天愛元年

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新元号『天愛』元年にスタート

更級

2020-04-30 18:53:27 | 日記

 4月晦日。永井荷風の命日だそうである。NHKラジオ深夜便による誕生花は牡丹。花言葉は「風格」とか。NHK古典購読『王朝日記の世界』の「更級日記」次回第5回が待ち切れなくて、講師島内景二著『新訳 更級日記』をネット注文で買って、先回りして読み進めた。前回26日放送の富士山を通り過ぎると、上洛まで大したヤマ場もなく、京に帰り着いて「源氏物語」探求の生活が始まる。が、最初は自分の乳母や姉、姉の乳母らが次々と亡くなる不幸が襲う。そのうえ、姉と大事に飼っていた猫まで自宅の火事で死なせてしまった。誰にとっても猫との別れほど人生において悲しいものはないので、少し引き込まれたけれど、感情移入して涙が止まらないほどでなかった。父の仕官もうまくいかなかった程度で、時代を超えてはらわたに染みるほどの展開もなく、淡々と進むうちに、18歳に成人して4月晦日ごろに、いきなり京都市東山区に引っ越した話が出てくる。周りは田んぼで、山影が暗く、心細くなるような夕べに、クイナが頻りに鳴くのに、歌心が誘われて
 叩くとも 誰か水鶏の 暮れぬるに 山路を深く 訪ねては来む
 …クイナが木をトントン突っついて叩くように、家を構えているうちに日が暮れてしまった。こんな山深い処に誰か訪ねてくれる人は居るだろうか、と詠むのだった。
 私はここで、伊勢物語の白眉、第83段の出家した惟喬親王を比叡山のふもとで雪深い八瀬の隠棲地に、在原業平が訪ねる名シーンが思い起こされた。
 忘れては 夢かとぞ思ふ 思ひきや ゆきふみわけて 君を見むとは
 …こうした感動的再会場面を、菅原孝標女も思い描いたのではないだろうか。
 人間は生まれ落ちた時から不可逆的に進むしかない。老いも馬鹿さ加減も途中で止められない。立ち止まってしばし憩いたくても、憩った気分でいる間も待ったなしで時間が進む。時を止めてくれるかもしれない友を自分から捨ててきた。老いれば老いるほど奈落の底感と、もう引っ返せるかいというヤケクソ感のせめぎ合いとなる。雪踏み分けて、誰か山路を訪ねて来てくれたら、本望だろうなあ。

さらしなは
爺婆棄つる
山なるぞ
生霊見たくば
訪ね見に来よ


置藩

2020-04-29 17:49:28 | 日記

 ステイホーム週間中にポスト・コロナ世直し期の所得減・増税圧政を生き延びる算段として資産対策を講じなければならない。
 風水害などの天災や原子炉溶融など人災が巨大であればあるほど生唾ごっくんと、政府が頼みもしない利権がらみの関与を拡大して増税・財政膨張時代に入る一方、民需が縮小するため、自動車、家電などの高額追求型商品は通信を除き低迷するだろう。輸出外需型産業は列国との競争力をますます失くし脱落の方向か。前世紀の日本産業をけん引した重厚長大型企業が新規投資や商品開発より社内人事に精力を集中したため、袋小路に入ってしまった。
 細々と経営が成り立つのは内需産業と海外企業の調達先としての希少部品工業であろう。後者は海外投資家から既に評価済みのため、今更投資妙味は少ない。投資選択すべき内需ではまず、風水害型のライフライン企業でなく、疫病型のライフラインとして流通業と運送業が挙げられる。プラス生活必需品産業。
 こうしたオーソドックスなもののほか、今回のコロナ事件で全く機能しなかった日本の医療・保健体制を根本から組み替えるための、地域デベロッパー事業が注目されるだろう。
 医療・介護施設が独立して地域需要を吸収するのではなく、地域開発の中に医療・介護施設を連携機能として組み込み、さらに救急、消防、警察、教育、行政市民サービスの公的部門も統合し、『廃県市置藩』を断行していく。
 ポスト・コロナ時代の日本を活性化させていくためには、その主役を行政主導でなく、大型デベロッパーが担う方向とならざるを得ない。箱モノはデベロッパーにしても、ソフトの運営は、マンション管理組合的なものが実行する。連れて、現行の公安委員会や教育委員会を廃止し、交番で男女警察官が不倫性行為に耽ったり、教員同士のいじめや女生徒への変態行為などを徹底的に取り締まり、互選の藩長をトップとした地域社会の運営主体がリーダーシップを取る形態とする。
 したがって今のところ、この役割を担える投資先としては、大手ゼネコンが有力である。あとは、いつも海外にノウハウの先手を取られガラパゴスとならざるを得ないが、通信企業にも国内での落穂広い的な需要が見込まれるので見逃せない。数少ない内需兼外需型としてはロボット産業にも投資価値がありそうである。

