二重の意味で面白かった。一つはもちろん、渡辺美さんらしい、揺るぎのない強力な渡辺美カラーが出ていたこと。そしてもう一つは、メンバーから見た高橋さんの見え方が、とても具体的に示されていたこと。
私ごときに何が分かる、というのは置いといて、渡辺美さんの特徴は、何と言っても現実と向き合う、付き合う能力だろうと思う。受け入れるべき現実は素直に、積極的に受け入れ、受け入れ難い時は、どうすればそれが緩和できるか、回避できるかを考え努力し、拒否すべき時は、きっちりと遮断する。その見極めが正確で、決断が早い。
そういうリアリストの渡辺美さんが語る夢が「アイドルのプロデューサー」というなら、それはお花畑なはずもなく、現実的な具体的な将来像にして、構想と言うことになる。なるほどなあという感じ。
よく見た目がさっしーと似てると言われてるし、特別な関係性も取りざたされていて、さっしーの影響を受けている、感化されてると見なすこともできそうだし、そんな要素を否定する材料もないけど、それ以上に、渡辺美さんが持っている、自身を客観視するような感覚は、確かにさっしーに近いものがあるかも知れない。
ただし、プロデューサーになったとして、成功できるかどうかは未知数というか、さっしーよりも遙かに独自色が強くて、自我が強い感じなんで、そこがネックになるんじゃないか。
秋元康氏もリアリストだけど、ある意味、目の前の現実に対しては迎合的であり、逆らうことはしない。ただ、常に「無への跳躍」を試み続けるという形で、未来を模索することをやめない。そんなあり方を、レッテル貼り的にギャンブラーと表現するのは、片手落ちかも知れない。プロテスタント的な表現では、それは「試す」と言う行為によって、初めて神の意志がディスクローズされるということと同義になる。
このあたりのことは過去ログ参照ということで、もう一点は高橋さんについて。
渡辺美さんが、高橋さんのことを絶賛していたのは、ついこの前のラジオでのことだったけど、こうして見識の高いメンバーから見える、インサイダー視点での高橋さんの姿は、やはり中間管理職なんかではなくて、「社長」なんだろうな。
以下追記
通りすがりのぽんこつさん。そうなんですか。
確認する時間が取れないんですが、私の思い違いというか、今回ようやくにして、「養生」ということに初めて気がつけたのは、私の方だったようです。
私ごときに何が分かる、というのは置いといて、渡辺美さんの特徴は、何と言っても現実と向き合う、付き合う能力だろうと思う。受け入れるべき現実は素直に、積極的に受け入れ、受け入れ難い時は、どうすればそれが緩和できるか、回避できるかを考え努力し、拒否すべき時は、きっちりと遮断する。その見極めが正確で、決断が早い。
そういうリアリストの渡辺美さんが語る夢が「アイドルのプロデューサー」というなら、それはお花畑なはずもなく、現実的な具体的な将来像にして、構想と言うことになる。なるほどなあという感じ。
よく見た目がさっしーと似てると言われてるし、特別な関係性も取りざたされていて、さっしーの影響を受けている、感化されてると見なすこともできそうだし、そんな要素を否定する材料もないけど、それ以上に、渡辺美さんが持っている、自身を客観視するような感覚は、確かにさっしーに近いものがあるかも知れない。
ただし、プロデューサーになったとして、成功できるかどうかは未知数というか、さっしーよりも遙かに独自色が強くて、自我が強い感じなんで、そこがネックになるんじゃないか。
秋元康氏もリアリストだけど、ある意味、目の前の現実に対しては迎合的であり、逆らうことはしない。ただ、常に「無への跳躍」を試み続けるという形で、未来を模索することをやめない。そんなあり方を、レッテル貼り的にギャンブラーと表現するのは、片手落ちかも知れない。プロテスタント的な表現では、それは「試す」と言う行為によって、初めて神の意志がディスクローズされるということと同義になる。
このあたりのことは過去ログ参照ということで、もう一点は高橋さんについて。
渡辺美さんが、高橋さんのことを絶賛していたのは、ついこの前のラジオでのことだったけど、こうして見識の高いメンバーから見える、インサイダー視点での高橋さんの姿は、やはり中間管理職なんかではなくて、「社長」なんだろうな。
以下追記
通りすがりのぽんこつさん。そうなんですか。
確認する時間が取れないんですが、私の思い違いというか、今回ようやくにして、「養生」ということに初めて気がつけたのは、私の方だったようです。