天愛元年

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新元号『天愛』元年にスタート

太平記2

2022-07-04 12:38:49 | 日記

 軍記物『太平記』を読んでいると、昔も今も東も西も、戦いの実相は違わないと感じ入る。ロシアの大義無きウクライナ侵略戦争を傍で実見しなくても、戦いぶりが手に取るように分かるのが古典名作の力である。
 第6巻の9章「赤坂合戦幷びに人見本間討死の事」は長い経緯の結末が浅はかで醜い。まず、天皇方の赤坂城を幕府方が数十万の兵を投入して攻略に掛かる。雲霞の如き兵が出揃ってからでは自分の見せ場が作れないと、武蔵野国の住人、人見四郎入道恩阿は73歳の老武士ながら、末代までの家運を上げるため抜け駆けして見事、討死した。辞世の歌として、「花さかぬ 老木の桜 朽ちぬとも その名は苔の 下にかくれじ」を残した。この辺りは潔く文学だけれど、そのあと戦争のリアルが出てくる。
 赤坂城は山城で水利が悪いのに、包囲されても抗戦を続けられるのは、隣接の山から樋を通して受水しているのだろうと気付いた六波羅幕府方は、怪しい所を掘り続けて導管を発見。これを破壊して水の供給を妨害した。これで戦闘力を無くした城の大将、平野将監入道は最早これまでと、城兵に無駄死にするより降参を説いた。他の拠点で奮戦している天皇方を死に物狂いにさせないため、自分たちが武装を解いても、見せしめに殺すことはよもや無いだろうとの計算だった。そこで、平野は包囲軍と停戦交渉をし、敵大将の赤橋右馬頭が快諾、赤坂城軍幹部の地位保全と褒賞を約束した。ところが降参兵を受け取った長﨑九郎左衛門は全員後ろ手に縛り上げ、虜囚の辱めを与え、六波羅に送った後、捕虜達は京都鴨川の六条河原で1人残らず首を刎ねられた。
 自分の革命のためには、ウクライナ人を始め逆らう者を徹底的に弾圧、処刑したスターリンのやり口とそう変わらない。彼を尊敬するプーチンの戦争に対して、まず戦火による人命損失を防ぐため、領土を割譲してでも取り敢えず和睦を優先するということには、歴史の残虐さから慎重にならざるを得ない。