親の遺産
食い潰しけり
唐様に
身ぐるみ染まじ
藩屏築け


花実

2020-04-28 17:19:21 | 日記

 東京都内の新型コロナウイルス感染者がきのう39人に縮小し、収束傾向が見え始めた。卒業老人にはゴールデンウイークも外食も普段からほぼ縁なしではあるけれど、こう長引くとさすがに見切り解除のどす黒い欲望がめらめらと沸き起こってくる。この前ビデオで見た『家、ついて行ってイイですか?』で、サイゼリアのバイト男性が「飛んでしまう」ほど美味しいと推奨していた同店のミラノ風ドリアが無性に食いたくなった。備え付けの粉状チーズを掛けて、ぐじちゃぐちゃに混ぜて食べると、ワインと相性がピッタリだと押していた。閉門蟄居なんかしてられんわ。しかし、待てよ。別の登場者の元通産省職員が、東京・新橋駅近くのセブン・イレブンの焼き鳥が滅茶苦茶美味しいと言っていたように、同じチェーン店でも味に違いがあるみたいや。何処でも均質でなくて、その店の調理人の腕によって差が出るのかなあ。学校給食みたいにセンターが一括請け負って、同一地域内は同品質が配送されるのと違って、同じレシピに従っても家庭の主婦同様、ドジやへまもいるやろか。かといって、駅の北口と南口の店と食べ比べて、味の違いが分からない舌のドジやから、あまり気にすることもないな。外から覗いて、ガラガラ、空きすきやったら、入ってみることにするか。それでも1時間以上の長居は禁物やから、暇なので英作文でもして時間を潰そう。

Unfortunately, now we must live lives as real or pseudo-COVID-19 vectors all together. I've been staying at home except when I went to buy daily necessities and food for about 3 months. I'm almost reaching the limit of my patience. I feel starved for anything exciting just now. I want to go eat something nice. I'm so eager to go to Izakaya. But I'm thinking twice about it. I heard a man stabbed and robbed a woman in Yokohama, because he lost his job due to Novel Coronavirus. I can't probably enjoy drinking not only because it's dangerous for an old man to walk alone at night but also because most people are in difficult conditions.

 愛知県のスーパーでは26日の閉店後に1000万円の巨額盗難事件が起きた。人の被害が無かったのがせめてもである。政府の経済活動停止要請に伴い、失職や生活難が一段と厳しくなり、事件の多発が懸念される。辛い世の中になったものである。法務省が受刑者にも10万円給付が除外されないとの立場を表明されたのは結構なことである。この非常事態に、より苦境にある人々に救いの手が差し伸べられなかったら、政府は不要である。ステイホームによってみんなでうつし合わないよう努めればご苦労さんではなく、こういう時こそ知恵を出し合って、弱肉強食による悲劇を増やさないよう助け合っていきたいものである。花が咲けば、実は成るものである。

仏道に
縁なき衆生の
我さへも
つみ人の咎
わが身にこたふ


夏冬

2020-04-26 12:02:53 | 日記

 スポーツ界ほぼ唯一の希望の星となった競馬は、野球や柔道のように黴の生えたような昔物語のおさらいでなく、実践を生で実況してくれるのが有り難い。しかも、何と昨日は、年寄りには難しくて舌を噛みそうな馬名を1頭しか覚えなくてよい単勝で、万馬券が1日に5本も出る大サービス・デーとなり、人気は頂点に達している。東進スクールでなくても、今やらなくていつ遣る、という緊張感の中、コロナ不況で減収あるいは無給になった分を10万円給付が届くまでの繋ぎとして取り戻そうと、切羽詰まった熱気が伝わってくる状況となっている。スポニチの予想名人・万哲が昨日、3連単を3本も当て、乗りに乗っているので同乗させてもらって、東京メイン11レース「フローラステークス」は馬単で2万円以上の配当が期待できるホウオウピースフルとセイウンヴィーナスの7-2に決めた。ホウオウピースフルースカイグルーヴーウインマリリンの3連単「7-9-2」は時間ぎりぎりまで思案する。昨日1本も単勝万馬券が出なかった福島はパスして、京都メインの「マイラーズカップ」は単勝万馬券狙いで馬番3のタイムトリップで行こう。8番カルヴァリオ、9番リコーワルサーも配当が良さそうなので、いま少し検討する。

