【人長の舞い】
12月16日鶴岡八幡宮にて「御鎮座記念祭」が行われました。
この祭典は800余年の歴史を持っています。
源頼朝の祖頼義が、奥州平定後鎌倉にて京都の岩清水八幡宮を勧請し、頼朝が現在地に遷祀した日を記念しています。(現在は太陽暦に換算して定められています)
夕刻5時に本宮での祭典の後、舞殿北庭で当時唱えられた「宮人曲」を復元して神楽が奏され「人長の舞い」「巫女の舞い」が奉奏され篝火のみの幽玄な世界が繰り広げられました。
昨年に続いて2度目の拝観でしたが、北庭の左右に何重かの人垣が出来て カメラの三脚がズラリと並び3時間余を立ち尽くしたのでした。
フラッシュの禁止(神への秘儀の奉納であるのですから)を、幾度となくお願いとして話されたにも拘わらず光が飛び交ったのはとても残念な事でした。巫女の彩色はその光を計らずも受けたためでした。
カメラも技術も進歩がなく不甲斐ない映像ですがご想像ください。
【舞殿】
【人長の舞い 右手に巫女】
【巫女の舞い 右奥の白装束の神官による「宮人曲」が奏されました】
12月16日鶴岡八幡宮にて「御鎮座記念祭」が行われました。
この祭典は800余年の歴史を持っています。
源頼朝の祖頼義が、奥州平定後鎌倉にて京都の岩清水八幡宮を勧請し、頼朝が現在地に遷祀した日を記念しています。(現在は太陽暦に換算して定められています)
夕刻5時に本宮での祭典の後、舞殿北庭で当時唱えられた「宮人曲」を復元して神楽が奏され「人長の舞い」「巫女の舞い」が奉奏され篝火のみの幽玄な世界が繰り広げられました。
昨年に続いて2度目の拝観でしたが、北庭の左右に何重かの人垣が出来て カメラの三脚がズラリと並び3時間余を立ち尽くしたのでした。
フラッシュの禁止(神への秘儀の奉納であるのですから)を、幾度となくお願いとして話されたにも拘わらず光が飛び交ったのはとても残念な事でした。巫女の彩色はその光を計らずも受けたためでした。
カメラも技術も進歩がなく不甲斐ない映像ですがご想像ください。
【舞殿】
【人長の舞い 右手に巫女】
【巫女の舞い 右奥の白装束の神官による「宮人曲」が奏されました】
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます