サニテラの仲間達

退職を機に、自分は残りの人生で何をしたいのか心の声に耳をかたむけ山小屋生活を楽しみ、世界を歩く夢を実現したいと考えてます

東南アジアの旅 チェンライで急展開

2025-01-10 07:00:00 | 旅行
今日は28日目

朝起きて、このままだと折角のチェンライも結局何も見ずに買い物だけしてチェンマイに移動する事になるので、もう1泊連泊で宿泊しようと思ったのですが、ホテル側から「残念ながら明日は満室」と断られてしまいました。
そうなると、ここチェンライでもう1泊他の宿に移動もできますが、ホテルの移動はチェックインの時間の関係で無駄に時間を費やしたくありません。帰国する日が決定してしまった現在では、残りの日程はとても貴重な時間になってしまいました。これまで、ゆっくりと旅してきても疲れたとか体調調整とか言ってきましたが、明日からはそんな悠長な事は言ってられない気がします。

急いでこれまで移動で洗濯出来なかったシャツや下着を洗濯し、ベランダに干しました。多分、今日中には乾くでしょう。朝から何度か航空会社で私の予約が入っているかを確認しますが、残念ながら未だに入っていません。まだ時間はありますが、どうすれば良いのか良いアイデアは浮かびません。これ以上のお土産購入禁止を神さんに伝え、追加金額によっては日本から持ってきた荷物を捨てる事もありうると伝え、その場合は神さんの日本から持ってきた洋服類の一部を捨てる事になりました。

さて、この窮地を乗り越えないと宿無しで困った事になりますが、先ずはホテルに付いている朝食を急いで食べて、明日バスでチェンマイ迄行けるのかを確認する必要あり、市内のバスターミナルのチケット売り場で聞くと明日なら12時45分発のバスに空きがあったので、グリーンバスの安い方のバスを予約してきました。これで明日はここチェンライでの宿泊は無くなりチェンマイへの移動に決定しました。


朝食は勝手に自分の分は自分で作るシステムになってました。

私が作ってます。

コレが今日の朝食!

今度は、ホテルの予約ですが神さんも昨日の夜に私に無茶をさせたせいで、色々困った事が発生してしまって、その対応で今日の予定が一気に狂ってしまった事を悪く思って、明日の宿泊先探しは自分が担当すると自分から行動を起こしてくれました。私がやった方が早いのですが、ここは神さんに任せて、普段の安くて過ごしやすいホテルを予約するのが大変なのか経験してもらおうと思いましたが、なかなか決まらず候補に挙がった数軒のホテルを私に見せるのですが、残念ながらどのホテルも予算オーバーで私達には泊まれなく、如何に探すのが面倒くさいのかを分かってくれたと思います。結局、2人で調べなおして私達にとってはそこそこ値段も良いホテルを予約しました。そのままバンコクのホテルも私が決めてしまいました。でも、実はここで私にとっては現実を知ると言うかショッキングな事がありました。バンコクでは日本人宿が数軒ありラオスで紹介されていた日本人宿に最後は泊まろうと決めていたので、そのつもりで宿泊者情報を記入していたら、なんと59歳までしか宿泊できない。60歳以上はお断りしますと言うではないですか。ショックで目の前が一瞬真っ白に。理由は何なんだろうと考えてみましたが、①老人は宿泊中に寿命が尽きると思っている②老害と言われるほど他の泊まり客にも説教すると思われてる③ネットに疎く他の宿泊者に迷惑だと思われてる④そもそも老化したルックスがNGだ。理由はそのくらいしか想像できません。その日本人宿の名前は伏せますが、とても残念です。私が若かったころの日本人宿では、オジサンや老人が来たら、みんなと誘って一緒に食事に行ったり酒飲んだり旅の話して盛り上がっていたし、そういうオジサン達からは逆に宿を出る時には「若い人達の仲間に入れてもらってとても楽しかった」と言われるくらいでしたが、当時若かった私達は、同じ旅人同士でそれが当たり前の事だったので、こんな事をされるのは本当にショックでした。
何だか今の自分が、社会からそんな風にみられている、受け入れてもらえないのかと初めて認識しました。そうゆう事なら、もう残念ながら私はこれから日本人宿には行かないと心に誓い、これまで少しでも海外で頑張っている日本人の為に協力しようと思った自分が、ピエロと言うかドン・キホーテというか、みっともない限りです。泣けてきました。もう海外には行かないほうが世の為なのかとも思った程です。

それと、やっとさっき例のエアアジアの予約が航空会社の予約サイトに反映されていたのを確認取れました。なので追加料金を約5000円程支払って基本1人7㎏の機内持ち込み重量を、1名分のみ14㎏に増やすことが出来、お土産購入もOKになり、ひとまず安心です。

夕方になって、私が行きたかったワットプラケーオに行けた事、神さんが行きたかった地元の市場に行けた事に、夕ご飯も窯焼ピザが美味しかった事、やはりビールはどこで買っても思ったよりも値段が高い事が分かったと言うチェンライに、ひとまず満足したと言う事にします。


途中にあったワット チェットヨート

迫力ありました。

ココからワットプラケーオ。

本堂ではお坊さん達が経典の読経してました。

寺院内には沢山の建物が

こんなんとか。

ココは緑色の仏様がある所

途中のワットムンムアン

どこかの誰かみたいな。

地元のマーケット!

