天愛元年

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新元号『天愛』元年にスタート

ノマド

2021-04-12 16:57:41 | 日記

 自粛に倦んで、たまには外に出ようと映画を探した。アカデミー賞最有力候補というので『ノマドランド』にした。そう言えば去年のこの頃、新型コロナウイルス肺炎に罹ったら、子や孫に迷惑を掛けてはいけないと、バッグ2つに衣類と身の回り品を詰めて、自動車に放り込んだ。自覚症状が出れば、いつでも放浪というか、死出の旅に出ることにした。3年前に死別した愛猫のアルバムを3冊作ったのに、1冊が見当たらずに探し回っていたけれど、それもバッグに入れたのを忘れていたのだった。
 映画は、夫に先立たれた年配夫人の住む町が不景気で寂れ、住む場所でなくなったので、愛車をねぐらに放浪する話であり、私も運が悪ければ後を追うかもしれない。家に残っても医療体制が全く期待できず、感染の輪を広げるだけの存在になるなら、より大事なものを守るため、遠隔地に身を置くより仕方ない。女主人公は吐き気目まいか下痢ピー程度のトラブルにしか巻き込まれず、あまりコロナ禍の放浪生活の参考にはならなかった。
 それより予告編の方が気になった。『ゴジラ対コング』と、タイトルだけでも血沸き肉躍った。でも、キャッチコピーが破壊神対守護神の対決と、嫌な予感がする。世界唯一の原爆被爆国の日本で核エネルギーを蓄積して誕生した破壊神のゴジラが、ゴリラの変態であるちゃっちい守護神のキングコングにやっつけられるとしたら、国内上映禁止などの国際抗議措置が必要だと思う。
 チャッチイと言えば、これは予告編でなく、館内映画チラシであるけれど、5月全国ロードショーの『アオラレ』というタイトルには、洋画翻訳史上最高傑作のそのまんま賞を上げたい。大渋滞の高速道路でクラクションを1回鳴らしたばかりに、切れた前の運転手に執拗に追い詰められるという、理不尽で恐ろしい、今の日本でも現実によく起こっているスリラーというから、見逃せない。今年のゴールデンウイークは退屈しそうにない。
 あざといのは田中圭・土屋太鳳主演の『ヒノマルソウル』。平昌オリンピックでなく、長野オリンピックをテーマに、スキージャンプ・チームを金メダルに導いた裏方の舞台裏の活躍を描いたと唱って、1年延期された東京五輪開幕を直前に控え、ぴったりのタイミングでヒット間違いなしである。
 毎日新聞に連載された当時、欠かさず熟読した司馬遼太郎の『峠』が映画化される。長岡藩家老河井継之助の存在を知り、その知略豪胆な人物に魅せられた。後年、本になって読み返すと、主人公の生き様は立派だけれど、新政府に徹底抗戦し大敗した藩民や同盟藩の運命には冷める思いがした。詰まらぬ戦いに勝つよりは、征服支配された方がマシ、というアナーキーな考えが萌したものである。それよりは『HOKUSAI北斎』(橋本一監督)の方が楽しみである。個性と才能が強烈なのは同じでも、ひとの運命を一将功成るために左右されてはかなわない。波濤が砕けるときは、船を巻き込まないようにしてほしい。

砕け散る
波と恋こそ
絵にはなれ
頼みもせぬに
飛沫散らすな









ブロックヒット

2021-04-07 14:29:07 | 日記

 

