食の旅人

~ 食べることは生きること、生きることは旅すること、そうだ食べることは旅すること~
  野村洋文

第12回日本健康医療学会学術大会

2019-07-29 20:28:05 | 日記
昨日、7月28日日曜日、盟友であり、食育研究の第一人者として常日頃から御尊敬申し上げる清水百合先生が大会会長を務められた、第12回日本健康医療学会学術大会のお手伝いに、六本木ヒルズに参りました。 清水先生のご尽力、参加者、スタッフのお力で、過去になく盛大で、実りある学会になりました。 口と全身とのかかわり、人生100年時代において、益々重要性が増されることを、身に染みた1日でありました。 懇親会の司会を承りましたが、闇営業トークで、すべり、そこから滑舌の悪さも相まって、一直線に滑り落ちました。ご臨席の皆様、本当に申し訳ございませんでした。心苦しい限りです。 何はともあれ、素晴らしい学会を提供いただき、ご関係者の皆様、心より御礼申し上げます。

イギリス~ボルドー~😊

2019-07-24 06:51:11 | 日記
昨日の夕方、何げなくBS-NHK をつけると、「イギリスのワイン事情」について放映しておりました。 イギリスとワイン~あまりなじみがなく、そもそも、イギリスでワインなんか造っているのだろうか?という素朴な疑問が逆に、番組への興味を後押ししてくれました。大正解でした! ボルドーが世界的に有名になったのは、12~15世紀に、イギリスでボルドー産ワインが大量に飲まれていたことに起因するそうです。そもそも、世界一有名な(?)サンテミリオンを含むボルドー地区は、15世紀まで、イギリス領でして、この、イギリスとフランスとの複雑な関係は、後ほど簡単に述べますね。 15世紀以降、ボルドー地区が、フランスに帰属するようになり、イギリスはそこから、ワインを自由に手に入れることができなくなります。 そこで、大航海時代を経て、世界に冠たる大英帝国は、南アフリカ、オーストラリア、北アメリカ(カリフォルニア)で、ワインをつくらせ、自国に輸入するようになったようです。 面白いのは、ボルドーで用いられていたブドウ品種、カベルネソーヴィニヨンとメルロー、を場所を変えて、上記した国・地域で同様に用い、ワインを醸造させていたのだそうです。 ワインのことは全くわかりませんが、時代を経て、現在も、それらの地域では、基本、カベルネソーヴィニヨンとメルローの二種が主に使用されているのでしょうかね? サンテミリオンを筆頭に、現在でも、ボルドー地区のワイン醸造家は、ボルドーワインをメジャーにしてくれたイギリスに感謝しているようでして、古くから伝わる伝統行事や、風習、建造物に、その気持ちが如実に表れておりました。 さて、歴史好きから、一点、番組で正確な表現法に間違いがあったので、いやらしいですが、指摘させていただきます。 イギリス王ヘンリー2世と、フランスの現在のボルドーを含むアンジュー公国の公女、アリエノールが結婚し、彼女がブリテン島に渡り、そこから、上記してきましたボルドーとイギリスとの関係が始まった、と話しておりましたが、詳しくは違います。ヘンリー2世も元々は、アンジュー公国の人間、アンジュー伯でして、アンリと名乗っておりました。しかし、イギリスでノルマン朝が途絶えると、誰か王様をつくらなければいけないので、フランスからアンリを連れてきて、ヘンリー2世と名乗らせ、プランタジネット朝が創始されるのです。 つまり、イギリスの王、王妃、どちらもフランス人なわけです。といいますか、元々、イギリスはデンマークに支配されており、そこに、現在のフランス、ノルマンディー公ウイリアムが、日本でいうところの平安時代に、のり込んで、ノルマン朝をつくったのが、イギリス王朝の始まりでして、平たく言えば、フランス王朝の枝分かれのようなものなのです。 さらに言いますと、イギリスは、王様の世継ぎがいなくなると、先ほど述べたように、他国から王様を連れてきて、王朝をつくります。 オランダから王様を連れてきたこともありますし、有名どころでは、アン女王という人に、お世継ぎができなかったので、ドイツのハノーバから、ジョージという王様を連れてきて、ハノーバ朝をつくりました。彼は、生粋のドイツ人ですから、英語はしゃべれませんでした。そこからハノーバ朝が続くわけですが、第一次大戦時、敵国ドイツの王朝名では示しがつかない、とうことで、急遽、ウインザー朝と名前替えして、今日に至っております。そうなのです。エリザベス女王も、チャールズ王太子も、ドイツの血を引いているのです。 話が、横道にそれすぎましたのでこのへんでお開きにさせていただきます。 あしからず。

カップスター塩味

2019-07-20 20:11:56 | 日記
あなたは、あなたの人生を正直に生きていますか? 時に、過去を綴りなおすような自問は必要です。 そして、そんな時こそ、「カップスター塩味」を食べてほしいものです。のびやかにほぐれていく縮れ麺と素直なスープが、何かを教えてくれるはずです。

