【伊達政宗 騎馬像】
「JR東日本全線 3日間乗り放題 12,000円」を友人にに誘われて、何のことだか?・・と言うくらいジパング倶楽部にはご無沙汰をしていて、解約しようかなと・・月刊誌も見なくなっていたのです。
未曾有の不況は、クルマも電車も商品や食料品等々知恵が絞られて 我が家にも揺さぶりをかけて来ています。
横浜から新幹線で最長は函館。大好きな北海道に鉄路は始めての経験ですが、その手前の東北地方も始めてなので、目一杯欲張って計画が立ちました。
第一日目が仙台地域。
第二日目が函館。
2日に分けてblogにする事に致しましょう。
『仙台&松島』
切符の使い始めは横浜駅→東京・新幹線→仙台・仙石線→松島海岸駅(仙台まで往復)
日本三景の一つ松島着。梅雨の最中も程よく晴れて海には島影が遠く近く点在しています。
【あぁ 松島や松島や】
【瑞巌寺】
瑞巌寺は9世紀に天台宗の「松島寺」として創建され、その後1605年伊達政宗は、衰微していた寺院の再建に着手して、寺号を松島山瑞巌寺と改め大伽藍を完成しました。伊達家の菩提寺なのです。
《本堂 国宝 撮影不可のためパンフレットより》
《庫裡 国宝》
《瑞巌寺参道》
【五大堂 透かし橋】
瑞巌寺守護のため五大明王が祀られている堂宇があり、島全体が聖域とされています。この堂宇への参詣に心身が乱れないよう、脚下を照顧して引き締めさせるための配慮と言われています。
【松島博物館】
観瀾亭は仙台藩主代々の月見御殿です。今では和菓子とお抹茶を頂くことができます。その奥に博物館がありました。
《伊達家家紋》
伊達家には8種類の紋があるそうですが、この額には左から
①三引両紋 ②雪薄紋 ③九曜紋
④蟹牡丹 ⑤竹に雀紋
《屏風》
松島で名残は尽きねども先を急がなければなりません。仙台に引き返すと今宵一夜の宿は駅に近く手荷物と共にチェックインを済ませ、仙台城址(青葉城)を目指したのでした。るーぷる仙台と言うバスは観光バスで地図で見ておいたより複雑な行程を辿りましたが、緑豊かで広瀬川は蛇行しているのか又出会ったりしてやがて直線に切られた四角い石積の石垣が大きく立ちはだかった所が大手門跡でした。
坂を登り詰めると、仙台の街が遠くまで広がって見えています。トップの騎馬像が
象徴的でした。
近くに土井晩翠の一廓があって、何度も唄ったあの歌がこの地で生まれたのかと感慨深いものがありました。
【土井晩翠の肖像】
春高楼の花の宴 めぐる盃影さして
千代の松が枝わけいでし むかしの光いまいずこ
秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁の数見せて
植うるつるぎに照りそいし むかしの光今いずこ
いま荒城の夜半の月 変らぬ光たがためぞ
垣に残るはただかつら 松に歌うはただ嵐
天上影は変らねど 栄枯は移る世の姿
写さんとてか今もなほ ああ荒城のよはの月
青葉山は御裏林と呼ばれていて、鬱蒼とした林の中をバスは進み東北大学の方向から街中を進んでゆく内に様子が解かってきた所で下車して高いアーケードの賑やかな通りを歩いてみました。間もなく始る「仙台の七夕祭り」の道らしい所とか地下道など歩きながら、煉瓦建ての長く美しい仙台駅が見えてきたので、見下ろすように建つオシャレなお寿司屋さんで桃リキュールで乾杯などしながら良き日を締めたのでした。
「JR東日本全線 3日間乗り放題 12,000円」を友人にに誘われて、何のことだか?・・と言うくらいジパング倶楽部にはご無沙汰をしていて、解約しようかなと・・月刊誌も見なくなっていたのです。
未曾有の不況は、クルマも電車も商品や食料品等々知恵が絞られて 我が家にも揺さぶりをかけて来ています。
横浜から新幹線で最長は函館。大好きな北海道に鉄路は始めての経験ですが、その手前の東北地方も始めてなので、目一杯欲張って計画が立ちました。
第一日目が仙台地域。
第二日目が函館。
2日に分けてblogにする事に致しましょう。
『仙台&松島』
切符の使い始めは横浜駅→東京・新幹線→仙台・仙石線→松島海岸駅(仙台まで往復)
日本三景の一つ松島着。梅雨の最中も程よく晴れて海には島影が遠く近く点在しています。
【あぁ 松島や松島や】
【瑞巌寺】
瑞巌寺は9世紀に天台宗の「松島寺」として創建され、その後1605年伊達政宗は、衰微していた寺院の再建に着手して、寺号を松島山瑞巌寺と改め大伽藍を完成しました。伊達家の菩提寺なのです。
《本堂 国宝 撮影不可のためパンフレットより》
《庫裡 国宝》
《瑞巌寺参道》
【五大堂 透かし橋】
瑞巌寺守護のため五大明王が祀られている堂宇があり、島全体が聖域とされています。この堂宇への参詣に心身が乱れないよう、脚下を照顧して引き締めさせるための配慮と言われています。
【松島博物館】
観瀾亭は仙台藩主代々の月見御殿です。今では和菓子とお抹茶を頂くことができます。その奥に博物館がありました。
《伊達家家紋》
伊達家には8種類の紋があるそうですが、この額には左から
①三引両紋 ②雪薄紋 ③九曜紋
④蟹牡丹 ⑤竹に雀紋
《屏風》
松島で名残は尽きねども先を急がなければなりません。仙台に引き返すと今宵一夜の宿は駅に近く手荷物と共にチェックインを済ませ、仙台城址(青葉城)を目指したのでした。るーぷる仙台と言うバスは観光バスで地図で見ておいたより複雑な行程を辿りましたが、緑豊かで広瀬川は蛇行しているのか又出会ったりしてやがて直線に切られた四角い石積の石垣が大きく立ちはだかった所が大手門跡でした。
坂を登り詰めると、仙台の街が遠くまで広がって見えています。トップの騎馬像が
象徴的でした。
近くに土井晩翠の一廓があって、何度も唄ったあの歌がこの地で生まれたのかと感慨深いものがありました。
【土井晩翠の肖像】
春高楼の花の宴 めぐる盃影さして
千代の松が枝わけいでし むかしの光いまいずこ
秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁の数見せて
植うるつるぎに照りそいし むかしの光今いずこ
いま荒城の夜半の月 変らぬ光たがためぞ
垣に残るはただかつら 松に歌うはただ嵐
天上影は変らねど 栄枯は移る世の姿
写さんとてか今もなほ ああ荒城のよはの月
青葉山は御裏林と呼ばれていて、鬱蒼とした林の中をバスは進み東北大学の方向から街中を進んでゆく内に様子が解かってきた所で下車して高いアーケードの賑やかな通りを歩いてみました。間もなく始る「仙台の七夕祭り」の道らしい所とか地下道など歩きながら、煉瓦建ての長く美しい仙台駅が見えてきたので、見下ろすように建つオシャレなお寿司屋さんで桃リキュールで乾杯などしながら良き日を締めたのでした。