年寄りの生き甲斐の大相撲は残り2日。優勝争いが、2敗で単独首位に抜け出し初受賞を狙う高安と、それを追う貴景勝、豊昇龍ら3敗力士4人を中心に一寸先が見えない混戦となって盛り上がる一方、その輪に入れないどころか負け越して大関陥落となる正代関が、見た目も好漢だけに痛々しく重苦しい気分にさせられる。
相撲とは何か。読んで字の如く、相い撲(なぐ)るである。むかし、奈良県に当麻蹶速(たぎまのけはや)という腕自慢がいて「俺ほど強い者は居らん。どっかに強い奴がいて、命懸けの勝負がしてみたいものだ」と豪語していた。それが景行天皇の耳に入り、相手を探せと命じられた内閣官房の側近が野見宿禰(のみのすくね)という強力を島根県からスカウトしてきた。早速、天覧相撲を取らせてみると、野見がいきなり当麻のあばら骨にキックを入れ骨折させ、弱った隙にニードロップを浴びせて腰を砕き、殺してしまった。相撲の始まりはこんなものであった。
時代は下って、紳士の横綱審議委員長が横綱白鵬の張り手、かち上げは見苦しいから止めてほしいと注意勧告を行うようになった。理想の相撲は、がっぷり四つから始めよ、という趣旨であろうか。それでは、頭と頭の火の出るようなぶつかりや、立ち合いにさっと躱して相手を転がす舞の海のような一番を見ることができなくなってしまう。手荒な真似を禁じる横審委員長の叱責の悪影響が、今の気合いの入らない大関相撲の遠因のように思える。
スポーツマンシップに基づいて正々堂々と闘うことを誓いまーす、と甲子園優等生が宣誓していた裏で、地方大会予選早々敗退の我らが高校野球チームは、クロスプレーでアウトになってすごすごベンチに帰ると、金属スパイクの刃でセカンドを蹴り上げてこんかいと、どつかれたものである。
スポーツの商業化、大衆化により、見せるスポーツには観る者の、あるいは中継する者の力が強くなる。手に汗握る試合を観戦した後、激闘の選手が一言を頼まれて、頑張りますので応援よろしくお願いしまーす、と異句なく言われると汗が引っ込んでしまう。時代の趨勢には逆らえない。
見通しが悪くて日本一の非国民になってしまった。サッカーWカップのカタール大会、日本が初戦のドイツに押されまくって0-1とリードされ、テレビ観戦をこのまま見ていても点差が広がる一方だろうと、諦めて前半終了後、寝てしまった。午前0時20分ごろ頻尿のため目覚めたので、ラジオを点けると2-1の逆転勝利と、大騒ぎしていた。今年最大の歴史的瞬間を見逃し、人生最大のへまを犯してしまった。ラジオは解説の宮澤ミシェルさんと試合を振り返る中、東京・渋谷のスクランブル交差点で人々がハイタッチする姿が見えると伝え、宮澤さんも「ここでいつまでしゃべっているんだ」と、早く仕事から解放されて、歓喜の渦に飛び込みたい気分を表していた。こんな展開になるとは想像もできず、後悔先に立たなかったため、朝7時のNHKテレビニュースと8時からの羽鳥モーニングショーで、感激のおこぼれを味わせてもらった。浅野拓磨の決勝ゴールは、ディフェンダーにぴったり後ろに付かれる中、世界一のキーパーが立ちはだかるのに、ゴールとのこれ以上は無理なくらい薄い角度から決めるとは、何度見ても奇跡だった。この興奮をライブ中継で実感し損ない、千載に悔いを残してしまった。先見力と直観力に忍耐力を養わなくては、人生の醍醐味は素通りしてしまうものである。対独戦をテーマにTV番組に出演した識者も、朝が早いので試合後半戦を見ずに寝たというのだから、同じような”ドーハの悲劇”は各所で起きていたのだろう。
かつて『間違いだらけの性生活』というベストセラーがあったように、世の中の常識は疑って掛かる必要がある。故あって好きな酒を2月から断っているけれど、少しでも健康が改善したとか、頭が冴えるようになったことは、全くない。飲み過ぎた酒の消化不良により内臓に負担が掛かり、いつも怠かった気分が、断酒効果によりスッキリするのかと期待していたけれど、そんなことは起こらなかった。逆に、酒は百薬の長とか言うけれど、仕事や生活の失敗は大概、酒由来であった。酒にまつわる常識は間違いだらけではないか。酒の害毒ばかり説く者も、賛美する輩も信用ならない。
