サニテラの仲間達

退職を機に、自分は残りの人生で何をしたいのか心の声に耳をかたむけ山小屋生活を楽しみ、世界を歩く夢を実現したいと考えてます

第二の人生 友人との会話から

2024-02-06 08:18:00 | 人生について
これから人生の最終コーナー曲がったあとの不安と準備について、友人と良く話します。

経済的な不安、健康の不安。子供たちの将来の心配。自然災害(地震や水害等)や戦争などの不安。

私は色々と時間をかけて準備はしたりしてきましたが、自分で事前に準備できる事と、出来ない事があると思っています。そして悪い事が何事も起こらず過ぎてくれたら一番だと思っていましたが、正月には能登半島では大地震が起きてしまい、家族を失ったり自宅も無くなったりとひどい災難に遭われた方々の事をニュースで見ると心が痛みますし、次は自分や家族の番にならないかと不安がつのります。

1:我が家での大地震発生時の準備は、日曜大工で自宅の古い壁を剥がしながら何十年もかけて少しづつ耐震強度を上げてきました。かなり大きな震災でも多分一撃で倒壊する事はないと思うので逃げる時間はあると思います。子供達には小さなころから夜中でも少し大きな地震があるとたたき起こして一番安全な玄関までダッシュで集合して逃げるようにしてきたので、家族全員が習慣になっています。東京直下型や南海トラフ巨大地震が発生したら、命さえあれば後は何とでもなると思っています。

2:戦争起こった場合の最後の手段は、ヨットでハワイにでも逃げようと思って頑張ってみましたが、残念ながらこの準備は私の金銭的壁と、教えてはもらいましたが操作技術の難しさでヨット購入は断念しました。なので、もしも国外脱出するとすれば戦火が早いうちに逃げるしかありませんが現実的には日本の運命と共にするしかないでしょう。

3:子供達の心配とは、既に家庭を持った大人なので私達はただ見守るだけで何も出来ないですし、すべきでは無いと思っているのでどうしようもありません。ただ案ずるばかりです。

4:健康は特に気を付けるようにしています。無農薬や減農薬の野菜、無添加加工食品や自分で作った食材をなるべく食べるようにしています。そうする事で不思議な事が身体に起こりました。今まで美味しいと思っていた加工食品が不味く感じる様になってしまいました。多分、添加剤の味まで舌が感じる様になってしまったようです。いままで如何に添加物まみれの食品を空腹を満たすと言う目的のみで食べていたかと思います。そんな身体には良いと思う食生活を子供達にも勧めたいのですが、日常が忙しい子供達なので対応出来ないでしょうから、少しでも身体に良い食品を摂ることで、自身と家族の健康を守って欲しいと願うばかりです。

5:経済的な不安はどうしようも無いですが、出費を極力抑えるしかないです。自分の健康とも結びつきますが外食を極力やめ、自然なものを少し食べて、太陽光を身体に浴びて適度な運動して病院通いをなるべくしない。また必要なものは値段を比較してネットで取り寄せ、自分で出来る日常の作業は自分で解決して出費を抑える。でも生活を楽しむにはメリハリをつけて楽しむ努力を怠らない。これまで収入は年金の他には色々考えてはいたのですが、今のところ全滅状態です。残りの手段は自分のYouTubeチャンネルを作って小遣い収入が出来るようになれば良いのですが、まあ殆んど無理っぽいですね。

以前は、沖縄に移住して庭に野菜や果物を作って鶏飼ってたまに海に魚釣りに行って夕方は夕日と海とを眺めながらビールや泡盛飲んで晴耕雨読の生活したいと考えていましたが、あの中共が台湾や沖縄に攻め入る可能性が高いと思い諦めてしまった事が今でも悔しい限りです。



第二の人生 未だに見えない生活スタイル

2024-02-05 07:30:00 | 人生について
第二の人生を生きるという事が、未だにまだまだ全容が見えません。
学生を卒業して親元から離れて社会人となる時には、私には自分でお金を稼ぎ生活する手段は企業に就職するしかなく、他の選択肢はありませんでした。なので他に何の生き方も考えず就職し、ただ一生懸命に働き、恋をし結婚し子供を授かり、その後は家庭を守る事だけを考えて生活していました。

