https://www.gosen-dojo.com/index.php?key=joj3g0uz0-13#_13
うーん困った。思いっきり突っ込みたい気持ちと、スルーしたい気持ちがせめぎ合う感じ。タイトルは思いっきり攻めてみたけど、へたれたい気も満々だったりする。どうしよう。
目の前の現実を現実として受け入れることを「保守」、現実を断罪して理想を語ることを「革新」という安直な定義をするなら、小林先生の立ち位置は「革新」ということになる。けれども、現実の方が動的平衡状態にあり、不安定な励起状態にあるなら、その現実を直視することが「革新」そのものとなり、そうではない、そこに存在しない定性的な理想を希求するとすれば、それは「保守」になる。
用語を「保守」=「右翼」、「革新」=「左翼」になぞらえると、話はさらにこんがらがって訳が分からなくなる。日本に限って言えば、これに「親米ポチ」と「無自覚のWGIPまみれ親中韓」が絡んで、小林先生にはなじみ深い世界になるはず。
大風呂敷を広げすぎなのは自覚してるけど、それでも言いたいのは、AKBの新しさ、素晴らしさは、従来のアイドルの枠組みを大きく逸脱してること。そのキモは秋元康氏の方法論というか、秋元イズムにして、その秋元イズムとは、決して立ち止まらないこと、現実を受け入れた上で、その一歩先、1ミリ先にベットし続けること。つまり「保守」にして「革新」であること。そういう対立軸の「外」を、存在しない場所を求め続けるということ。
けれども、そんなあり得ないような「奇跡」が、AKBでは実現してる。なぜそんなことが可能だったかといえば、それはひとえに「化学反応」の連続にあった。一期生に前田さんと高橋さんがいた。AKBが存在しなければ、決して交わらなかったはずの二人の人生が交わった。そして二期生として大島さんという人生が交錯した。
ただそれだけのことだったかもしれない出会いが、「無への跳躍」の次元を複数飛び越えるという「奇跡」を招いた。否。そこは話を端折り過ぎだけど、そこには無数の失敗があったんだけど、その失敗のすべてが致命傷だったはずなのに、高橋さんの覚醒によって、いくつもの死線をくぐり抜けるという、見えにくいけど決定的なブレークスルーがあった。そして、AKBは現実を突破して、新たな現実、未知のブルーオーシャンに到達した。
視点が変わるけど、それは、リアルとバーチャルが連続体として存在できる、近所の女の子とテレビの向こうのスターが同一化する世界であり、そんな申し子がさっしーなんだということ。さっしーこそが、ザAKBなんだということ。さっしーが秋元氏の「寵愛」を受けてるように見えるのも、だから当然と言うことにいなる。この辺りの私の考えはすべて既述なんで、繰り返すのも何だかなあだけどね。
もしかして、小林先生には、私が勝手に理解してるところの、高橋さんが何をしてるのかが見えてないのかな。もしそうだとすれば、それはさっしーの「月の裏側」が見えてないのと同義になりそう。
さっしーは「最強」なんかではなくて、強弱という対立軸の上にはいない。テレビとAKB、大人と子供という対立軸の上にもいない。かつて存在しなかった場所にいる。そんな現実から「逃げちゃ駄目だ」。
うーん困った。思いっきり突っ込みたい気持ちと、スルーしたい気持ちがせめぎ合う感じ。タイトルは思いっきり攻めてみたけど、へたれたい気も満々だったりする。どうしよう。
目の前の現実を現実として受け入れることを「保守」、現実を断罪して理想を語ることを「革新」という安直な定義をするなら、小林先生の立ち位置は「革新」ということになる。けれども、現実の方が動的平衡状態にあり、不安定な励起状態にあるなら、その現実を直視することが「革新」そのものとなり、そうではない、そこに存在しない定性的な理想を希求するとすれば、それは「保守」になる。
用語を「保守」=「右翼」、「革新」=「左翼」になぞらえると、話はさらにこんがらがって訳が分からなくなる。日本に限って言えば、これに「親米ポチ」と「無自覚のWGIPまみれ親中韓」が絡んで、小林先生にはなじみ深い世界になるはず。
大風呂敷を広げすぎなのは自覚してるけど、それでも言いたいのは、AKBの新しさ、素晴らしさは、従来のアイドルの枠組みを大きく逸脱してること。そのキモは秋元康氏の方法論というか、秋元イズムにして、その秋元イズムとは、決して立ち止まらないこと、現実を受け入れた上で、その一歩先、1ミリ先にベットし続けること。つまり「保守」にして「革新」であること。そういう対立軸の「外」を、存在しない場所を求め続けるということ。
けれども、そんなあり得ないような「奇跡」が、AKBでは実現してる。なぜそんなことが可能だったかといえば、それはひとえに「化学反応」の連続にあった。一期生に前田さんと高橋さんがいた。AKBが存在しなければ、決して交わらなかったはずの二人の人生が交わった。そして二期生として大島さんという人生が交錯した。
ただそれだけのことだったかもしれない出会いが、「無への跳躍」の次元を複数飛び越えるという「奇跡」を招いた。否。そこは話を端折り過ぎだけど、そこには無数の失敗があったんだけど、その失敗のすべてが致命傷だったはずなのに、高橋さんの覚醒によって、いくつもの死線をくぐり抜けるという、見えにくいけど決定的なブレークスルーがあった。そして、AKBは現実を突破して、新たな現実、未知のブルーオーシャンに到達した。
視点が変わるけど、それは、リアルとバーチャルが連続体として存在できる、近所の女の子とテレビの向こうのスターが同一化する世界であり、そんな申し子がさっしーなんだということ。さっしーこそが、ザAKBなんだということ。さっしーが秋元氏の「寵愛」を受けてるように見えるのも、だから当然と言うことにいなる。この辺りの私の考えはすべて既述なんで、繰り返すのも何だかなあだけどね。
もしかして、小林先生には、私が勝手に理解してるところの、高橋さんが何をしてるのかが見えてないのかな。もしそうだとすれば、それはさっしーの「月の裏側」が見えてないのと同義になりそう。
さっしーは「最強」なんかではなくて、強弱という対立軸の上にはいない。テレビとAKB、大人と子供という対立軸の上にもいない。かつて存在しなかった場所にいる。そんな現実から「逃げちゃ駄目だ」。