やはり、地元マーケットは雰囲気良いですね。



夕食のピザ屋さん

本当に美味かった。

やっぱりビール

帰って来てもビールにおつまみが果物!


昔のバックパッカーはチェンライにきて、ラオスとミャンマーのメコン川の国境エリアに行きそこを眺める事こそが、秘境に行ってきたと自慢のネタの一つだったのに、ラオスから国境超えてタイに入国したとなればヒーロー扱いだったのに、今やどこもが普通の安全な地方都市になっていて、何だかそれも爺さんにはちょっぴりショックな事でした。今日は最後のチェンライの夜です。

今日の出費 2,306円
果物     50バーツ
夕食    339バーツ
ビール   106バーツ

東南アジアの旅 ラオスのファイサーイからタイのチェンライへ

2025-01-09 07:00:00 | 旅行
今日で27日目

今日の朝も、期待した通りお坊さんの托鉢を見る事が出来ました。今回もお爺さんと数名の子供です。子供のお坊さんは大人になる前に一般人に戻っていくのでしょうか。青年のお坊さんをラオスの托鉢では見ないのですがどういう仕組みなのかを調べてみたいです。

タイのチェンライまでのバスツアーピックアップにホテルに朝7時15分に来ました。昨日一緒のホテルに泊まった3人組のフランス人達とも一緒でしたので、昨日の部屋の間違い事件は私達との距離も逆に近づけてくれました。途中で2名の若い欧州カップルを乗せ合計7人で国境まで向かうんですが、なぜかまたホテル前に戻ってきました。我々も運転手に何があったのか聞くと、どうもさっきの2名の欧州カップルはこのトゥクトゥクの乗客じゃ無かったという事で、その2人を元のホテルに送り返しに来たのでした。その後に2人がどうなったのかは分かりませんが、逆にそのホテルで間違われて乗る筈だった2名が乗ってきましたが、彼らは昨日港から街までトゥクトゥクで一緒ったドイツ人の爺さん2人組でした。面白いものですが、昨日に続きまたまたその7人組で国境へ向かいました。


今日も良い天気です

お世話になった宿

迎えに来たトラックというかなんと言うか

国境の出入国審査場まで連れて来てくれ、そこで全員そろった写真を撮り、タイ側のエージェントにメールで送ります。私達は国境で出国審査を受けて(この時に入国時に記入した出国時のシートが重要で、無くした人はココで記入していました)無事出国。出国税なるものも取られることはありませんでしたし、国境橋を渡るだけのバスにも乗りましたがバス代も取られることはありませんでした。個人だと必要になりますが、ツアー代金の中に全て含まれていました。このお金は必ず必要になるからと残しておいたのに少額ではありますが無駄になりました。またタイに入国時も特にお金は必要なく、入国審査場を出るとタイ側のエージェントが、ラオス側から送られてきていた私達の写真を見ながら、我々を見つけてくれます。


ラオス側の出国審査に向かってます

タイ-ラオス友好橋のラオス側通過中

そして中間点を過ぎてタイ側通過中

タイ側の入国審査を出た所です

ここから一気にチェンライへひとっ走りで10時20分くらいにはチェンライの中心部にあるバスセンターに到着。ここで昨日から何かの縁で繋がっていた我々老人団体3グループも再び3つのグループに分かれてまたどこかで会いましょうとサヨナラしました。


さぁ、チェンライのバスステーションに到着です。

おばあちゃんはどっちでしょう

お姉さんはどっちでしょう。
壁画が有名です!




私達が予約していたホテルはココから歩いて10分くらいの場所でしたがチェックインには時間が早すぎるため、一度ホテルに荷物を預けた後にホテルの近くに見つけた面白いレストランで朝食を摂り、私のSIMカードは7‐11で1週間分を購入し、ATMでタイバーツを引出しやっとひと段落。神さんのSIMカードはタイで買った30日のSIMに入れ替えただけで使えるようになりました。私のSIMももしかして使えないかと試しましたが駄目だったので私の分だけを購入したという事です。