 新型コロナウイルスが角界に拡散してしまった。隔月の大相撲の楽しみが体内時計に刻まれているのに、5月場所が大ピンチとなって、我慢の緒が切れそうである。取組妙味だけでなく、偉丈夫たちの四股と土俵祓いの塩撒きによって、悪疫を退散させる効果を願っていただけに、迷信的にも気落ちが大きい。
 NHKラジオ古典購読は新年度から「王朝日記の世界」として、まずは更級日記を取り上げている。講師が島内景二先生なので面白くないはずがない。けさは育った上総の国から京に上る途中の富士山と富士川の場面。当たり前の話で、先生は言及もされなかったけれど、平安中期1020年頃のこの時期にも富士の頂から噴煙が上り、暗くなると火が見えたとあることに、文学的味わいより何よりもまず気を取られる。塩釜を幾重にも重ねた姿の良さだけでなく、めらめらと火の舌がうごめく生きた御神体の息遣いを不気味に眺めながら東下りをした在原業平の気分に浸ってみたい気もする。もっとも、実際に噴火したら地震も誘発して、首都圏、中京圏にまで影響が及び、コロナ以上に日本に大打撃を与えそうなので、あと20ー30年は大人しくしておいてほしい。
 富士山のように一度活動を止めると休火山のまま、再活発化するのには時間が恐ろしく掛かる。オリンピックを目指す選手も同じこと。ディスタンスを守って鍛えるには室内、しかも自宅室内でないと難しい。そんなことで筋肉とか瞬発力、勝負勘を維持、強化することは到底無理に思える。この状態が短くとも夏までは続く。それから体を一から鍛え直して来年7月の東京五輪に間に合うとは想像できない。地元開催の最後の五輪と思うと残念だけれど、追加費用も勘案して、あっさり諦めた方がいいのではないか。地元だからと、身に余る高額と承知の上、清水の舞台から飛び降りたつもりで、どれか当たるだろうと、できるだけ注目度の低そうな7競技を選んで申し込んだら、全て外れた。いつもながらツイてないと諦めたけれど、そのあと旅行会社とかいろんな所からチケットの勧誘が舞い込んだ。ああ、これは桜を見る会方式で、その筋と有力者に偏って配布するため、一般個人には当たりが悪いのだと理解した。だから、一般個人が大半なら延期になった時点で入場料返金不可だったろうに、関係者に想定せざる多大の迷惑が掛かるから、チケットは次回まで有効なんて言っている。そんな配慮は無用で、マスコットのキーホルダーなどと同じ五輪グッズ扱いにして、チケットを2020年限りの記念品として、チャラにすればよい。その収入を延期費用に充てるのが合理的な処置である。しかし、それくらいでは3000億円といわれる延期コストには間に合いそうになく、国民からの追加徴収が必至である。嫌なこった。そんなことまでして、皮下脂肪の溜まったぶよぶよの選手ののろい動きの競技を見せ付けられては堪まったものではない。そこで提案であるが、来年は無理そうなので、2022年の冬季オリンピックと合同開催にしてはどうか。冬季は2月4日から北京で決まっているが、コロナ発祥の地で開催を強行すればボイコットする選手が続発するだろう。とりわけ、トランプ大統領が再選されていれば、アメリカは国として参加を忌避する可能性が高い。そこで再度提案だが、開催地を南極大陸かグリーンランドに変更してはどうか。こちらなら、7月でも8月でも夏冬大会が楽に同時開催できるだろう。1929年からの大恐慌に際し米国はTVA開発など大規模公共事業によって失業者救済と経済復活を図ったが、全世界にわたる今回のコロナ恐慌に対処するためには、氷土に全世界の失業者の雇用を吸収する、単に競技施設にとどまらない一大プロジェクトを推進してはどうだろうか。それこそが真の意味での平和の祭典になるだろう。どちらかといえば私は、トランプ大統領の強引な誘いを強く拒んだ気骨のある、かつ美人のメッテ・フレデリクセン・デンマーク首相がお膝元のグリーンランドを推挙したい。同首相はコロナ対策でも日本と異なり、国民に寄り添った手腕を発揮し、信望が厚いと聞く。
冬の陣
外堀埋めて
夏の陣
戦ひ収め
江戸の世開く




