AKB48の旅

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「指原の乱」がオモシロい

2013年10月11日 | AKB
「指原の乱」が、クソ面白かった。最初から最後まで、一瞬の隙もなく見事に、あらゆる瞬間が面白かった。さすがにさっしーを知り尽くす福田監督の見事な手腕にして、そんな期待を裏切らない、さすがのさっしーというガチンコぶり。

さっしーの特異性とは、つまるところ距離を無化する力、境界をすり抜ける技、そして虚実という対立軸の「外」に立つ存在様式にあるんだけど、福田監督は、そんなさっしーの面白さを、「指原の乱」という形で見事に提示して見せてくれた。テレビ番組という「虚」にあって、その「実」であるところの中の人であるべき、福田監督自らが出演して、さっしーと対峙することで、非対称な自己言及性、そして一種メタ構造を押し出してきた。

その上で、写真集というテーマに対しては、光文社と青木編集長というバックヤードを露出させた。テレビという虚構と、黒子たるべき福田監督という虚実を接続し、さらにその番組の中で、出版という、テレビに比べれば現実側とは言え、それでもやはり虚構と、黒子たるべき出版社、そして編集者を接続する。虚実の入れ子構造を演出して来た。

なんかワケの分からんことを書いてるようだけど、要するに、リアルバーチャル連続体にして、虚実の関係性を再構成し続けるというさっしーの特異才能を、そのまま番組にして見せてくれたことになる。「指原の乱」という題名にも、このさっしー特有の存在様式の不安定さ、常時励起状態がよく表現されてると思う。

そして、こっからちょっと暴走だけど、かつて秋元康氏がやりたかったのは、こういうことだったのかなと。かつてとんねるずがやっていたこと、あんまりテレビ見てなかったんで、間違ってるかも知れないけど、製作サイドの人間を画面に登場させる、楽屋落ちネタを連発するという。あれは、この「指原の乱」を模索して手探りして、けれどもついに成就しなかったということなのかなと。