今日からの宿


到着です

近くの変わったお店

中と外が一体化した様な

店内にも大きな木がそのまま有ります

遅い朝ごはん

落ち着いたところで、珈琲ショップで今後の予定の研究ですが、ここチェンライでも沢山の観光地やトレッキングツアーがありますが、一つくらいには参加したい気もしますが、この町でただゆっくり過ごすだけと言うのも良い気がしています。一つ気が付いたことがあります。ラオスのルアンバパーンには、沢山の中国人観光客と韓国人もいました。逆に日本人はナイトマーケットで一瞬すれ違った若いカップルの日本人2人だけでした。でもルアンバパーンから船旅を始めてみるとあれだけ大勢いた中国人や韓国人は1人も会わず、勿論日本人もいなかったのですが、欧米人だらけになります。中東系もインド系も見ません。そしてタイに入国してチェンライでも今のところ状況は一緒です。街中の店ではあまり見かけなかった欧米系の中年から初老のオッサンやおばさんをよく見かけます。絶対数が多いであろう若者をあまり見ないのは、彼らはそれぞれツアー等に参加して昼間はあちこちに分散しているからなのかと思いますが、どうなんでしょうか。

14時になりホテルにチェックインし、今後のスケジュールを考えますがアイデアが出ません。でもこの町の大きさや環境から過ごしやすいような気がします。私が知っているもう35年程前のチェンマイは現在のチェンライ以上の気持ちいい町でしたが、今現在ここから移動してしまってがっかりさせらるかもと思うと、正直ゆっくり過ごすのをどっちの町にすべきなのか迷っています。


で、喫茶店

珈琲とスイカシェイク

ホテルにチェックイン

なかなか良さげです

広々

シャワーも

半分外の作りですが大丈夫

ココの珈琲やバナナは食べ放題

夕方からナイトマーケットへ食事に出かけました。
5時頃スタートかなと思っていましたが、早くても6時くらいからの様です。商品の出店も沢山出て大賑わいですが、ここでも神さんの買い物スイッチがONになって、タイのズボンをここでも何枚か買って楽しんでいます。晩御飯には、食べてみたかった素焼きの土鍋でたべるタイ風寄せ鍋みたいなのをつまみに、勿論ビールも頂きました。数年前に来た時にはタイのビールは安いと思っていましたが、今や日本のそれよりも高くなっているように思います。日本が未だにデフレから抜け切れていない事と円安によるものと思いますが、これじゃ日本人が海外に出にくくなる筈です。


こうやって写真撮ってます

タイでは合法になったマリファナ

寺院の観光

笑顔の仏様

街の様子

夕ご飯の鍋

ステージでは誰だか良いムードの歌歌ってます。


丁度7時に時計台のイベントが始まると聞いていたので、時計台へ行きましたが、金ぴかの大きな時計台で交差点の真ん中に鎮座しています。ライトアップもされていてなかなか良い物を見せてもらいました。


7時の大時計

かなり大きい時計

帰りにはまたまたビールを買ってきましたが、ここからひと悶着です。
神さんが日本への帰りの飛行機を、今予約しろと言います。兎に角早く日本に帰りたいと言います。飛行機予約するにも条件などを比較しながらいろいろチェックして予約していたから簡単にはいきませんが、午前1時までかかってアゴダでエアアジア便を予約はしました。ですが次の段階で予約後にお土産をたくさん買っているので手荷物条件の7㎏から追加重量を増やす手続きをしようとしますが、アゴダアプリの中では対応できなく、直接航空会社で対応しろと条件欄に書いてありますが、航空会社へ直接アクセスするも私の予約は見つからなく変更出来ません。アゴダアプリでその件をAIチャットで聞くと「航空会社で自分の予約が見つからなくても予約確定の連絡が届いていれば予約は通っている」と返事され、それ以上の私からの質問は書き込めない仕組みです。でも今回は手荷物の重量を追加予約をしたいのに、アゴダでは対応出来ず航空会社のアプリでは予約が見つからず、その追加予約自体が出来ない状態ですから、当日空港に行ってその場でとんでもない追加料金を取られたら馬鹿らしくてやってられません。私もイラつくし夜中に「だから急に予約とかしたら駄目なんだと言っただろ!」神さんにも八つ当たり!
まあ、長い旅をしているとそんな事もありますが、ちょっと2人とも苛ついてしまいましたが、こんな事もある個人旅行なのでしょうがないですね。

今日の出費 18,461円
交通費   US17ドル(チェンライ迄)
朝食    2万キープ(珈琲)
宿泊費   6,822円(2泊分)
朝食    160バーツ
SIM    400バーツ
喫茶    125バーツ
夕食    360バーツ
お土産   700バーツ
ビール等  135バーツ
マンゴ   40バーツ