 北朝鮮の東京五輪・パラリンピック不参加が表明されるなど、行く川の水のように、昨日と同じように見えて真底の事態は激しく移り変わっていく。競泳のオリンピック代表選手が日々流れるように決まっていくのに、大阪府の新型コロナウイルス肺炎新規感染者数が7日は800人台に最多記録を更新した。災厄に呪われたかの国の気分を一新したくても、これでは福原に遷都することも叶わない。悪疫に医師も専門家も、ワクチン調達の政治家も当てにできない時は、喚き罵り合いジタバタしても何の役にも立たず、目の前の様をただ見聞き、記憶と記録に留め、火の粉が降りかからないよう身を守るしかない。
 感染が第4波を懸念させるほど拡大しつつあるため、3月に始めた卓球教室を4月から退会した。ただ、昼カラオケで高齢者の感染が増えているとの噂は聞くけれど、ピンポン・シニア同好会の方は吉と出るか凶と出るか、マスク着用で、も少し続けようと思う。
 周りの桜は散り果て、緑葉を残すのみだけれど、弘前城の桜は今月中旬に開花の予報とか。まだ会社勤務の頃、子供も巣立ち、思い切り贅沢をして、ゴールデンウイークに東北花見ツアーに出掛けたら、あらかた散った後だった。バスガイドさんが、見る前から期待を損なわないよう、言葉に気を遣っていたことを思い出す。自分の目で見ないとよく分からないし、実際に見た事が現実である。しかし、1回見たくらいで実態を言い表せる物はなく、時により場所により変化し、捉えどころがない。同じ歴史を繰り返した歴史が1度も無いことが、数十万年にわたって人類が飽きもせずに子孫を再生産してきた所以と思われる。飽きさせないために、時や場所や人を支配し得ると錯覚させたのが、造物主の意地悪である。どんな天才もどんなバカも1つの人生しか持っていない満たされ無さが、何億人の頂点に立つ為政者の虚ろな表情から読み取れる。ピンポンの上手が攻めまくってきて、最後に強烈なスマッシュを放った時、目を瞑ってラケットを出したら、相手コートに返って得点できた昨日の事を思い出し、そんなことを考えた。

弘前は
蕾のままか
弾けぬる
周りの木々と
何れ羨まむ


今治タオル

2021-04-05 22:59:12 | 日記

 ディスカウントストアで今治のタオルが売っていて、あと3枚しか残っていなかったたので、即買った。風呂で使うと、ふくよかさ、滑らかさが肌に心地よく、1日の疲れが倍取れた。いままでのぺらぺら、ざらざらタオルが人生を無駄に毀損していたことに気が付いた。行住坐臥、取捨選択に怠りなく過ごさなくては後悔先に立たずと反省しきりだった。
 夕方の散歩をしていると、ケーンケーンと懐かしい声が聞こえた。この5月で丸3年となる愛猫ミャー太との死別の前の、まだ健在だったころのある日、抱っこ散歩に連れて出ると、両腕の中でゴソゴソし、どんぐり眼を見開き、お父ちゃんあれは何だと興奮しだした。ミャー太の目の方向を見遣ると、畑の向こうの草陰に雉が2羽何かを啄んでいた。つがいだったのだろう。赤い鶏冠に、鮮やかな青から緑にグラディエイトする羽毛の神々しい姿をしばらくの間、共に楽しませてもらった。それから4,5年見掛けなかったのに、いきなり茶畑から1羽姿を現した。近傍に家が増えたけれど、土地を見捨てず、まだ健在だったのが嬉しかった。雉を見ると、ミャー太の興奮を思い出す。雉に再会できたけれど、ミャー太は帰ってきてくれない。雉も連れを失くしていた。

