津本陽の小説です。ジョン万次郎(中浜万次郎)の生涯が書かれています。月曜日に会った友人と昔話をしたので、帰りの電車の中で昔の事が色々思い出されてきました。今日たまたま入った本屋で久し振りに目にしたタイトルです。昔話には、必ず本だったり映画だったりがリンクしています。
20代後半に、読んだこの津本陽の本が、私の人生の転機とリンクしているような気がします。それまではテルリストだった私が(宮本輝のファンは自分をこう呼びます)、人生の路線を変えたような気がします。上手く言えないのですが、前を向いて歩くことは格好悪くないと思ったのだと思います。僕自身はたぶん「何不自由ない」生活をさせてもらった人間なんだと思うんですが、宮本輝の小説に入り込む事で、不幸な主人公に自分をだぶらせようとしていたのだと思います。そうする事で「何不自由ない」人間が、そうでない人の心を理解しようと思ったのでしょうか。なんと薄っぺらい事だったかと思いますが。
子供の頃には考えられないような殺伐とした事件が連日これでもかとテレビや新聞紙面を埋めています。そんな事件に不感症になっている自分が怖いです。でも、考えてみるに「愛されていない」人が増えたのだと思います。自分が子供を持って始めてわかったのですが、この子が生まれてよかったと思った親の子は「自分が愛されていないのではないか」という疑問を持ちません。何故なら理屈無く愛されているからです。無意識に胸の中に飛び込めば、強く抱きしめてもらう。そこには変な駆け引きや意識はありません。飛び込めるところがあるから飛び込むのです。
愛されていなければ人を信じる事は出来ないと思うし、愛せないと思います。でもそれは家族でなくてもいい、誰かが自分のことを気にかけてくれる、自分の存在を認めてくれる人がいる、こういう気持ちに一人一人がなれたらいいのだと思います。全然話は変わりますが、例えば駐輪場から出てくる人の為に、待ってあげても会釈も挨拶もしない人がいます。とても沢山います。そこには年齢は関係ありません。若くても会釈する人がいるし、年配のきちんとした人でもつんとして通り過ぎる人もいます。挨拶をする時、日本では「済みません」といいます。待ってもらう事に対して、済まないというのですが、その言葉がもしかしたら見ず知らずの人に済みませんなどと言いたくない人がかたくなになる理由なのかも、と思ったりします。でも外国に行ったら必ずそういう時は「有難う」と微笑みを添えて(添えなくてもいいのですが)言われます。僕は道を譲ったり、ドアを開けてもらったりした時に、済みませんでなく有難うという言葉に代えたらいいのになあと思います。有難うってとっても心が温かくなる言葉だと思うんですよね。有難うといわれて気を悪くする人いませんよね。有難うって言葉も人を愛する言葉なんだと思います。
・・・ちょっと、まとまりがつかなくなりました。これ以上の文才はないのです。
因みにテルリストになったきっかけは、『錦繍』という書簡体の小説です。
今日は(今日も)取りとめも無く失礼しました。
20代後半に、読んだこの津本陽の本が、私の人生の転機とリンクしているような気がします。それまではテルリストだった私が(宮本輝のファンは自分をこう呼びます)、人生の路線を変えたような気がします。上手く言えないのですが、前を向いて歩くことは格好悪くないと思ったのだと思います。僕自身はたぶん「何不自由ない」生活をさせてもらった人間なんだと思うんですが、宮本輝の小説に入り込む事で、不幸な主人公に自分をだぶらせようとしていたのだと思います。そうする事で「何不自由ない」人間が、そうでない人の心を理解しようと思ったのでしょうか。なんと薄っぺらい事だったかと思いますが。
子供の頃には考えられないような殺伐とした事件が連日これでもかとテレビや新聞紙面を埋めています。そんな事件に不感症になっている自分が怖いです。でも、考えてみるに「愛されていない」人が増えたのだと思います。自分が子供を持って始めてわかったのですが、この子が生まれてよかったと思った親の子は「自分が愛されていないのではないか」という疑問を持ちません。何故なら理屈無く愛されているからです。無意識に胸の中に飛び込めば、強く抱きしめてもらう。そこには変な駆け引きや意識はありません。飛び込めるところがあるから飛び込むのです。
愛されていなければ人を信じる事は出来ないと思うし、愛せないと思います。でもそれは家族でなくてもいい、誰かが自分のことを気にかけてくれる、自分の存在を認めてくれる人がいる、こういう気持ちに一人一人がなれたらいいのだと思います。全然話は変わりますが、例えば駐輪場から出てくる人の為に、待ってあげても会釈も挨拶もしない人がいます。とても沢山います。そこには年齢は関係ありません。若くても会釈する人がいるし、年配のきちんとした人でもつんとして通り過ぎる人もいます。挨拶をする時、日本では「済みません」といいます。待ってもらう事に対して、済まないというのですが、その言葉がもしかしたら見ず知らずの人に済みませんなどと言いたくない人がかたくなになる理由なのかも、と思ったりします。でも外国に行ったら必ずそういう時は「有難う」と微笑みを添えて(添えなくてもいいのですが)言われます。僕は道を譲ったり、ドアを開けてもらったりした時に、済みませんでなく有難うという言葉に代えたらいいのになあと思います。有難うってとっても心が温かくなる言葉だと思うんですよね。有難うといわれて気を悪くする人いませんよね。有難うって言葉も人を愛する言葉なんだと思います。
・・・ちょっと、まとまりがつかなくなりました。これ以上の文才はないのです。
因みにテルリストになったきっかけは、『錦繍』という書簡体の小説です。
今日は(今日も)取りとめも無く失礼しました。