東南アジアの旅 ラオスースローボート2日目

2025-01-08 07:00:00 | 旅行
今日は26日目かな

メコン川上流へのスローボート2日目は、昨夜に調子に乗って注文したビールやおつまみのせいで、計算上今朝の朝食というか昼食含めて6万LAKしか使えません。そしてこの村では私達の宿泊しているゲストハウスしかパンを売っていないようで、ここでパンを2個しか買えませんでした。ボートは8時30分出港と前日に聞いていましたが、これまでの経験上疑い深くなっている私達は今日も7時30分に船に乗ろうとチェックアウトすると、ちょうどお坊さんの托鉢がここでも行われていました。このグループもお爺さんと子供3人のグループでした。田舎の朝に響くお経の声は仏教国の私達日本人にはなんだか懐かしい気持ちにさせられます。



朝の托鉢中

昨日船長は、明日は同じ船で20mほど向こう側から出港すると言っていたと思うのですが、神さんが港にいる関係者に聞いてくれてましたが、舟は昨日の舟とは違うし、出港場所は昨日到着した場所だし、昨日の話はなんなのかと思っていたんですが、続々と昨日見た例の私達の周りにいた欧米の旅人連中が乗船してきて一安心です。でも、どうも昨日一緒だった全員が乗舟して来ている訳ではなさそうです。この村に連泊するのかと思うと不思議ですが、確かに昨日隣に座っていた白人とアジア人の中年カップル(D)と、2席前に居た同じく白人とアジア人カップルに白人旦那のお母さん達(C)の姿が見えません。川沿いにはお洒落なテラス付きのTHE HOTELって感じの建物やリゾート感ある宿泊施設も見えるのでメコンの茶色い川を1日見ながら過ごすと言うのも金銭的に余裕があれば乙なものかも知れません。私達にはそんな余裕はないので、優雅な旅は出来ず欧米若者のバックパッカーと行動を同じにしなくちゃ、否それよりも今やレベルを落とさないと旅は続けられません。出港時間はほぼ予定通りの8時40分でした。


村のメインストリート

さぁ出発

昨日と違う舟やないかい!


私達は早目に来て自動車のリクライニング付きの椅子に着席で前の方は直角椅子。

今日のルートで昨日と違うのは船から見える景色です。まず砂金堀はやはり砂金はどこでも取れる訳が無いのでしょうか一切見えなくなりました。バナナ等の小さな農園も無くなり、その代わり大規模な規模で何らかの穀物を山肌一面に作っています。その光景はこれまでのジャングルに覆われていた山が、草原に変わってしまったような感じです。そして途中で乗降する村人も、昨日までは明らかに村に到着して乗降が有るんですが、今日は村など無いような場所に人が乗降しています。一体全体この人たちはどこから来てどこに帰るのか全く不思議な光景で、グーグルマップで見てもそこに村など表示されませんから、広い農園のどこかに家があるのかもしれません。
今日の舟からの景色が良いのは昨日と違って左舷側になりました。面白いもんです。


山が切り開かれて何やら植えています。

どこもこんな感じで、収穫した穀物は大きな袋に入れて川の側に積み重ねてるので、誰かが集荷に来るシステムだろうと思いました。

こんな風景が続きますが

なんと、ドックヘッドと名のついた石発見。昔飼ってたダックスに似ていました。

舟旅も2日目になると外の風景もみんな見慣れてきて、乗客の内旅行者でさえもあまり熱心に風景を眺めたりする人も減ってきているように思います。それぞれ本を読んでいたり、昼寝していたり、カップルでの旅行者はいちゃついたり、ゲームしていたり、昨日服を借りていた女子高生2人は今日はどこから手に入れたのかちゃんと長袖長ズボンの服を着て乗舟していました。例の美女2人組は、舟の中ではイケメンの2人(昨日同じ席だったアメリカ人?と前の方に座っていた彼と途中で行動を共にし始めたイケメン男性)から相手されなくて、しばらくは2人で座っていましたが、寂しくなったのか彼女らから彼らの席へ移動しおしゃべりに夢中で写真を撮ったり連絡先交換もしていたと神さん情報!更に夕方舟を降りても4人一緒にそのままタイとの国境へ向かったのでした。世の中、世界どこにいても”そうなるだろうなあ”と思った様に出来ているんだと納得するやら、少し腹立つやら。私は古い日本人なので、あれだけの容姿を持つなら彼女らは本国に彼氏はいるであろうと思い、例え旅先でも多分大和撫子では絶対に同じような行動はとらないと思い、そんなところも日本人女性が世界中の男性から憧れられる要因だと納得するしだいでした。