企業を退職し残りの人生をスタートした今、どんな第二の人生を送るのかを数年かけて試行錯誤してきました。実際、大学卒業し社会人になった時と違うのは今回は住む家もあり、年金という少額ながらも収入予定もあり、子供も社会人となり巣立った後なので、子育てに必要な収入も必要ありません。以前と比較しかなり自由の身となり「これからは本当に好きな事をして暮らす」と心に誓って既に数年、まだそのスタイルが見えていません。自分の寿命が尽きるまで漫然と生きるのはごめん被ると自分に誓った筈なのに。

何か他人の生き方が気になってもいます。あんなに人に指図されるのが嫌だった仕事でさえも、先輩が現役で働いていると聞くと羨ましく感じてしまったり、現役友人が会食や会社帰りのちょいと赤暖簾で一杯のインスタを眺めては、日々の生活の為に食費を切り詰めてる我が日常に嫌気もさしています。娘夫婦が共働きで孫の保育園等で迎えを助けて欲しいと言われたら最優先に駆け付けますが、その生活スタイルは消防士がいつ発生するか分からない緊急事態の為にスタンバイしている体制と同じ状態です。娘家族の助けになるなら孫の助けになるならと全く負担は感じませんし、世の私と同じ世代はみな似たような考えでいると思いますが、私は何かが違うような気がしてなりませんがそれが何かがわかりません。

自分の一番幸せな老後を想像すると、自分の生まれ育った場所に戻り小中学校の昔の友人たちと、釣れない魚釣りしたり、掛けない麻雀したり、お互いの家を行き来して馬鹿な事をしゃべったりしている自分の姿に憧れたりもしますが、実際地元に戻っても同級生もほとんどが地元を離れていますし、遠い故郷に戻ると私の子供達とは会えなくなってしまいますから、その選択はありません。もしも友人たちが故郷に居たとしても昔みたいな関係をこれからも継続できるのかも分かりませんし、戻る事が正しい選択かさえわかりません。

少なくとも今の私の目標は、まだ体が動けるうちに、心が加齢により枯れないうちに早く世界中の自然や歴史をこの目で見、感じ、触れ、食する事だと決めていますが、今は娘を補助する方が最優先なのでしばらくはこんな気持ちが続くのかもしれません。
昔、私のお祖母さんが生きていた頃「親は自分が歳を取って何歳になろうとも、子供が大人になろうとも、いつもわが子を案ずる(心配する)ものだよ」と言われたことを、今とても実感しています。

第二の人生 地元友人との会食と気づいたこと

2023-11-29 07:30:00 | 人生について
地元の友人との久しぶりの会食。

地元の友人とは言っても、生まれ育った町の喫茶店で学生時代にアルバイトしていたというつながりで、社会人となって福岡市で仕事をしている(た)先輩や後輩です。私は仕事で福岡市から関東まで出てきたので福岡市も地元みたいなものなので、地元の友人と言っています。

私にとっては皆さん数年振りの再会です。そしてこのメンバーはみんなとても見た目が若い。上は今年64歳から下は60歳。若い頃と基本ほとんど変わっていない。とても不思議な感じですが、理由の一つはみんな頭髪が変わっていない事だと思います。白髪は少し出てきた人はいますが、基本的に染めてなくても真っ黒で薄くもなっていません。美容にも気を使っています。顔にシミも私以外は発見できません。聞くと自分でだったり病院で取ったといっていました。格好もとてもオシャレです。ファッション関係で働いていた先輩もいますが、みんな元々オシャレでしたし更に磨きがかかっているようです。私もとても刺激になりました。皆さんそれぞれ同級会などあってもその中で、とても若く見えて逆に浮いてしまうと言っていました。
まあ、それでも話す内容は昔のやんちゃだった頃の話、健康の事、人間ドック、年金の事。子供から孫の話と多分同世代の誰もが話す話題。それでも更に自分の趣味や旅行や女性の話まで広がるところが若さの秘訣かもしれません。

久しぶりの帰省だったので、地元市内の友人A夫婦と一緒にもお酒を飲みました。夫婦同士で酒を飲むのはそれこそ十数年振りだったのでとても懐かしくあっと言う時間でした。それでも友人は過去の話と苦労話が多くて、趣味や旅行、将来の夢などの明るい話に盛り上がりが欠けて少々残念でした。今も再雇用で働いていますが、奥様は最近は全く笑顔が無いとも言われていました。彼が将来退職してストレスから解放され、若い頃のようにいつもの笑顔が戻ってきて欲しいと心から思いました。

