新型コロナ感染者が日本で「さざ波」(首相官邸筋見解)程度に比較的少ないにもかかわらず、発生初期から油断ならないと警戒させられたのは、ダイヤモンド・プリンセス号で露わになった日本の医療検疫体制の脆弱性に対する不信とか、頼りにすべき保健所・病院一般がイの一番に発熱患者を徹底的に遠避けた不作為姿勢も勿論あるけれど、俺はコロナ感染者だと名乗る男と同席した女性従業員が感染死した実例の報道によってである。罹れば実際に死ぬことは著名コメディアンの突然死により恐怖を実感していたけれど、人から人への感染経路がはっきり示されたことで、外に出歩くのも容易ならざることと身に染みた。
海外からは、感染者にわざと唾を引っ掛けられた飲食店の女性従業員が亡くなった事件も伝わった。飛沫感染の両事件は、元の感染者自体が死亡したので訴追の仕様がなかったけれど、生きていれば刑事責任が問えるはずである。
事件から時間が経ち、新型コロナウイルスは変異を繰り返し、ますます耐性を強め、威力を増してきた。そして、東京五輪代表選手が順次、入国しつつある。中には陽性の選手も混じっている。これからは出入国時の検査が強化され、陽性者は見逃さない建前である。しかし、PCR検査はリトマス紙ほどは確実ではなく、実際に陽性選手をスルーしてしまっている。試合前に毎日検査をしても漏れるケースは出てくるに違いない。
もし、すり抜けた選手が汗を飛び散らせ息を切ってレスリングなり、柔道で組み合えば、試合相手は濃厚接触者どころか、同じ息を吸い合った兄弟姉妹か、同衾した夫婦のようなものであり、感染確率は100%に高まろう。
本人に自覚症状がなければ、わざと唾を引っ掛けた殺人犯と同列に非難はできないにしても、主催者の管理責任は問われ、賠償責任を負うのではないだろうか。
日本政府と五輪組織委は安心安全を請け負い、五輪開催の成果を以って国民と世界からの拍手喝采を期待している。バラ色の祭典挙行の成果と、国家破綻に近い重い結果責任との、どちらの目が出るかは、神のみぞ知る。
散歩道の生垣には、こんもり繁った葉陰から、赤い実が可憐な姿をのぞかせていた。茱萸(グミ)の木であった。小さい頃、郷里に成っていて、少し渋みの混じる湿潤な甘さが好きであった。それ以降、いろんな所を渡り歩いたけれど、食用にしているのを見たり聞いたりすることはなくなった。
赤かがち
ほほづきの如き
茱萸の実は
八岐大蛇
襲ひにか来む