港に到着すると、トゥクトゥクでホテルまで行くんですが、夕方到着してそのまま国境越をする人も案外多くて奪い合いになります。確か全部で4台しか港にはトゥクトゥクはおらず、既に2台はほぼ満員であと1名づつしか乗れそうにありませんから、私達夫婦はこれらには乗れません。残りの2台の獲得競争です。白人大男と比べガタイが小さく押しも弱く老人クラブの私達にはこの競争は言わずもがな勝てそうにもないのですが、頑張って交渉を始めたトゥクトゥクにも、威勢のいい若い欧米人の軍団が国境までという連中に横取りされてしまいました。そしてようやく残る最後のトクトクに我々夫婦とドイツ人の爺さん2名、フランス人の爺さん婆さん3人組の計7名でやっとこさ確保出来一安心です。車内で話を聞くとこの内の3人組は偶然にも私達と同じ宿に予約していて、ひとまず宿までは無事到着出来そうだと安心しました。
ホテルチェックイン後には、明日のチェンライ迄のバスのツアーがあるとの事でチケット値段を確認しましたが、2名でUS$16.5ですから1名で8.25ドルになり、個人でバスを乗換えて行った場合が全て含めて2人で約2300円位だったので、ほとんどツアーを使う場合と個人で行く場合とでの値差はなく、このバスツアーチケットを購入しました。ホテルは雰囲気も良い感じで昨日のゲストハウスよりも安いのに掃除が奇麗で床も磨き上げられてて全てにおいて気持ちいいホテルでした。


やっと2日の長いボート移動も終着!

今日の宿です

とても綺麗でした。

床も天井もピカピカ!

ベットも綺麗です。
昨日のゲストハウスよりも安いのに。



ここでの支払いは、残り少ないUS$とタイバーツを混ぜて使い残りのキープ紙幣はごくわずかになりました。予定ではUS5ドル紙幣を使う予定でしたが、5ドル紙幣が古くマジックでチェック印がいっていたので受け取ってくれずに本当にぎりぎりのお金の残金になってきました。勿論、ATMで下ろせばお金は用意できますが、カンボジアと違いラオスのATMはラオスキープしか引き出せないので明日国境越をする身にしては、無駄金になってしまうからです。

そして、このホテルでは、ちょっとしたハプニングがありました。
私達の部屋は2階の2号室とカギを渡され、部屋に入ろうとカギを開けようとするんですが開きません。逆に部屋の中から女性の声がします。最初は隣の1号室からの声だと思ったのですが、その内にキャーキャー言っているので「2号室にいるのか?」と声掛けしても何やら言っているので、フロントに行ってその旨を告げると、どうやら私達に間違って部屋のカギを渡してしまった様で掃除した時にカギをなんやらこうやら言って謝られて、一緒に2号室に行きその旨を説明してもらい、私もさっきは大変失礼しましたと謝ったのですが、その時に中に居たのは、フランス人の3人組のうちの1人のおばあちゃんでした。

夕食はゲストハウスの隣のレストランで頂きましたが、値段表記がタイバーツで表記されていて国境の町を感じさせられます。レストランのオーナーは見た目が全く日本人で、何故日本語を話さないのかと言いたくなるようなおっちゃんですが、終始笑顔でお客と接して腰も低く、これは流石に店が繁盛する筈だと思いました。そして勿論USドルも使えたので最後の手持ちの20ドル札を使うしか私達には夕食にありつけなく、手持ちの最後のUS20ドル札で約12ドル分を使いましたが、お釣りがラオスキープで戻って来て、これを無駄なく使うためにホテルに戻って水とお菓子を数個無理やり買いました。


晩御飯も美味しかった!

デザートはお客さん全員にサービスです。

お店はこんな感じ

ビールも売るほど有ります笑


さあ、これで明日はいよいよタイに再入国です。旅もそろそろ終わりに近づいて来るようで何だか少し寂しくもなりますが、タイは私にとっては幾度となく訪問している安心できる国なのでほっとしたりもしています。

今日の出費 7952円
船賃   40万キープ
交通費  4万キープ
宿泊費  US14ドル
朝食   6万キープ
夕食   US12ドル
お菓子  6.5万キープ

PS.今日は神さんが何だか変だと思っていたら、私達には残金が無いので舟の中での買い物は禁止でしたが、外人達は珈琲を飲んだりビールを飲んだり、買ってきた弁当食べたりしていますが、私達には小さなパンが1個づつと水しか無いので機嫌が悪かったみたいです。それもタイに入国したらバーツだと東南アジア最強の通貨なので、現金で持っていてもこれからも使えますからそんな我慢もしなくて済むようになります。







東南アジアの旅 ラオス‐スローボートの旅1日目

2025-01-07 07:00:00 | 旅行
今日は25日目です
ココで記録しとかないと今日が何曜日なのか、家を出て何日目なのか分からなくなってしまいます。

今日の朝は目覚まし時計が鳴る前の空が暗いうちから目が覚めてしまいました。歳をとって来ると朝が早くなるとは言いますが、ニワトリよりも早起きになって来ると流石にがっかりです。

今日からスローボートを乗り継ぎ、2日かけてラオスの北部のタイとミャンマーが接している場所を目指し、そこからタイに渡るつもりです。昨日の夜に一応バックパックに荷物を詰め込み出発の準備は済んでいるので、ホテルフロントに6時45分に降りていきました。しばらくしてオーナーも姿を見せ、またトゥクトゥクも7時前に到着しました。オーナーにはお礼とサヨナラのあいさつをしていよいよ長期移動の始まりです。


お迎えに来てもらいました!