人間は、多分外側である肉体と内側である精神(魂・心)が合わさって人として機能していると思います。誰もが分かっているとは思いますが、若い頃は肉体も誰もが若く輝いているので気づきにくいですが、もしかしたら歳をとってくると、人の外側と内側は双方が影響しあっているのではないかと思うようになりました。神さん曰く、私の現役の最後の頃は友人A君みたいに私も笑顔が無くて暗くて心配していたと言います。自分ではそのつもりは無かったのですが、もしかしたら当時の私も身体と心のバランスが壊れていたのかもしれません。今の私はストレスフリーで内側が健康になったおかげだろうと思いますが、外側の身体も元に戻って元気になっています。

その仕組みに気づいた時に、外側の身体が壊れてしまってからでは既に遅いので、早いうちから自分の子供や孫には分かりやすく、それを教えておきたいものです。

第二の人生 法事の巻

2023-11-28 10:11:00 | 人生について
私の実家に法事に帰っていました。

法事とは、親戚を呼んで、坊さんにお経上げてもらって少しの説法を聞いて、食事をしてお土産ももらっての流れが通例だと思っていましたが、今回は私の提案で、親戚も呼ばず坊さんも呼ばず、家族のみで亡き人の話をしながら食事をして偲ぼうという意見を採用してもらいました。
お経はCDで流しながら久しぶりの兄弟妹で親父の話をして供養をしました。その後は豪勢な食事をしながら近況報告も出来て、これまでの型にはまった法事よりも良い法事が出来たと改めて感じました。

今回は老いに関しても深く考えました。
先日から義父に来てもらって一月ほど一緒に生活してみて、1年前と比べてもかなり老いてしまった義父が言った、「自分の中ではまだ40歳代のつもりだけど身体がついて行けない」との言葉に、ある意味当たり前の事かも知れませんが、90歳手前でも自分の本質である中身の部分が若いと言う気持ちなら、今までの行動のいくつかも納得出来ました。よろよろしながらしか歩けないのに、一人で急な階段に突進していって私らを慌てさせたり、孫一同からプレゼントされた杖も「自分にはまだ早い」と使いたがらない事も納得です。

私の実父は生前、とてもバイタリティー有り活動的で負けず嫌いでしたが、最後は痴呆も出てきて何にも興味を失いただその命をつないでいるだけにも見え、私も何か父にしてやれることは無いかと思いましたが、当時は現役で仕事に追われる毎日で実際何も出来なかったことが今でも心残りです。

私も今の時点で、自分の身体が頭で思うよりも実際が思ったほど動かなくなってきている事、鏡に映った自分の姿をみると知らない爺さんがいたりする事。自分の外と中が一致しずらくなってきたのが分かり、あと20年もすれば実父や義父のどちらかになるのかと思うと。。。いつまでも元気でパワフルでやる気満々な前向きな父であり、祖父であり、曽祖父でいたいものです。

第二の人生 義親子関係

2023-11-17 10:57:00 | 人生について
私の家に一月ほど義父が遊びに来ています。
昨年も約一月ほど滞在してくれました。

昨年と比べると1年で随分と足腰が弱くなってしまったようです。折角の山奥での非日常の生活を楽しんでもらおうと思っていたのですが、階段の上り下りもおぼつかない状況では、有名温泉でさえも入る事が出来ません。トイレもやっと使っているように見えます。頭はハッキリしているので話していても何も問題ないのですが、身体は本当に歳をとってしまっています。

私が神さんをもらいに行った時の義父の年齢が、今の私の年齢。当時の義父はまだ現役で目力が強くて馬力があった人でしたが、過ぎ去った年月は恐ろしく老化を進めてしまっています。私は結婚当時から義父母との関係を実父母と同じくらいにしたいと思っていましたが、努力不足のせいか未だに娘の旦那様と思われているようで少し寂しく思っています。実際、周りをみてもTVのドラマにでも出てくるような、義父母が実父母と変わらないようなずけずけと言いあうような家族は見たことないので、これが普通なのかもしれませんが。

私には娘しかいなくて、なので今の私と義父の関係は、将来の娘の旦那様と私の関係でもあります。私も今はどうしても娘の旦那は、娘を通しての旦那様という目で見ている事に気づきます。本来ならもっと近づいて(嫌がられない程度)一緒に旦那様の会社帰りにでも一杯行けたら最高なのですが、既に私も現役を退いているので、誘って奢ってやるだけの余裕も無いので、他の手段を考えなければいけません。手探り状態ですが、将来は私が理想とする義親子関係が築けたら最高なんですがね。