花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

水郷 佐原(さわら)へ

2009-09-22 | 撮影を楽しむ
                    【小野川のほとリ】

今月の20日台風14号は小笠原を北上して日本への風雨は避けられました。当日のツアー「霞ヶ浦の帆引き船撮影会」が可能になり、大いに喜んだのも束の間「強風で船は出せない」と言う無情なものでした。
霞ヶ浦は海に流れ込んでいるため影響は避けられないのですねぇ。

一度も見たことの無い湖、琵琶湖に続く2番目の大きさ・・ロマンのある帆引き船に出会えないとはなんとも無情な事でしたが、もう賽は投げられていたのです。
バスは北上を続けています。「これがダメなら次があるさ」と行く先は「佐原」に転換。日本一の大河・利根川の流れ込む一帯は水郷と呼ばれ至る所に水の恵みがあるのです。

途中行方市(なめかた)に立ち寄りました。湖は果てしなく広がりなんと【筑波山】が見えています。関東の独立蜂の頂上からかって霞ヶ浦が遠く光って見えていたたことを思い出しました。
お祭りがあるらしく【新撰組に扮した子供、女学生、大人】と賑わっていました。

 
       
        
佐原は北の利根川が県境となり水門に、小野川がT字になって流れ込んでいます。小野川こそが本日のメインストリートになりました。柳が両岸に植えられ江戸情緒のある家並みが建ち並んでいます。元来この川は農業用水路でしたので【樋橋】と言う面白い仕掛けが残っています。江戸時代灌漑用水を東岸から西岸に送るため木製の大きな樋がかけられました。後に人も渡れるよう箱型になり手摺が付けられました。今では30分置きに放水されている面白い仕掛けです。

  
 
すぐ傍に「伊能忠敬記念館」があります。
日本で始めて実測に依る全国地図を作った伊能忠敬は、17歳の時伊能家に婿入りします。当時米の売買や酒造りを営む商家で佐原村の名主を努める家柄でした。
忠敬は家業の合間に天文学の勉強を続け、49歳で隠居してからは江戸に出て勉強をはじめ55歳にして全国測量を行いました。歩いた距離は地球一周分にもなります。その成果は73歳で亡くなった3年後に弟子たちの手で成し遂げられました。

風情のある小野川の左右の道を歩いてみました。橋は12箇所架かっているそうですが中腹だけでしたので、その半分も行っていないでしょうが・・・
【お囃子舟】や【遊覧船】が随分行き交う賑やかさでした。

 
          
  

少し遅かったかもしれない水辺の【彼岸花】と【芙蓉】の花を添えてみましょう。

              
     

お土産は賑わっていたお店で伊能忠敬にちなんだものにしてみました。
美味しかったですよ。

               
             

茅ヶ崎に頼朝にまつわる史跡を巡る

2009-09-13 | 鎌倉の四季
                            【鶴峰八幡宮参道】

茅ヶ崎は東海道が貫通している いにしえから栄えた土地であることを、訪れて始めて認識する事になりました。源頼朝の何代も前からの神社や、始めて聞く大地震の贈り物など興味の尽きない史跡巡りになりました。

【旧相模川橋脚】
大正12年(1923)関東大震災の噴砂現象に依って7本の橋脚が地上に出てきたのです。その後地下に埋もれた3本も発見されました。
「国指定史蹟 旧相模川橋脚」と石柱は示していますが、現在の相模川は氾濫を繰り返し蛇行しながら1.5 kmも西方へ移動してしまっていたのです。しかし当時の橋脚は土中に埋もれたまま700年余を経て地上に露出して来ました。人々の驚きは如何ばかりだったことでしょう。
 

            

《橋脚の発掘調査の様子が図示されています。》
        
               

《旧相模川橋脚公園見取り図》
          

《現在橋脚はレプリカとして再現》
  

橋巾は9m 長さ40m以上で南北に架けられていたと推定されています。
源頼朝の武将の一人稲毛重成が亡き妻の供養に、相模川に橋を架けて盛大に完成を祝い頼朝を招いて渡り初めを行いました。亡き妻とは将軍の妻政子の妹でした。
橋供養の帰路頼朝は落馬し16日の病臥の後死亡するのです。

「吾妻鏡」には鎌倉幕府創業の将軍の死についての詳細が一切なく、謀反或いは暗殺の推測が成されています。現在の橋脚は此の時造られたものといわれ、国の指定史跡になっていてとても興味深いものでした。

