副題は「生物の絶滅と多様性を考える」です。「桜がなくなる日」というタイトルですが、本文では
日本のサクラの自生種には、レッドブックに上げられている種はなく、絶滅の危機に追いやられてい
る種はないそうです。著者の話ではサクラはまだ大丈夫という話ではなく、問題は特定の種に危機が
及んでいるという事実で一種でも危険な種があれば、生物圏全体に及ぶという現実で生き物は一種一
種が勝手に生きているわけではないという。
欧米の資源・エネルギー志向の視点では、自然は大切な資源の供給源であり、森に入り資源を簒奪す
る、森を伐開して人が利用する村落・農地に転換するのは人にとって有益で、高貴な行動と理解して
いる、ことが江戸時代までの日本での自然を全体像で捉え、統合的に観察し、理解していた。自分自
身も自然の一要素と見なし、与えられた自然の恵みを感謝して享受する生き方と対極であると著者は
指摘する。
すでに日本では明治維新以降、江戸文化の否定から始まったために、開発という名目で自然を破壊し
つくしている。人口減少傾向にある中、必要最小限の事業に絞るべきではないか。すでに構造物のメ
ンテナンスだけで莫大な予算が必要になっている。考えを改める時だ。
桜がなくなる日 岩槻邦男 平凡社
日本のサクラの自生種には、レッドブックに上げられている種はなく、絶滅の危機に追いやられてい
る種はないそうです。著者の話ではサクラはまだ大丈夫という話ではなく、問題は特定の種に危機が
及んでいるという事実で一種でも危険な種があれば、生物圏全体に及ぶという現実で生き物は一種一
種が勝手に生きているわけではないという。
欧米の資源・エネルギー志向の視点では、自然は大切な資源の供給源であり、森に入り資源を簒奪す
る、森を伐開して人が利用する村落・農地に転換するのは人にとって有益で、高貴な行動と理解して
いる、ことが江戸時代までの日本での自然を全体像で捉え、統合的に観察し、理解していた。自分自
身も自然の一要素と見なし、与えられた自然の恵みを感謝して享受する生き方と対極であると著者は
指摘する。
すでに日本では明治維新以降、江戸文化の否定から始まったために、開発という名目で自然を破壊し
つくしている。人口減少傾向にある中、必要最小限の事業に絞るべきではないか。すでに構造物のメ
ンテナンスだけで莫大な予算が必要になっている。考えを改める時だ。
桜がなくなる日 岩槻邦男 平凡社