隣人

2020-04-25 13:57:55 | 日記

 汝の隣人を愛せよとはキリストの話で全く縁がなかったけれど、コロナのソーシャル・ディスタンス時代にはますます遠ざかるようになった。以前は散歩していても俺の道だとばかり、他人とすれ違う時、肩で風を切って歩いていたものだけれど、今は向こうから人が来るようだと、さっと自ら道を空けて、道路の幅いっぱいに避けて通るようになった。朝起きると、一晩中の酒臭い息や放屁の匂いを逃すため、布団を上げる際に窓を開けていたけれど、隣家から咳やくしゃみなどの声、音がすると、慌てて閉めるようになった。こうして物理的に距離を取っている習慣がつくと、ついには心の距離も遠ざからざるを得ない気がする。一度離れた心は、コロナがあらかた収束しても完全修復するのは、若い頃の恋愛と同様に、不可能と予想する。理性では何事も無かったように装っても、体が凍って反応しないのではないか。
 自然の声音は閉ざさずに、素直に受け入れるのが、心の健康に良い。数日前、朝のNHKラジオで、滋賀県・湖北野鳥の会会長がウグイスとメジロの違いの話をしていた。梅の咲きごろに蜜を吸いに現れるのでウグイスと間違えられることもあるメジロは、「長兵衛、忠兵衛、長忠兵衛」と鳴くのだそうである。ホーホケキョよりも人声に近く、意味が通じ、親しみが持てる。古くから両鳥は混同され、羽毛色が灰褐色のウグイスに対し、メジロが黄緑なのに、緑色の餅菓子をうぐいす餅と呼ぶのは誤用で、本来なら「めじろ餅」とするのが相応しい趣旨のことを仰っていた。コロナが落ち着いたら、商標登録して私が売り出すことにしよう。
 ポスト・コロナ時代に世界の政治経済関係がどう変化するか、その中で日本の地位が何処まで沈下するかに気を揉んでいたけれど、そんな悠長に構えていられないほど事態が差し迫ってきた気がする。バックグラウンドとして、ユーラシアの軍事2大大国の中露が領土的圧力を日本に対し加え続けてきたけれど、新型コロナウイルスへの日本のハンドリングの拙劣さを睨み、さらに圧迫をエスカレートしてきそうな気配が高まっている。それに加えさらに、ここにきて北朝鮮の金王朝3代政権の崩壊が現実化した場合のリスクに対応しうるかの課題が迫ってきた。北朝鮮の暴発や、南北朝鮮の緊張の高まりで済めば、何とか凌ぐことができよう。しかし、仮想敵国・日本を旗印に南北が統一の方向に向かい、長期戦の構えに出た場合は、日米安保にすがり、じりじり後退するより、手も足も出なくなるだろう。その際、在韓米軍を残し、日米韓3国同盟が機能しているかどうかは微妙である。日朝2国間の問題として米国が突き放す可能性もある。とにかく、コロナ禍による経済不況を打開するため、軍需産業を振興する方向に舵を切る場面もあり得よう。朝鮮の統一体制が整うのを待つまでもなく、ロシアが北方領土の振興のため、北海道本島に触手を伸ばす事態を警戒する必要がある。それより先手を打ってくる可能性が高いのが、尖閣を通り越して中国の沖縄諸島への侵食である。そうなれば、朝鮮は竹島どころの騒ぎでなく、統合の国威発揚の手段として対馬、隠岐の島への威力偵察の挙に出るかもしれない。国民に竹槍配給ではもちろん、マスク2枚では防ぎようがない。コロナ対策の首尾によって世界各国は国力の色分けについてリトマス紙に掛けられた。各国の軍事情報当局はリアルに採点しているであろう。バーチャル戦のシミュレーションはすでに実施されているはずである。整えばリアル戦に移行する。バーチャル戦の図上演習で思い止まらせることができるのか、現政権の実力が試されているが、対コロナのもたつきから推して現状では、日本の将来の見通しは暗いと評価せざるを得ない。

春のめざめ
窓を開くれば
鳥の声
誘ひきたらば
拒む由なし