こんにちは いけや正の 晴れ時々スケッチ  

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原水爆禁止国民平和大行進 八潮

2020年07月11日 | 日記
 昨日、2020年原水爆禁止国民平和大行進・八潮コースの取り組みがあった。
今年は、コロナの影響で、実際の歩く平和行進はなし。
スタンディング方式で、次の自治体へペナントを引き渡すことに。
 この後、各地をめぐって、8月6日のヒロシマでの原水爆禁止世界大会へつなぐ。
八潮駅北口でミニ集会。40名弱が参加。
 埼玉県被爆者団体協議会「しらさぎ会」副会長の久保山さんの挨拶。
被爆75年。被爆者の高齢化、ヒロシマ・ナガサキの風化、核戦争の危機も。
 一方で、核兵器禁止条約は批准国が39ヶ国に。あと11ヶ国で効力の発生する50ヶ国に。
核兵器の使用、製造、貯蔵、脅かしに使うことも国際的に犯罪に。
しかし唯一の戦争被爆国日本の政府はこれに賛成していない。情けない。
 大山八潮市長、石黒教育長からメッセージが。各団体からひとことスピーチ。
私は日本共産党市議団を代表して挨拶。
「かつてオバマ前大統領は、火の玉が空から降ってきた。と広島平和式典でスピーチ」
「しかし、原爆投下は自然現象ではない」
「1945年8月6日午前8時15分ヒロシマ上空の原爆投下は
 綿密に計算された政治的戦略的投下でした」
「ヤルタ会談で米英ソはナチスドイツ降伏後3か月後にソ連が日本に参戦することを密約」
「原爆投下はソ連の対日参戦の8月9日の前でなければならない」
「原爆の人的被害とその効果を調べるために
 人々が仕事や勤労奉仕で一斉に家の外に出ている時間を狙って」
「つまり午前8時15分でなければならない」
 戦後世界の支配の主導権争いと新型兵器の壮大な実験場として原爆投下は行われた。
そこにはきのこ雲の下の数十万の人々の暮らしも人生も眼中にはなかった。
 隠された史実を明らかにしていくことの大切さ。
被爆者の長年の願い。「核兵器のない世界」実現へ。歩みは続く。

つくばエクスプレス八潮駅北口前での平和行進スタンディング。
平和行進ペナントは隣の三郷市へ引き継がれる。