ペリー~雑感~そしてポテトチップス

2019-07-19 06:42:00 | 日記

昨晩、BS-NHK、「偉人たちの健康診断」で、ペリーを放映しておりました。ペリーが痛風もちだった可能性、日米和親条約締結の舞台裏、そこで繰り広げられた日米双方の豪華な接待合戦、さらに、宴会中、酔った勢いで「日本とアメリカの心はひとつ」と叫びペリーに抱きついた幕府側高官がいたことなど、非常に斬新で興味を引く内容でした。 NHK様~ありがとうございました! さてと、しばらく雑感にお付き合いください~ 思うのですが、ペリーの来日、開国により、日本が世界史の表舞台に登場することになるのです。それまでは、きっぱり言うと、日本は世界史を語るうえで、いらない存在でした。もちろん、我が国の歴史を否定するわけではありません。日本の皇室は、現在もなお継続する王朝としては、世界最古の王朝であるし、それを現実せしめた日本の歴史というのも、世界の他の国には例がありません。独特で、価値のあるもの、さらにあの強大な大国である中国の、これほど近くにありながら、中華文化圏には属さず、独自の文化を生み出し(多大な影響は受けました)、政治的独立を維持できたのも奇跡としか言いようがありません。ですから、世界史から俯瞰しても、日本史を学び、語り、研究することは、非常に意義があることに間違いはありません。しかし、日本史には、その独立性と独自性があるが故に、逆に、世界との繋がりにおいて、重要な出来事が少なく、世界史を大雑把に語るうえでは、日本の歴史というのは必ずしも、触れずに通り過ぎ、済んでしまうものです。そして、ペリーの来日、そこからは、日本を取り上げないことには世界史を語ることができなくなります。現代史において、20世紀以降の世界史において、それほど、日本という国は重要な国であるのです。極東の(この言い回しも、欧米史観、イギリスから観た、意味で好ましくありませんが)、小さな島国が、世界史をかき回し、曲がりなりにも、人類平等の礎を築く起爆剤となったのでありますから。(愚生、この、起爆剤という言葉が大好きです。誰かが始めなければ、何も始まりませんから)さてさて、ペリーが何故日本にやってきたかは、世界史の流れと、アジア全体の状況を鑑みれば必然です(紙面上、割愛します)一般に、捕鯨船の石炭や水の補給基地としてアメリカが開国を求めてきた、そのように教わり、記憶されている方も多いと思います。僕も最近知ったのですが、本当は(アメリカ側に残っている文章に書いてある)、当時、アメリカは大英帝国とライバル関係にありました。何を巡って争っていたかと言えば、対中国貿易です。対中国貿易で大西洋航路を使っている限り、アメリカは永遠に大英帝国に勝てない。大西洋を横断する船賃の分だけ、必ず負けます。この航海ルートは番組でも説明されておりました。大西洋→ アフリカ大陸のケープタウン→ インド → 日本 と4か月に及ぶ長期航海のようでした。 ペリーの来日目的は、太平洋航路を開いて、中国と直接交易するしか大英帝国に勝つ方法はない。日本を開国させることは、太平洋航路の有力な中継地点を獲得することになります。まさに、クジラはどうでもよかったのです。さてと、話を少し軟らかくして、ペリー来日、黒船来航時、番組では触れておりませんでしたが、我々のご先祖様は、彼らより体格が劣っていることにコンプレックスを抱いておりました。そこで、見栄えのため、停泊するアメリカ艦隊への食糧輸送に力士を連れて行き、米俵を運搬させたようです。アメリカ人はそれに驚き、力士たちを「相撲レスラー」「モンスター」と呼んだようです。思わず頬が緩んでしまいますが、当時は真剣だったのですね。また、ペリーは当時の日本の既婚女性にみられる歯を黒く染める「お歯黒」という習慣に嫌悪感を抱いていたとされております。紅で唇を塗った赤と、お歯黒の黒の対照性をグロテスクに感じ、忌み嫌っていたそうです。 (タンニンによる虫歯予防効果は、周知の事実です) ところで、アメリカでペリーについて聞くと「えっ!あのペリー提督の弟さんが日本を開国させたのですか?」となります。アメリカでは、お兄さんの方がはるかに有名だからです。第二次英米戦争というアメリカが、イギリスから完全な経済独立を果たすきっかけとなった戦争において、アメリカの勝利を決定づけた、「エリー湖の戦い」で大活躍したのが、兄のペリー提督です。現在、ジョージア州のペリーは、彼の名前にちなんでつけられたそうです。 最後に、番組で得た一番大切なことを書きます。ジャガイモ料理において、最もビタミンC含有が多いのは、ポテトチップスだそうです!! 万歳三唱!!最近は塩分控えめ、油も良いものを使っているのもありますから、完璧な栄養食と思い込みたい自分がいます。再度、万歳三唱!!


浅草~遠足

2019-07-15 19:26:57 | 日記

祝日の今日、以前からの知り合いであるモデルさんと、浅草に遠足に行ってまいりました。 人生、たまには、こんな奇跡があっても許されるのではないでしょうか~ 諸々の打ち合わせを兼ねながら、歩き回り、疲れ果てましたが、いろいろと勉強になりました。 それにしても、浅草は外人だらけ~ しおりさん~中年オジサンにお付き合いいただきどうもありがとうございました!