一羽して
雉の姿見す
我もまた
愛し猫亡くす
ともに偲ばむ




露と消え

2021-04-02 17:19:06 | 日記

 眞子さまのご婚儀の日取りがようとして明らかにされず、官邸、宮内庁等関係者は何をもたついているのか、不審でならない。コロナ対策で右往左往するほか、桜を見る会の疑惑や、首相長男の総務省癒着など、身辺の埃を叩くのに精いっぱいで、心の余裕をなくしているのか。厚生労働省の送別宴会に象徴されるように、国民には手取り足取り行動制限する割には、上に立つ者が自らを律する姿が見えないのと同じ構図ではないのか。小室家の金銭トラブルにかまけて、政府は仕事を放棄してはならない。
 そもそも金銭トラブルとは何のことか。週刊誌や与太新聞、ごろつきらが事実関係が公明正大でないことを騒ぎ立てているだけではないか。小室家に金を融通した者は「X」としてしか公に存在しない。何年も世の中を騒がしておきながら、問題と思うことを正々堂々と公開の場で意思表明してはどうなのか。今一番大事な時を迎えている他人の人生を左右しておきながら、個人の金の貸し借りはプライベートの事だからという理由で、身を隠したままというのは、世間を見くびった態度と言わざるを得ない。
 そもそも本当に存在するのか疑問の本人もさることながら、メディア全般は誰が火を点けたかも分からない言い分をブラックボックスに仕舞い込んだまま、金銭トラブルのある皇室の結婚は税金の無駄遣いなどと、さもしい主張を良く続けられるのもである。文春砲でも、日本記者クラブでも構わないから、本人を引っ張り出して、事の正否をはっきりさせるべきではないのか。やるべきことをやらずに扇情、感想、観測、難癖ばかり垂れ流すのはいい加減目障りである。元を糺さずに想像の翼を広げて、記事を流すのはこの国の視聴読者のレベルと合わせて、ネタが尽きずに売れるからであろう。何を書こうと反論が出ないと分かった相手には、正確性とか質はお構いなしである。これが政府、官邸に対してなら、お叱りや政府買い上げから除外される恐怖があるから、忖度記事ばかりである。大手スポンサーなら、広告を引き上げられると飯の食い上げになるので、提灯記事ばかりである。右を向いても左を見ても、大人しく従う報道だけで済まさなければならないフラストレーションが昂じて、売れるけれどペナルティーを心配しなくていい内容物を、もともとコメントの取れない相手だけに、与太の流し放題である。デジタル技術も、高度通信システムも、新世代エネルギー開発も、ワクチン開発も、、行政モラルも国の基盤となるものの立ち遅れ、劣化が目立つけれど、一番劣化が著しいのは立法府とメディアと断言して間違いはないだろう。
 伊勢物語の英訳を始めて、きょうは第6段の『白玉か』に差し掛かった。むかし男が愛した娘を命懸けで奪い去る悲劇であるけれど、カルロス・ゴーン元日産会長の逃亡劇と合わせて、いい着想が思い浮かんだ。本当はジューンブライドに間に合わせたいけれど、7月にはニューヨーク州の司法試験が予定され、小室圭さんはこちらに神経を集中させなければならないので、その後に在原の今業平と呼ばれる私が赤坂御用地内に忍び込んで、姫を連れ出してニューヨークにお連れ申し上げようと思う。米国でワクチン接種が行き渡った頃を見計らって、セントラルパーク内でオープンエアー挙式ができるよう取り図ろう。バイデンさん、ハリスさんを主賓に招くつもりである。

Once upon a time, there was a man called Narihira. He fell in love with a noble girl called Takaiko of Fujiwara clan and was seeing her for some years. He wanted to marry her, but all her relatives blocked her marriage. So he attempted to steal her away from a baronial mansion of the family. When they went by the bank of the Akuta river, she pointed at something bright on the grass and asked him, "What are those?" They were dewdrops, but he has no room in his mind to respond.
 It was getting dark. Meanwhile, heavy rain began to fall and thunder roared. They found a hut by chance and took shelter from the rain. The man was keeping guard on the entrance side. At that moment, the girl was attacked and eaten by an evil creature in one mouthful. He hadn't hear her screaming due to the peal of thunder. There was nothing he could do, when he found that she had disappered. He cried and composed an elegy lamenting her.

"Are they pearls?" Looking at dewdrops, she asked me . That was the last time I saw her. I love her innocence and fleeting life. I wish I had vanished like evaporation of dew at that moment.

原文:伊勢物語第6段『白玉か』
むかし、をとこありけり。女のえうまじかりけるを、年を経てよばひわたりけるを、からうじて盗み出でゝ、いと暗きに来けり。芥川といふ河をゐていきければ、草の上にをきたりける露を、かれはなにぞとなむをとこに問ひける。ゆくさき多く、夜もふけにければ、鬼ある所とも知らで、神さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、あばらなる蔵に、女をば奥におし入れて、をとこ、弓やなぐひを負ひて、戸口にをり。はや夜も明けなむと思ツゝゐたりけるに、鬼はや一口に食ひけり。あなやといひけれど、神なるさはぎにえ聞かざりけり。やうやう夜も明けゆくに、見ればゐてこし女もなし。足ずりをして泣けどもかひなし。
  白玉かなにぞと人の問ひし時つゆとこたへて消えなましものを
これは、二条の后のいとこの女御の御もとに、仕うまつるやうにてゐたまへりけるを、かたちのいとめでたくおはしければ、盗みて負ひていでたりけるを、御兄人堀河の大臣、太郎國経の大納言、まだ下らふにて内へまゐり給ふに、いみじう泣く人あるをきゝつけて、とゞめてとりかへし給うてけり。それをかく鬼とはいふなり。まだいと若うて、后のたゞにおはしましける時とや。