天愛元年

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新元号『天愛』元年にスタート

陸奥国一宮・都々古和気神社

2023-04-27 17:36:27 | 日記

 諸国一宮の中でも外来者には「都々古和気神社」は難解である。
 福島県の近接した石川町と棚倉町に3つも都々古神社がある。神名が微妙に違う。石川のは石都々和気神社、棚倉の2つはそれぞれ八槻都々古別神社、馬場都々別神社(都々古山神社とも)とある。
 都々古は中国式のトトコでなく、和名のツツコと読む。「つつこ」とは地元の人の話では、藁で編んだ大きな米の容れ物、すなわち大俵のことで、豊作豊穣の神様のようである。村々でそれぞれ豊穣の神を祀ったようで、本家分家の関係はないと教えてもらった。
 一の宮と言っても八槻さんは奥州一宮であり、石さんは陸奥の国一の宮と称する。
 石都々古神社は当地で武門として勢力のあった石川城跡と併存しており、城社一体が特徴と言える。また、和歌山の巨石がご神体の神倉神社のように、亀石とか鏡石とか巨石を祀っており、信仰の年代は相当古いと想像される。氏子も盛んそうで一番栄えているように見えた。
 八槻都々古別神社には御田植えという伝統行事、お祭りがあり、「(田の)堀をさらう演目での、『ガリ、ガリ、ガリ・・・ガリ』や畔(くろ)ぬりを演じる際の、『ガンブリベタリ、ドロリベッタリ』など、演じながら発する独特擬音も特徴的である」との説明は、素戔嗚尊(すさのをのみこと)が「春は渠填(みぞう)め、畔毀(あはなち)す。又、秋の穀(たなつもの)すでに成りぬるときに、則ち冒(ひきわたす=他人の田を犯す)に絡縄(あぜなは)を以てす」と、田んぼ荒らしの乱暴狼藉を働き、天照大神が怒って岩戸隠れした(日本書紀巻1)故事に倣っているのではないかと、勝手な想像をしたくなる。
 都々古山神社は周辺一帯が車乗り入れ禁止となっており、やや神寂びていらっしゃる。地域の豊穣のためには手厚くしてほしいと願いたくなる。

村人の
豊かさ護る
つつこ様
がんぶりべたり
岩戸な隠れそ




























都々古山神社拝殿


上野一之宮・貫前神社

2023-04-24 08:39:57 | 日記

 上野国の一之宮である貫前神社(ぬきさきじんじゃ)は地名や人名、神名を冠する社名が多い中、ユニークなネーミングである。現代人にとって読み辛さは上総国一之宮の玉前神社(たまさきじんじゃ)と同等である。
 共通項の「前」を抜くと、「玉」と「貫」が残る。玉に貫く、というのは真珠などの玉を糸(緒)に通して首飾りを作ったりする時に使う。二つは縁語である。
 伊勢物語に「白露は けなばけななん きえずとて たまにぬくべき 人もあらじを」の歌のように、相思相愛の関係を指す。貫前神社と玉前神社は古え、深い繋がりが有ったのではないか。
 一方で、下総国一之宮の香取神宮と常陸国一之宮の鹿島神宮が利根川を挟んでライバル関係にあったように、上総と下総も良好な時ばかりでなく、房総の激浪に見舞われたこともあったのではないか。香取神宮と同じ経津主神(ふつぬし)をご祭神とする貫前神社が上野(富岡市)に引っ越したのではないかと想像すると、けっこう面白い三角関係の神話となる。
 ユニークなのは名前だけでなく、屹立する鳥居に向けて参道から階段を72段苦労して上ったかと思うと、今度は逆に97段下って拝殿に着くシェルターみたいな構造となっている。隣の日枝神社から見ると屋根しか見えない。周りは石垣に囲われ、まるで山城の佇まいである。
 また、鳥居の脇に鎮座するスダジイの樹が凄まじい。木に精霊が付くというけれど、この厳めしさには精霊も逃げ出してしまいそうな妖気が漂う。樹齢千年と言われているそうだけれど、納得してしまう。とにかく抜き差しならない神社である。

貫前や
登るとみせて
こもりくの
底ゆ湧き上る
ふつぬしの魄


日本寺大仏

2023-04-13 19:04:20 | 日記

 日本寺なんて天皇の御願寺のように大層で、知らない者が聞くとぎょっとする寺が、古への都から遥かに離れた千葉県鋸南町に実際に有ったので行ってみた。
 むかし聖徳太子何とかという方が東京都知事選なんかに出馬なさっていたけれど、それと似た命名かと軽く見ていたら、実際に聖武天皇の勅願によって建てられたと知ってびっくりした。しかも国号を使った寺名の額を手づから書いて賜ったというから、国分寺級の比類なき社格なのだと、無知を恥じて俯いた。
 俯くどころか、手を突いて土下座するようにしないと登れないような険しい階段道の上に大仏が鎮座していた。若い時に参拝した身延山久遠寺の方が段数が多いような気がするけれど、息の切れ方がこちらの方が堪えた。年のせいもある。
 この大仏が、山の巌を刳り抜いて彫った31メートルもある石像で圧倒される。ついでに千五百羅漢像を経て頂上展望台まで歩いたら膝が笑った。もうホトトギスの季節だけれど、山上ではウグイスが美声を発して唱和してくれた。
 鋸山に所在するだけに、切り立った岩山からの相模の海の景色も一見の価値があった。

 

日本寺は
大ぼらならで
名にし負ふ
瓦の喜捨に
うぐいす囀る

 


うろ友

2023-04-13 12:15:05 | 日記

 大國魂神社は古くからの由緒あるやしろとあって、けやきの巨木がたくさん繁っている。入口の道路際にも巨樹が対を成しており、人工の鳥居を凌ぐばかりの自然の鳥居といった存在感を示している。

 一方、少し内側には寄る年波には逆らえず、年季が入りすぎてうろが来た欅もあって、愛嬌がある。

 

うろが来て
老いの極まる
あれとなれ
ともに清しく
余生語らむ

 


八朔相撲

2023-04-13 12:02:33 | 日記

 旅の安全祈願は今年は大河ドラマが家康なので武蔵国で行った。
 一ノ宮の小野神社か総社の大國魂神社か迷ったが、両方参った。
 大國魂とはいかめしく屈強な名前だが、それに相応しく徳川家康が江戸入城に際し御前相撲が1590年8月1日に催された。それが八朔相撲として今に伝わり、立派な土俵がある。
 照ノ富士の横綱土俵入りは明治神宮と伊勢神宮に奉納されたが、今年は家康が大河ドラマのテーマなので、新大関が誕生すれば大國魂神社で土俵入りをお披露目すれば、すぐ陥落するような恐れのない力士魂が注入され、天下を取る横綱に成長するのではないかと想像されるが、「どうする?協会」。

食ふための
闘ひに暮れ
土俵際
打っ遣り打って
取り直したし