朝が早かったことで良い事もありました。私達はルアンバパーンの名物でもあるお坊さんの托鉢を見ていませんでしたが、このタイミングでちょうど見る事が出来ました。数軒の家が家族全員だったり、その家の奥さんだけだったりするんですが、家の玄関前の道路に座って托鉢のお坊さん達を待っています。お坊さんたちは裸足で列をなしてその托鉢してまわります。私達が見たのは年老いたお坊さんと子供達の4人程の小さなグループです。その一連の姿をみて何だか色々と考えさせられました。

スローボートのチケット売り場には7時20分頃に到着したものの、先に来ていたのは2名の欧州美人しかいません。彼女らも切符は持っていなくて、私達も同じ様にここでチケットを買う予定だと聞いてお互いに少し安心した空気が流れます。7時30分を廻った頃に中型バスで欧米人の団体がやってきました。同時に切符売り場のお兄ちゃんも出勤です。現地の人は既に切符は持っているのかどんどん荷物を乗せ始めています。切符売りのお兄ちゃんから、私達と2名の女性も切符を買って船に乗り込みますが、2艘の同じような舟が繋がって係留されています。奥の舟に中型バスの欧米人が全員乗っていて、手前の舟に現地の人が乗っています。こういう場合は奥の舟に乗るのが正解と思いながらも迷っていると、舟会社の人からか「パクベン行くのか?」と聞かれてそうだと答えると手前の舟に乗れと言われ、奥の舟は違うと言います。半信半疑ながらも手前の舟に腰を落ち着けていると、奥の舟はさっさと出港していきましたから、もう後戻りは出来ませんが、次々にこの舟にも乗客が増えてきました。自転車やバイクも2台以上乗せています。大きな荷物や大量の荷物はボートの天井に乗せています。外国人観光客もどんどん増えていき8時にはほぼ満員になってきました。ホテルのオーナー曰く8時出港と言ってましたが、乗客は8時20分くらいまで乗り込んできて、出発は8時50分頃になりました。


チケット売場

さぁ、乗込みます。
手前の赤い天井のボートです。

あのバイクも載せてました!

この舟の乗客の約半分は地元の人達で、残りの半分が外国人旅行者のような割合です。私達が座った席の周りも面白そうな人達です。すぐ後ろはロシア語だと思いましたが高校生くらいに見える女性2人組(A)、前の席は風変わりな20代後半くらいのアメリカ人っぽい男性1人と遅れて乗車してきたこのボートで1番美人だと思われるイギリス人っぽいモデル風女性2人組が加わった3人(B)、2席前がラテン系の30代半ばの男性とアジア系の40歳は超えてそうな奥さんと男性のお母さんの3人組(C)。左隣は50歳後半くらいの白人男性とアジア系の奥さん(D)。その前の席は謎の40歳前後の白人カメラマンでCanonミラーレスカメラであちこち写真を撮ってる人(E)、更に前の席は2人組のラテン系女子高生みたいだけどずっと携帯で音楽聞いているか動画を見ている感じで話しもしないので国籍は不明(F)。左隣の後ろは多分スペイン系の男女カップルに女性が1人混ざった3名で楽し気にずっとおしゃべりです(G)。


Cの3人組

Eのカメラマン

すぐ前はBの美女

私達の後ろの2人組(A)の1人は短パンで肩だしの胸から下しかない服だったので流石に寒そうでしたが、隣の席の後ろの3人組(G)の男性が服を貸してあげてました。紳士だなと思わず心の中で拍手。更に後ろの方からも女性が長ズボンを貸してあげてました。
私達の前の美女と話し込むお兄さん、その相手をにこやかにする美女2人組はこの1日で、どうなる事かと心配していましたがボートが何回か村に着いて、現地の人が下船して少し席が空くと、お兄さんも美女にはそんなに執着なく、さっさと移動しお兄さんの爽やかさが残りました。2席前の席の3人(C)については、私らと同年代と思うお母さんは、息子が年上のアジア系のおばちゃんを奥さんにして、どんな気持ちなんだろうと想像してしまいました。でもこの奥さんは、義母を大変大切にされている様子がよくわかります。また長い道中で肩もみ、首や頭のマッサージも当たり前の様にしてあげています。息子さんと奥さんも仲が良さそうに見えます。もしかしたらお母さんは息子の嫁に、ぶっちゃけた白人嫁よりも、年上のアジア嫁でも幸せなのかも知れないなと思い不思議な気持ちになりました。隣のカップル(D)は、白人の旦那さんもアジア人の奥さんもいちゃついてて相思相愛なのは良くわかるけど、私にはこのカップルも奥さんはかなり年上な様に見えてしまいます。私の目から見た周りで繰り広げられるあれやこれやは、まだまだ書けば色々ありますが、小さな船の中でのそれぞれの人生が垣間見えて不思議な世界でした。私達夫婦も他の人達からみたらどう見えていたんでしょう。