【鶴峰八幡宮】
源義家が後三年ノ役勝利のお礼に、父頼義創建の矢畑(八幡)本社宮をここに移しました。長大な参道は760mあり、徳川家光から7石の朱印を得ます。これを記念して朝恵が松並木を植林しました。

  

 《大銀杏 義家お手植え》
    

  根廻り:8.5m
  高さ :29m

茅ヶ崎駅から新湘南バイパスを左に見つつ北上し小出川の陸橋で大きくジグザグと横切って、その川辺の緑地帯を暫く進んでから南下します。南北に長く歩く事6キロ 史跡や神社そして多くの寺院を拝観して縁側でお弁当を遣わせて頂き (鎌倉ではこのようなことは出来ませんが) 程よく疲れて茅ヶ崎の旅は終わりました。   

花之江の郷

2009-09-07 | 撮影を楽しむ
                     【山野草の咲く郷】

台風の置き土産の涼やかな一日を、東北自動車道を栃木ICから左折して10分のところの「花之江の郷」に向かいました。撮影指導の藤川先生は数日前に下見をされて、バスの2台のモニターで撮影のノウハウをご指導くださり、私は色の組み合わせや、構図の採りかたや、角度などを使わせていただきたいと、頭に思い描いておりました。
山・郷・林・湿地に四季折々の野の花が配されていて、年間では800種類にも及ぶと言うのですから・・・入園して解かるのですが広大な土地ながら、常に手を入れなければならないにも拘らず、それを感じさせない自然さが醸されていていっぺんに好きになってしまいました。こういう処こそ自然を如何に自然らしく撮るかが問われる事でしょう。

【花の小径】
       

【池 アサザが一面に】
  

冒頭の花はこの郷の初秋のトップスター「オミナエシ」と「ミソハギ」です。園の5~60%は占めていたでしょうか。
次に小さく貼付するものは少数派に属します。一株だけのものもありましたし、絶滅危惧種に数えられているものもあるのかもしれません。
池があって細い流れもあり、木道がうねるように幾筋にも延びて、ツイと方向転換をしたくなったりします。東屋ではお弁当を戴いて暫く休憩をしても充分な時間があり、私には先生も先輩も皆先生で、行きずりに教えていただく事も何度もあって大自然のお教室でした。

【レンゲショウマ】
 
     【アサマフウロ】 
     
          【コウホネ】
          
               【シュウカイドウ】
               

【モミジアオイ】
 
     【ナガバミズアオイ】
      
          【シモツケ】
           
               【ジンジャー】
                  
                    【紋入り蝶】
                      
 
4時間余のタップリの時間があり、まだまだ沢山の花との出会いがあって・・・然し反省点は、三脚を使わなかったこと、花との対話がまだ少なかったこと、焦ってシャッターを押したのではなかったか、出口の鉢植えは「野の花とはチョット違うのでは」とやり過ごした事 然し面白いものも沢山あったなぁと惜しまれます。

高速道路もスムーズで湾岸線からベイブリッジへと、アッと言う間に帰り着きました。謝々。

鎌倉フレンチ

2009-09-04 | 鎌倉の四季
           【2年目も咲いた胡蝶蘭 そして来年も咲かせましょう】

「話に聞いていた所だけど如何・・・」の電話に、面白そうかもと約束をする。
鎌倉はよく行くけど、ハイキングが多くてお弁当持参が殆どだものと楽しみです。
江ノ電で長谷駅で下車して線路沿いに歩いていると此処らしいと言う。単線のレールが横たわっていて その先にwatabeの文字が・・・笑ってしまったけど 「道なき道を行く」これも鎌倉流なのでしょうか。
     
          
     
門構えも和風庭園もあります。しかし建物は古びて改築か建替かと思える程で、逆手にとっているのですねぇ。
和室だけど板張りで、上がり框を靴で歩いてテーブルにつくのです。
天井までのワインセーラーには洋酒がギッシリ、カウンターには各地の日本酒がズラリ、音響機器とか照明はナカナカのものらしい。暫くはアレコレ見つめてしまいました。
今日のメニューは2種類だけで、私たち夫婦はメインをお魚に 息子達はお肉で、飲み物はエビスビールとカシスリキュールにしました。
     

そんなには会わないので、閉店間際までお喋りをして誰もいなくなっていました。八幡宮傍の美術館に行く二人と別れて、私達は鎌倉駅西口を海の方向に伸びている道を見つけて散策してみました。小町通りほどの賑わいはないけれど、「小川軒」があったのでレーズンウイッチを買うことにしました。