存在には程度があり、程度のある存在を維持するためには補給、代謝が必要となる。補給、代謝が止まると死滅するし、補給、代謝が過大になり程度を超すと自爆して、雲消霧散する。生命体などの存在を維持、成長させるには、補給の微妙なコントロールがカギを握るし、代謝の異常があってはならない。そんな精妙さを人類は神に代行させているけれど、神は、存在の悪業を制御できていない。
いぶせくも
酒を断つなり
悪魔払ひ
験顕れば
寿ぎ飲まむ
全国旅行支援と言うので日本三景のうちまだ見ていない天橋立に行った。砂州が松林に覆われた景勝であるため、秋ではあっても日光中禅寺湖と違って紅葉とは無縁である。しかし、秋の清涼な空気に引き締まった松並木の青さが与謝の海にいっそう浮き立って美しかった。若いカップルの女性がロングスカートの裾を膝の上までたくし上げて、男性に記念写真を撮ってもらっている姿が微笑ましかった。
股のぞき
裳裾引き上ぐ
松並木
身をくねらせて
龍いきり立つ
早いもので明日はもう1年納の大相撲九州場所。郵便局に寄ったら年賀状が売っていて、どれも可愛いうさぎの絵に迷って買い切れなかった。しかし、恒例なので迷ってばかりいられず、優勝予想をしなければならない。
関脇、小結の顔触れが充実していて、恐らくはこの中からだろう。先場所優勝の玉鷲は、その前の7月名古屋場所優勝の逸ノ城の翌場所負け越しの例もあり、外してみる。そうなると、豊昇龍、霧馬山のモンゴル勢か、若隆景、御嶽海、翔猿に絞られる。
この中から選ぶとなると、陥落した大関復帰に向け気合いの入る御嶽海を最有力に挙げたい。しかし、15日間気合いが入り続けるかというと、淡白なところがあるので心もとない。
競馬予想だって本命一択でなく、対抗、穴、大穴がある。対抗には若隆景を推す。穴は霧馬山。
誰でも勝った時はこんな奴に勝てる力士がいるのかと驚くほど強い相撲を取るけれど、意外と脆いこともある。ここ60年観察していると、勝ちに執念を燃やして取り口を変える力士より、俺はこれだと得意に磨きを掛ける力士の方が大成するように思う。だから、ド迫力のある他の力士を差し置いて、大穴には若元春と、おまけにご当地九州で奮い立たなければならない正代を挙げておきたい。ハッケヨイ、ヨイ。
やれやれ、急な冷え込みに股引をはき慣れたかと思えば、時ならぬ南風が吹いて股ぐらが蒸れたり、コロナが勢いを失ったと一安心したらまたぶり返したり、世の中はままならない。白河法皇が鴨川の水と山法師に賽の目を嘆いたように、何事も思うようにはならない。
きょう、牛乳を買ったら188円、食パンは178円と、いつもよりそれぞれ20円、30円高くなっていた。9月の一斉値上げはニュース特集で気にしていたけれど、11月も奇襲攻撃に遭うとは、油断ならない時勢である。この調子では、テト攻勢も覚悟しなくてはならない。
裏切らないのは季節だけ。里にも紅葉がちらちら下りてきた。秋が深まり、葉陰に隠れていた柿の実が、熟するにつれ数は少なくなるけれど、色っぽく次第に全身を現わすことになるだろう。
秋冬はゆっくり落葉の風情を楽しみたいのに、そんな風流を迷惑と思う人もいる。ケヤキ並木で夏日に緑陰を作ったものの、木枯らしが吹くころになると、埋もれそうなくらい大量の落ち葉に、直下の住民は閉口することになる。そこで造園業者を呼んで、一斉空爆のように枝をバッサリ伐った哀れな姿を見るのは、通り掛かりの者にとっては辛い。兼好法師の「この木なからましかば...」(徒然草第11段)の心地である。
戦さ場に
部分動員
秋の空
はだら紅葉の
匂ひぬるかな
早や11月入りかあ。2月にウクライナ侵略戦争が勃発して、こんなにしつこく人間が醜さを曝け出し続けることができるとは思わなかった。情けなく散歩すると、いつもは箱入り娘で奥で過ごしている猫が窓辺に出て、世間を見渡していた。お達者でしたか? すっかり寒むうなりました。ご機嫌ようお過ごしください。
埒も無き
戦さに明け暮る
年なりき
ひとの愚かさ
にゃんと見るらむ