上原浩冶、、、「 雑草魂 」「 片手にぶらさげるのはビトンじゃなくて、高島屋の紙袋 」と言われていた頃から、彼を応援しているので、ここ数年、大リーグに移籍してからの低迷ぶりを、じくじたる思いで拝見していた。 そして、ア・リーグ優勝、MVP獲得。この堰をきったような大活躍に嬉しいというより、ただただ感服せざるをえない。 国際舞台で活躍される日本人と出会うたびに、ある種、独特の高揚感が自分の心中に跳ね返ってくる。上原投手の活躍もその最たるものだ。 アメリカメディアをダウンロードし閲覧するが、どの紙も一様に彼の飛躍的成長を激賞している。 僕自身、むずがゆいような優越感に浸ることができた。そんな中、「 New York Times 」が面白い見出しで彼の活躍を称えていた。愉悦のかぎりだった。一人、頬をゆるませ笑いをこらえながら、読ませてもらった。『 Beardless in Boston : Uehara Stands Out 』 この見出しから始まる記事は、彼の、もみあげ、あごひげスタイルの変化を中心に大リーグ生活をなぞっている。あのスタイルが周囲にはすこぶる不評だったこと。確かに、時折、テレビが垣間見せる、ルパン三世のごとくにもみあげを伸ばした姿( Fu - Manchu - style と表現されている )、やがて、もみあげとあごひげが混然一体化し顔ひげとなり、それにうもれた姿は、彼には不似合いだったし、傍目にも何となく痛々しかった。何でこんなことし始めちゃったんだろうとさえ思った。。。ひげをそってからの成績の目覚ましさを、漂流者にたとえる表現( 低迷期を顔ひげに埋もれた漂流期間になぞえている )にはおそれいった。すごい。まさに正鵠を射ている。漂流、、、、、トム・ハンクス主演映画「 castaway 」を彷彿させるねじ伏せ方だ。 そして、髭を剃った理由については「 自分自身の方向性を見失っていたので。」と彼自身の言葉で表現されていた。実は、以前、同様の質問を、ジャンクスポーツというテレビ番組内でダウンタウンの浜田さんが彼に問いかけ、同じ返答をしている。半分、ギャグのつもりで切り返されたような感じで、笑わせていただいたが、この滑稽さ、微妙な質感が、向こうの人達に伝われただろうか。額面どおりに理解すると面白くないんだよな( などとどうでもいいことに苦悶している小さな自分がいる )。。。。。まっ、上原投手、、、、、中年の星としてマイペースで頑張ってください。 マイペース、、、似合うな。。。この言葉が、、彼には。。。
10月1日、映画の日、ユナイテッド・シネマ入間で「 許されざる者 」を観た。開演待ちの10分ほど、ロビーでぼんやり視線を泳がせていると、何となく見覚えのある顔が視界に入った。患者さんだった。若い女の子。ここの売店で働かれてるよう。根拠のない羞恥心に苛まれ、攻めは最大の防御とばかりに「 歯医者の野村です 」とこちらから声をかけ、ダイエット中にもかかわらず、食べたくもないホットドックを注文した。美味しかった。何年振りだろう、、、ホットドックを口にしたのは。。。。。。。「 許されざる者 」、、、ハリウッド映画のリメイクである。同名のオリジナルは、クリント・イーストウッドが監督、主演した、最後の西部劇として名高い。確か、何部門かアカデミー賞を受賞したんじゃなかったかな。イーストウッド役を渡辺謙が、モーガン・フリーマン役を柄本明が演じている。実は、このキャスティングの素晴らしさに締め付けられ、映画館に出向いたのである。渋い、みごとというほかない。内容に関しては割愛するが、オリジナルよりも人を殺すことの重さを強調し、曖昧だった部分をわかりやすい言葉で解説されていたように思う。イーストウッドが終始、苦虫を噛み潰したような顔でとことん寡黙に自身の心中をみせなかったのに対し、渡辺謙は苦悩や逡巡を表情で語り感情をほとばしらせていたように感じた。。。文化の違いを、曖昧さと明確さで区分し、よく我が国とアメリカを対比させるが、それで論じるなら、「 許されざる者 」は、オリジナルがより日本的、リメイク版はよりアメリカ的であるように思われる。。。。。アメリカ西部の乾いた風に代わり、北海道の寒々しくも美しい情景に雪が舞う。。。情緒的な美しい日本映画だった。