前の方に現地の方が、後ろの方に外人組な感じ

景色はとても良い感じだけど暑い🥵

この舟でも、小さな村々に着いて乗客を降ろしたり乗せたりしていきますが、これらの村への交通手段は舟しかなさそうです。グーグルマップの地図を拡大して見ても村から村への道は繋がっていないようです。我々の舟が村に近づくと、多くの村人が近寄ってきて荷物を船から降ろしてまた村に直ぐ引き返していきます。村には港と言われるような建造物はありません。ある村には岩の上に降ろしたり(日本で見るのは海釣りの瀬渡しの感じ)、砂地に微妙に乗り上げたりして、小さな子供も赤ちゃんを抱くお母さんでさえ上手に乗り降りしています。そんな村での生活がどんなものなのか滞在してみたい気持ちにもさせられる日本にはない不思議な生活圏です。村々の人の経済活動で分かるのは、川魚漁師、バナナ等の果樹栽培、砂金堀りがあるようですが、それぞれ専門職にしているのか兼業なのかは分かりません。また野生の牛、水牛、ヤギが沢山いるようですから、肉類はこれらを捕まえているんではないかと想像しました。最初は飼っている牛だと思っていましたが、勿論飼われている牛もいるでしょうが、野生の牛の方が断然多いと思われます。アルビノ水牛が案外沢山いてびっくりです。
因みにこの川登りの1日目の場合、景色が良いのは右舷側です。もし乗船する機会があるなら間違わないように。


途中の村では村人も集まって来て荷物下ろしたらさっさと持ち帰ります!

豪華クルーズ船とDのカップル

砂金取り

この人達も砂金取り

別の村では岩場にウキを浮かべて桟橋にしていました。

野牛

夕方、1日目の最終地点のパクベン村に到着しました。舟を降りる時に、「明日のファイサーイ行きのボートは何時にどこから出港か?このボートで行くのか?」と船頭に聞きました。すると、「このボートであっちから8時30分に出発する」と回答してくれましたが、100%信用しない事です。
そして、今日のホテルは今回の旅で1、2を争うひどいレベルでした。
何がひどいかと言われると説明しづらい酷さです。ベッドシーツも奇麗だし、一応窓もあるし、水漏れはあるもののシャワーのお湯も出ますが、ここが32万LAK(2200円)とは思えません。せめて1000円以内なら納得もしますが。そんな宿ですが、どうも今日も満室の様です。
夕食は、近くのレストランに行きましたが、料理の値段が想像以上に高くてびっくりし、一番安そうでもある私達が泊っているホテルの併設レストランで食べる事にしました。お客は私達だけで、料理の味にも衛生的にも少々不安でしたが他のレストランよりは安い価格設定になっていました。それでもルアンバパーンと比べても高いのでボート旅の途中で1泊だけしかする必要は無いと思えました。一方のココでの料理ですが、アルバイトと思われる若い女性が私達にはにかみながら注文受けた後に、食材のカットから料理を始めていて衛生管理は信用できそうでした。それで調子こいて夕食の他にビールを2本と、おつまみ迄注文してしまい予想を上回る出費となり、この後とても困る事になってしまいました。


1日目が終了!

パクベン到着

夕闇が直ぐそこに



今日の宿

なんかねぇ

綺麗なんだけど

もう壊れそうな

こっちも動く事は動くけど

晩御飯

調子こいてしまいました。

今日の出費 8,469円
舟賃    40万キープ
交通費   20万キープ(宿‐港)
宿泊費   31.5万キープ
夕食    26.5万キープ
珈琲    6万キープ(舟の中)    


東南アジアの旅 ラオス‐ルアンバパーン最終日

2025-01-06 07:00:00 | 旅行
今日で24日目

さあ、今日は実質最終日のルアンバパーンです。私の身体の調子は昨夜頃から完全復活したようですが、神さんの体調はまだ良くありません。明日朝からの長距離移動に備えるためにも治って欲しく、風邪薬を服用して午前中寝ていたら、かなり調子が良くなった様です。


今日の朝ごはん

明日朝の移動の為に、朝早くに近くの大通りにタクシーやトクトクが停まっていないか確認に行きましたが全くいません。タクシーアプリのLOCAは、まだ使った事が無いので、最悪つかまらなかった時の事を考えて、ホテルオーナーにタクシーの予約をお願いしましたが、15㎞程度の距離ですがタクシーで30万LAK(2100円)、トクトクで20万LAK(1400円)、トクトクで町のホテルでピックアップして乗合スタイルなら時間はかかるが1人6万LAK(420円)で出来ると言います。乗合の場合は、私達は2人なので12万LAKとなり(840円)になります。新幹線の駅との距離とさほど変わらない様なので、妥当だと言えば妥当な値段の気もしますが、私にはそれ以上の選択肢が無いので少し高い気もしますが結局トクトクを明日朝の7時に予約をしました。

