昔、この季節よく猫を拾った。ぶうも30年近く前の9月の10日にやって来た。
ブスで、メスなのに5,8キロもある豚猫で、無精者の愛想なし猫だった。妹はブスぶっちゃんなどと呼んでいた。
チビ、チビといつまで経っても名前がつかず、呼んでいたのだが、獣医さんのところで名前を聞かれ、妹がとっさに出たのがぶうこだった。
その日、魚市場近くでとても小さなグレーの猫を拾った。集金かばんに入る生後1ヶ月経つか経たないかの子猫だった。一旦、事務所に帰り、猫を置いてまた、集金に出かけた。
しかし、夕方帰ってみると猫は、母に捨てられていた。近くの公園に捨てられたらしい。
気になってしまい、夕食後 妹を誘い、近くの公園に探しに出かけた。
薄暗くなった公園を二人で探して歩いたが、見当たらなかった。その猫はいなかったが、知り合いの小学生が他の子猫を抱いて座っていた。
妹が声を掛けて抱かせてもらった途端、「私、塾があるから」と言って、そそくさと逃げられてしまった。猫は傷だらけでぐったりしていた。
どうしようかと思ったが置いていく訳にもいかず、妹の部屋に連れ帰った。その夜、傷口を洗い、ちょうどあった動物用のテラマイシンを塗った。どういう訳か全身傷だらけで化膿して張れていたり、膿が出ていた。
数日後、傷も良くなり元気になったが、また、捨てられる事を心配して、ずっと妹の部屋に隠していたが、1週間ぐらいで見つかってしまった。
その頃、うちには他に2,3匹の猫がいたので、母は気に入らなかったが、猫好きの父の応援もあり、おいてもらう事になった。
ぐったりしていたので、気づかなかったが、なでようと手を伸ばすと、「ウゥ~、シャァ~!」と威嚇して、引っかいたり噛んだりして来た。よほどひどい目に遭い、人間不信になっていたみたいだった。他の猫ともなじまず、その後来た猫には威嚇し、自分より小さな猫や犬には与太り歩きをして威張った性もない性格の悪い小心者だった。
その頃、父と私は2,300メートル離れた路地裏を数匹の野良が走って行くのを見かけた。その中にぶうそっくりのオスがいたのを見た。しかし、半年もしないうちにいなくなってしまった。兄弟だったのだろう。
半年もすると、家人には威嚇しなくなったが、全く、トイレが駄目で、母を怒らせた。
ぶうのお気に入りの場所は洗面所の2段になった籐の脱衣籠の下側でやってしまう。臭いも強烈だが、おしっこは籐の網目から床に流れ、改装して張り替えたばかりの床板が変色して毛羽立った。猫からすると足が濡れず快適だったのだろう。新しく張ったクロスはつめを研がれてボロボロになってしまった。いくら怒っても効果が無く、我慢できなくなった母はある日、買い物籠に入れそう遠くない市立病院の裏庭に置いて来てしまった。
4,5日経った土曜日、ぶうは帰ってきた。普通ならば、その日の内に帰ってくるはずなのに...遅い。しかも表を歩いていた小学生が「この猫学校におったで、僕ら餌やったで」と言う。どうも小学校に居座って餌を貰っていたのが、土曜は給食も無いので帰ってきたみたいだった。
それからもう捨てられる事はなく、うちの猫になった。しかし、尻癖の悪さと何処でもつめを研ぐのには閉口した。
2年も経つと体は大きくなり、まるで白に黒縞模様の事もあり、まるでホルスタインのように巨体をゆるがせながら歩き、知らない人は「ウッツ!」と言う有様だった。
片方の模様は肩からミャンマーからインド腰の辺りにアラビア半島の地図のような模様で、もう片方は真ん中にアフリカ大陸のような模様で地理の勉強が出来そうだった。私はおい第三大陸猫とか、発展途上国猫とか言っていた。
しかもおバカさんで、うちに来ていたウオベさんがよくやっていた猫の知能テストはさっぱりで、書類戸棚に入れて、ガラス戸を締め、何分で出るかと言うのをしても、出てこないので指1本ぐらいの隙間を作っても、ぶうは恨めしそうな顔をしてじっと見ているだけで、自力では出てこない。
ちくわを柳の枝から紐で吊るし、どうやってとるか反応をみても、動かず、「ここ」「ここ」と枝で指図しても、全く動かず、他の猫はすばやく、取ってしまうのにこの猫ばかりは無反応だった。
それでももうそろそろと、不妊手術に行けば、すでにおなかには子供がいて私達は驚いた。バカな私はどの猫の子か気になり毛など生えていないのに「どんな色ですか?」と尋ねてしまった。
そして獣医さんは「何を食べさせているのですか?皮下脂肪がまっ黄色ですよ。」と呆れられた。その頃、毎日家の猫たちはマグロの背のおすし屋さんでそぼろになる部分をトロ箱で買い、(捨てる所だったから、安かった)1食分ずつ冷凍庫に入れ、毎回ゆでたものを母は口では嫌いと言いながら食べさせていた。今思えば何と贅沢 今はそのリヤカーで来る猫好きの魚屋さんもいない。
妹が嫁ぎ、妹の部屋で寝ていたのが母屋に居座りだすと、商品を台無しにし、家を傷つける事に母の堪忍袋が切れ、とうとう動物用の檻に入れられた。
途端、ぶうの怒りはすざましく、ギャァギャァとそれまで聞いた事の無いような大きな声叫び続け、目はキィットつりあがり、どうすればよいか困った。
結局、L字形の広いベランダに檻の戸を開け放し、ダンボールで覆いをし、古毛布や古いコタツ布団を敷いたり、掛けたりして猫小屋を作った。近くには植木や専用のトイレを置き、猫ならば玄関の屋根伝いに出入り自由だったが彼女はそれをする事は1度も無く、其処が気に入ったみたいで部屋にも入ることなくベランダの主になり、時折、手すりの上から、声を掛けてきた。冬は湯たんぽ付で時々、毛布や布団を干して居心地良くした。
バカであるかと思えば、しっかり食べる事は抜け目なかった。母が干していたソウダカツオを毎日食べ続け、気が着いた時は空っぽになっていた。
亡くなるまで、その暮らしに満足していたみたいだったが、膝に小豆粒くらいの腫瘍が出来たが、数年は大きさが変らなかったのが、14才頃急に大きくなり直径2cm近くなり、取り除く手術を受けた。
しかし、取り除いてもまた、同じ所に出来てしまった。(もう抗癌剤しかないと言われた)その後、16歳近くなってぶうは亡くなったが部屋に入れても、もう動く事もできず、最後の3ヶ月は飲まず、食わずで大きかった体は小さくなって亡くなった。ポツポツと桜の花が咲き始めた3月の下旬の事だった。