【円覚寺】
《仏殿 天井画》
関東大震災で壊れた後、1964年落成供養で再建されました。鉄筋コンクリート造りですが以前の図面をもとに、通し窓や扉に禅宗様式の意匠が配されています。
五山級の大寺は間口が七間堂も定型通りであり、ご本尊は木造宝冠釈迦如来像が美しい。
天井には前田青邨の監修で日本画の守屋多々志作 『雲龍図』 が画かれています。
《舎利殿》
正面から見ると三間重層の入母屋造りになっています。鎌倉最古の唐様建築で国宝に指定されています。入り母屋造りの杮葺きで、上部の屋根は下方で大きくそりあがっています。
北条幕府滅亡後、夢想国師が円覚寺十五世住職になった時に、後醍醐天皇の勅命として建長寺にあったものをここ円覚寺に移させた物です。
《紫陽花》
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《岩たばこ》
【東慶寺】
山号寺号 松岡山東慶総持禅寺(しょうこうざんとうけいそうじぜんじ)
宗派 臨済宗園覚寺派
創建 1285年(弘安8)
開山 覚山志道尼
開基 北条貞時
本尊 釈迦如来
時宗の菩提を弔うため夫人(覚山尼)の開基。ご夫妻は禅への信仰が厚く一緒に出家しました。尼寺として1902年(明治35)まで續きますが、以降は男の僧の寺となりました。
代々名門出身者が住職を努め寺格が高く 5世用堂尼(後醍醐天皇の皇女) 17世旭山尼(足利義明の娘) 20世天秀尼(豊臣秀頼の娘)が住しました。
《松ヶ岡文庫》
1941年 鈴木大拙は東慶寺境内に文庫を設立しました。死後住職の井上禅定の尽力により大拙が残した膨大な書籍を管理して現在に至っています。
「松ヶ岡文庫」 それは20世紀日本が世界へ送った最大の学者・文化人・宗教家「鈴木大拙」が凝縮された形で残されています。
長年アメリカに住み、アメリカの女性と結婚して共に「禅」を研究し、英語で「禅について」演説して世界に日本を普及したのです。
遺品が生前のままに、 例えば 机・座椅子・文房具が置かれ、南北朝時代の「観音菩薩半跏像」が身近に置かれていたことを知る事が出来ます。
《墓 文学者・文化人の多くが集まっている一廓》
《柏葉紫陽花》
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《岩たばこの群落》
【浄智寺】
《山門 二階に花頭窓のある唐様の鍾楼門》
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《托鉢僧》
鎌倉を歩いていても、なかなか托鉢僧にお目に掛かる事はありませんが、この日は多勢の 方たちをお見かけしました。
【天柱峰】
葛原岡ハイキングコースを登り始めると大岩の頂きに碑があります。朝比奈宗源書の天柱峰の碑です。中国僧住職の竺仙梵僊の供養塔で、英人サンソム氏が建てたものです。
(天柱とは、天が落ちないように支える柱。転じて社会を成り立たせる根本となる道義)
道すがらに咲いていた花二題。
《紫陽花》
《岩がらみ》
【源氏山公園】
壽福寺背後の山。後三年の役で八幡太郎義家が奥羽に向かう際、戦勝祈願にこの山に白旗を立て以来の源氏ゆかりの山とされました。
昭和56年に源頼朝の銅像が安置され、木陰を求めて三々五々お弁当を頂くのに最適です。
【薬王寺】
山号寺号 大乗山薬王寺
宗派 日蓮宗
創建 1293年(永仁1)
開山 日像上人 (中興開山・日達上人)
もとは真言宗に属していましたが、1292年日像上人が住職と宗教論議の末説伏して、日蓮宗に改宗しました。その後日達上人が江戸時代に薬王寺と改めて再興しました。
只今本堂には 『日蓮上人像』 と日像上人像が並んで安置されていますが、江戸時代に変遷があり池上本門寺より移祀されました。
《日蓮上人像》
《供養塔》1633年徳川忠長(家光の弟)が高崎で自刃。妻の松孝院が墓を建立。
徳川家ゆかりの寺として三つ葉葵が用いられています。
【淨光明寺】
《客殿》
5月中旬にもここを訪ねて、頼朝に挙兵を勧めた文覚上人の話を聞きましたが、一ヵ月後に再び訪れて季節の移ろいを感じた所です。
《菩提樹 釈迦はこの木の下で悟りを開いたと言われています》
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《泰山木》
《重要文化財》
本尊の阿弥陀三尊像は1299年の銘のある仏像で、国の重要文化財になっています。衣に施された大型の土紋や長く伸ばした爪、写実的な衣の襞、高く結い上げた髣などに宗朝美術の強い影響を受けた特徴を現しています。
《冷泉為相 の墓》
背後の山を登ると宝篋印塔があります。為相は藤原定家の孫で父為家の死後、遺領存続の訴訟のために関東へ下向した母・阿仏尼を追って鎌倉に下り、鎌倉歌壇の指導者として活躍しました。
《定家カズラ》
『お能「定家」』 式子内親王を愛した定家が、死後も彼女を慕って、遂に葛に生まれ変わったと言う伝説を思ってしまいます。崖に「定家カズラ」が咲いていました。
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「観音菩薩半跏像」はweb site より拝借