神さんが寝てる間に、明日からのスローボート1日目と2日目の安宿を予約しました。その昔には、タイとカンボジアとミャンマーの国境をまたぐ三角地帯のここ等辺りをゴールデントライアングルと言って、芥子の花を栽培して麻薬を作っていた地域ですが、今は全く安全な地域になったと言いますから世界は安全になったのか面白みが無くなったのか、もろにその地域を通りチェンライ迄行く予定なので、チェンライのホテルまで予約とってしまいました。

お昼頃には神さんも起きだしてきて、ランチや珈琲タイムに出かけようと言い出したので随分と調子は良くなって来たようで一安心です。


近くのお店の昼の顔

ランチは、神さんがグーグルマップ上で見つけた気になるコーヒーショップで、川沿いのテラスでゆっくり過ごしました。昼食の予定が喫茶となり私は珈琲で神さんはマンゴースムージーにキャロットケーキです。町をぶらぶら帰る途中にも神さんのお土産購入パワーは絶好調で、あちこち目ざとく見つけてお店で交渉です。今回は私の無くしてしまったモンベルのフィッシングキャップで、パタゴニアの物を見つけて値段を聞いたら1200円程度です。という事はバッタもんで間違いなしで何となく本物と比べたらゴワゴワしてて顎ひもがちゃちだったんですが、日本で本物は買えないしどうせ渓流釣りや山登りの時しか被らないのでこのバッタもん購入になりました。また、いつもの夏用の室内ズボンで気に入ったのがあると言い値段が22万LAKとか言われたものの欲しい神さんは結局14万LAKで手を打ってました。この値段が妥当なのかは分かりませんが、私が見てもなかなか良いと思います。


パタゴニア?の帽子

今日も快晴です!

帽子を被って今度こそ無くさないように!

日陰を歩いても暑い!

小道では、おばちゃん達の笑い声!

このお店が目標店

ここね!

中はこんな感じ

席は、1階と2階と道路を隔てたメコン川沿いのテラス席。

迷わずテラス席へ

最前列が空いたので移動!
ココでもゆっくりしました。

ホテルへの帰りに唯一のスーパーマーケットに行って値段チェックするも、特に安くも無く撃沈。


夕食は昨日見つけた地元レストランに再訪です。神さんは昨日私が食べたピラフを注文、私はココナツライスカレーです。昨日は中国人のパワーにびっくりでしたが、今日は欧州人の若者が多くてこれなら安心と思ってた矢先、凄いパワーでやってきました中国人団体様。昨日に引き続き持ち込みをどんどんしていますが、ビールはお店のものを飲んでいました。今回はツアー添乗員さんも一緒だった様で、静かにと注意されていましたがめちゃくちゃ楽しんで食事していました。ある意味羨ましくもあります。


今晩の夕食。
安定の美味しさ!

そしていつものビール

帰りには、ナイトマーケットにまたまた寄り、神さん得意のお土産吟味です。明日のボートでの食事の為にパンを買って、夜の一杯の為におつまみ買ったらお金が底をつき、明日からのお金が無いのでATMで200万LAKを下ろしました。これで多分タイまでは大丈夫だと思いますが。。。

明日の宿のチェックアウト時間が早いので、多分その時間にはいないと思う宿のオーナーにどうすれば良いか聞くと、朝7時のチェックアウト時にはフロントデスクにいると言うので安心して今晩も一杯のんで明日に備えました。

このホテルの従業員は殆ど英語が出来ません。出来るのはオーナーだけです。従業員に私達のお願いを伝えるのは、いざとなったら携帯電話の翻訳アプリを使えばどうにかなりますが、質問した場合の回答がラオ語で言われても分からないのでオーナーにチェックアウト時はどうしたら良いか聞いておこうと思った訳です。

今日の出費 5,888円
昼食    13.2万キープ
お土産   34万キープ
夕食    7万キープ
お土産   12万キープ
ビール等  7.9万キープ
明日の朝食 9万キープ

PS.このホテルの隣の部屋に泊まってたマレーシア人の女性が、今日のお昼前に次の街に旅立ちました。何処に行くのか聞くと、中国ラオス鉄道で中国昆明まで行くそうです。私もチベットは行きたい場所のひとつなので羨ましく思いましたが、今の中国へは、日本人が下手に入国したら、いつ何時に何の理由で捕まるか分からないと思ってて絶対に入国しないと決めているので尚更です。早く中国も民主化するか、若しくは近平さんの次の主席になって野望が消えたと思ったらいってみたい!でも、多分私の元気な内には無理なんだろうな。