福岡の看板屋 独り言(看板.・カワムラ)TEL092-935-7058

皆様に生かして頂いてる看板屋としての呟きです。内容は独り言なので、万が一気分を害された方が居られましたら何卒ご容赦。

生きるという事・・・

2024年03月04日 | Weblog

2018年10月

先日、お客さんと外で仕事の打ち合わせをしていたら

車の往来が激しい道路にて 対面を渡って来たお婆さんが 

わずか3㎝の段差を

乗り越えられず 立往生していた・・・

私:「ちょ、ちょっと 失礼します」とお客さんに断って

お婆さんを手助けしたら 追いはぎだとでも思われたのだろうか

不安げな表情で私の顔を見たのだ(銀行方向から来たので 

貯金を下ろした帰りだろう 

銭を盗られると思ったんだろうなぁ~)

 

後ろから来た叔母さんが

「大変やから 手伝ってくれとるとよ。」と

ナイスフォロー。

 

歳を取ると 僅かな段差が苦痛になるのか・・・

3cmが障害物になるとは!

 

 

知ってはいたが 実際、そのような方を直接目にすると 

強いショックを受けてしまった。

 

自分の親には、絶対に長生きしてほしいが 

俺の最後はあっけなくコロリと往きたい

唸るほどの銭があって この先 絶対健康で、

何の悩みも苦しみもないのなら別だが、

まず そんな事はないだろう・・・

 

生きて行くっちゅう事(人生)は それだけで、

大変な事であり いくら辛いからと言って

途中下車は出来ないのだ。

 

何故、自殺がいけないかって?

そりゃあ~あの世との契約と言った方が判りやすいだろう。

自決や割腹っちゅうのは 主命や決まり事だったので 

ありゃ~今でいう自殺とは世捨てという観点からみると 

ちい~っと違うとおもう

 

以前、障害を持たれた 詩人kさんとのやりとりの中で 

痛感した事・・・

「この世は修業の場所」だという結論。

kさんは、ハンディを背負いながらも 周りの人に感謝し 

人を励ますために詩を書いていた。

「また 障害をおった体でも良いから 

来世も生まれてきたい」とも

言った。当に鉄人の言葉である・・・

 

この世は仮の世界で死んだ後の世界が本当の

世界のような気がした。

 

 

人其々、人生の課題ってぇ~物があって 

他人と比べ 一喜一憂する。

だから、不幸を感じてしまうのだ。

 

何度も言うが 宗教如何に関わらず 「天の加護」は

万人にある。それを、自分らの物に無理やり定義付けた

ものが宗教なのだから、

可笑しな活動をしないと成仏できないとか、

銭を供養せにゃ~貧乏になるとか

お経を100万回唱えろとか 全然言う事を聞かない

インチキ議員に投票しろとか

批判(オカシイと思った事)は誹謗で罰が当たるぞとか・・・

そげな 都合の良い後付けの教義や逝かれ頭のインチキ

腐れ外道はほっといて  

 

その教えの良い部分を生かして 他人を騙さず 泣かさず 

裏切らず 殺さず 生きて行く事だけで立派な生き方なのだ。

本当の意味で「仏」という存在に近づきたかったら 

困っている人達をわが身顧みず 無償で救えばよいのだよ

(例えば マザーテレサ)みたいにね・・・

 

嗚呼~最近、ボランティアの方も活躍されていたねぇ~

あの人も立派な存在だ。北九州の牧師さんも大したもんだ。

無私の人っちゅうのは貴重なんですな~

 

生きて行くって事はそれだけで尊く立派な事なのだ 

自分が平凡だとか 銭が無いとか有名じゃないとか 

出世出来ないとか そんな事にふりまわされず 

真面目に生きて行く人生が「勝利の人生」なのぢゃ~ 

あの世迄、地位とか金が持って行けるのなら別だがね・・・

 

ps 加藤剛さんは「大岡越前」で有名な俳優さんだが 

少し気分が悪い 休むと言って

そのまま亡くなられたらしい・・・

理想的な亡くなり方だなぁ~

 

追伸 世界平和じゃ~なんじゃかんじゃと 

立派な事言うとる連中に限って

家庭不和が多いのは何故だろう・・・・

こりゃあ あれだね

自称・庶民の味方で やっておる事は強欲資本家の味方やし

恒久平和を言いつつ 極右の手先になっとる事を矛盾にも

思えん事そもそも「個人崇拝の無謬」に縛られている事

自体が術にかかっておるんだよ。

まるで 戦前回帰だな、こりゃ~ どれだけ先人達が

苦しんだと思っとるの・・・

 

貴賤上下は無いのだが 己がいい思いをしたいから

と言って 餓鬼の都合で 人を騙し利用する人間は 

その行為が卑しいのだ・・・

騙されて手先になっとる 愚かな人も こりゃ又然り。

   

間違っとるね・・誰が見ても

常に自分らの都合で動くインチキ野郎共が消えないと 

皆が混乱するばかりさ・・・