昭和11年、太平洋戦争の足音が聞こえ始めてきた年、暗い世相を代表するかのような怪事件、大事件が二つ起こりました。 ひとつは、安部定という女性が、情事の最中、相手石田吉蔵の首を絞めて窒息死させ、彼の局部を切り取った、いわゆる、安部定事件。 大島渚監督の「愛のコリーダ」があまりにも有名ですが、これは、映画ではありません。 美しく仕上がったハードコアポルノです。 ご興味のあられる方は、youtube でご覧ください。 そして、82年前の今日、2月26日、現在、赤坂サカス・溜池山王・六本木ヒルズ、などのブランドイメージが矜持されている一帯に、大凶作・飢餓に喘ぐ農村の極貧状況に悲憤慷慨し、「昭和維新」の名のもと、青年将校以下千余名が決起し、帝都を戒厳令下にした、2・26事件です。 実際は、統制派と皇道派という陸軍内における二つの派閥争いが、裏にありました。 2・26事件で失脚した皇道派に代わり、東条英機に代表される統制派が陸軍、ないし大日本帝国の政治を牛耳るようになり、日独伊軍事同盟締結、そして、アメリカとの戦争へと進んでいくのです。
昨晩、何気なく本棚から「 to the Bar 」を取り出してみました。 男は行きつけのバーを一つ、二つ、持つべきだ、などと誰が言ったのかは忘れましたが、もう何年も、カウンター越しのバーテンダーさんに自身を温められておりません。 これも、誰から聞いたのか、どこで読んだのか忘れましたが、自殺を考えている人間が最期に選ぶのが、バーテンダーさんだとか。 バーテンダーの、テンダーは、まさに優しさ、の意味そのものですね。 少々、バーの見方を変えまして、カウンターの前に広がる酒棚、それを飾る多様なラベルを貼った酒ビンがあります。 くしくも、世界地図を描き出すように整然と肩を並べあっておりますが、それぞれに、歴史があり、個性があります。 それらが、淡々と共存しており、まさに世界史の歩みを確認できるようで、好奇心を掻き立てられます。
73年前の今日、2月23日、硫黄島の摺鉢山の山頂に、星条旗が掲げられました。 意外と知られておりませんが、アメリカ軍の戦死者のほうが日本軍よりも多い戦いでした。 我が国のハワイ真珠湾攻撃で始まった太平洋戦争は、ソロモン諸島、マリアナ諸島、フィリピン諸島、そして、硫黄島と、真綿で首を絞められるが如きに、アメリカ軍に占領されてゆき、残すは、沖縄を含めた日本本土を残すのみとなるのです。 日本の敗戦を語る時、必ずミッドウェー海戦が引き合いに出されます。正式空母4隻を撃沈されたこの戦いが、太平洋戦争のターニングポイントになったことは確かでしょう。 しかし、仮に、ミッドウェーで勝ったとしても、アメリカが抗戦の意志を捨てない限り、日本の勝利はありえなかったこともまた事実だと思います。 今更ながらではありますが、日本とアメリカでは、国力に雲泥の差があったからです。 事実、山本五十六司令長官が、ミッドウェー計画を立案した背景には、真珠湾攻撃の数か月後に、一機のB29爆撃機が東京上空に現れ、数発の爆弾を落とし日本近海に接していた空母に帰っていったことに対する危機感があったと言われております。 大の日本人嫌い、有色人種嫌いのルーズベルト大統領が「 そろそろ、ベイビー(日本のこと)をあやしてあげる時がきたようだ 」と発言したように、アメリカにとっては、赤子の手をひねるがごときの戦いでした。 ちなみに、ルーズベルトが急死せず、トルーマンが大統領になっていなかったら、と考えると空恐ろしい気持ちにさせられます。 上記したように、ルーズベルトは、ナチの強制収容所に匹敵する悪名高き、日本人強制収容所をつくったりするほどの日本人嫌いでして、日本民族殲滅を真剣に考えていたと言われております。 (この、殲滅という概念は、アングロサクソン特有の考えといわれております。 タスマニア民族をひとり残らず抹殺してしまったイギリスがよい例です) そして、現在、全世界の人間が絶対に忘れてはならないことがあります。 我が国の無謀ともいうべき挑戦が、太平洋に、南方に散った英霊が、曲がりなりにも、人類平等の社会を築き、自明に存在しているということを。
10MTV、というネット記事に、僕の稚書「たいへん申し上げにくいのですが」から、口臭に関する話が取り上げられておりました。
ビックリしました~ 苦笑 ありがたいです~ 😊 ご興味があられる方は、笑覧ください。 このブログには、ダウンロードできませんでした。 あしからず。