今夜はお月様が厚い雲間からとても強い光を放っている。昨晩の中秋の名月は残念ながら雨だった。
中秋の名月と言えば、学生の頃友達5人と海岸へ行き、月見のはずが、9月20日だと言うのに泳いでしまった。腕を動かす度に、夜光虫ガキラキラと輝き綺麗だった事を思い出す。
今回で、このブログも終了。
これ以上書いていると私の内心を吐露しそうであるので…しかし、これには大いに助けられた。私の事を知っているのはほんの数人、どう書こうが何処の誰だかわからないと思い、自分と向き合い、思っている事を書いたお陰で随分心が軽くなり、整理されたと思う。
ノワタリさんと、金比羅様の境内で一緒になり、それが此処まで続き旅のお供をするとは思わなかった。私が9年半、彼女はもう20年近くになる。
あの時、「神社のお清めに周っています。」と、仰られたが、沢山の人が、願い事をして曇っているのを元々の力を発揮する為にニュートラルな状態にしているとの事だった。
もう、一旦その役目は果たされたという事か?それとも世の中が不穏で動けないという事か?
この国を取り巻く情勢は急激に変化し厳しい。日月神事のように日本対世界にならなければ良いがと思う。以前ならば、まさか…と思えていたが、起きても不思議では無い。
今思えば、毛沢東に呼ばれて2年前の2月嫌々(私は気が進まなかった)北京へ天安門広場にある毛主席記念堂へ行き、旧正月で中には入れないので建物の前で氷点下の気温の中外でノワタリさんが祈られた事を思い出す。その時、小平はニコニコして現れたと言われたが、今の状況に何らかの関係でもあるのだろうか?、何時も行った時は何故だか分からず、ずっと後になって教えられたり、気づく。
しかし、昨年の3月11日に被災した地方にはお呼びが掛からず、行く事が無かった。
どういう事だろうか、阪神淡路も10年後慰霊に周った。
お会いした頃、38歳で不眠の症状(御神木ベッド)から始まった更年期で背中は痛く底なしに滅入っる事が多く、車で走っていて何度飛び込んだらと思ったりした事があった状態から、少しう上向きになり抜け出そうとあがいていた。
ノワタリさんは私がとても暗い顔をしていたと言われる。
周りから「タフだ」と驚かれる現在と違い、昔は虚弱体質でおまけに遺伝なのか?リュウマチも軽かったが中学2年の時に症状がでた。30歳前には風邪をこじらせ、階段が下りれなくなるほどになって1ヶ月寝たきりになった事もあったが、今では陽性反応は出るものの全くその心配はなくなった。今年卒寿を迎えた父も同様で、リュウマチと喘息が交互に出ていたのが全くそれはなく元気で毎日プール通いをしている。
病気の問屋であった母も柳に雪折れなしの言葉のごとく、ペースメーカーは入れているものの元気で、みんな自立している。ありがたい事だと感謝している。ご近所でこの年齢でぼけずに足腰元気で夫婦揃っているのはうちくらいのものである。
この旅に誘われなかったら、多分私の生き方も違い、目の前出起きてくる事に一喜一憂してギスギスしていたのではない方思う。
それにしても随分とノワタリさんには助けて頂いたと思う。私達家族だけでなく、親族、友人と。最後の方の旅はうちの親族になってしまった。一体どういうご縁があったのだろうと思うが、私達を救う為に神様がお使いになられたのであろうと思う。
私にとってお供をして歩いてきた旅の経験は一生ものの財産だと思っている。
旅が終わったからと言って、縁が切れるわけでなく、又しょっちゅう電話をするであろうし、まだまだ、教えていただかねばならないと思う。
「みんなパワーアップしましたよ。」と京都で言われたが、一旦この環境を卒業という事になるのかな…。
今回 京都から帰った夜、子供の頃両脚にあったノブヤケが大きくなるにしたがって薄くなり分からなくなっていたのがこの最近また薄っすら浮き出ていた。お風呂で擦っても洗っても消えなかったのが、その晩湯船の中で右足何時ものごとく擦っていたら、垢のようによれて無くなった。
左は何もしなかったのに消えていた。???これって何だったのだろう。
気づけば、全くラップ音はしなくなり、遊びに来て必ずおなかを下していた敏感体質のユキちゃんも具合が悪くなるという事も無くなり、お社を置いている部屋は「妹は気持ち良くよく寝れる。」と、言われるまでになった。
先祖事は納まり、土地の因縁も大分軽くなった。
埋立地は日本全国にあり、それがみんなケガレ地ではないのでその事をお尋ねした時、
「その土地に住む人の心ねで変わる。と言われたので、此処からは私自身の生き方で変わっていくのだろう。
とても厳しかった憑依体質もお陰で3月を境にこの半年は憑ける事が無くなり、楽になった。
以上私の抱えていた物は気づけば、大方解消されている。有り難い事である。
この旅の間、黙って出してくれた両親にも感謝である。
負から始まり霊現象に振り回されていたが、神の存在をこの10年足らずの間に実感する事が多く、先日の友人達のようにかっての私も目に見えぬものは半信半疑であった。
これからはボツボツと自分の足で、歩むしかない。
憧れの岸田森様や大好きな景山民夫さんと、お話したいと思っているが、どうやらこれはあの世に行かねば無理みたいである。
人生が旅であると言う言葉通り、また、次のコンパートメントにはどのような出会いと展開があるのやらと思うが…明るく過ごしていくであろうと思う。
そして、このブログに付き合ってくださった皆様、長い間有難うございました。飼い猫の事や犬の事も書くつもりでしたが、本来の目的の旅が一旦終了となりますので、今回でこのブログも終了したいと思います。有難うございました。ごきげんよう。