駅が見えてきたので、見下ろすように建つオシャレなお寿司屋さんで桃リキュールで乾杯などしながら良き日を締めたのでした。