朝、5時半には起きて、小一時間の散歩を、と思っているが
なかなか実行できない。ラジオ体操が終わって、それから歩き出すことが多い。
「一日1万歩」を目標にしているのだが、5000歩にも及ばない日もあったり。
中川沿いの近くに地元のお寺がある。
その入り口にいろいろな仏像やら石碑が立っている。
そのなかの一つが下の写真。
仏像が彫られた側面に「安永六年丁酉三月吉日」の文字。
日本史年表で調べたら、安永は1772年から1780年までの9年間。
江戸の中期。関ケ原の合戦から170年後、明治維新まで88年。
有名な徳川吉宗の後を受けた徳川9代将軍徳川家重の時代。
田沼意次が老中として君臨。ロシアの船が頻繁に日本近海に出没していた時期。
平賀源内もこの時期に生きた人。
そんな時代に大瀬の土地で暮らしていた人々が、
どんな思いでこの仏像を建立したのか。
そんな思いを巡らす朝のひと時。
「安永六年丁酉三月吉日」の銘がある仏像石碑。丁酉は(ていゆう)干支の一つ。
なかなか実行できない。ラジオ体操が終わって、それから歩き出すことが多い。
「一日1万歩」を目標にしているのだが、5000歩にも及ばない日もあったり。
中川沿いの近くに地元のお寺がある。
その入り口にいろいろな仏像やら石碑が立っている。
そのなかの一つが下の写真。
仏像が彫られた側面に「安永六年丁酉三月吉日」の文字。
日本史年表で調べたら、安永は1772年から1780年までの9年間。
江戸の中期。関ケ原の合戦から170年後、明治維新まで88年。
有名な徳川吉宗の後を受けた徳川9代将軍徳川家重の時代。
田沼意次が老中として君臨。ロシアの船が頻繁に日本近海に出没していた時期。
平賀源内もこの時期に生きた人。
そんな時代に大瀬の土地で暮らしていた人々が、
どんな思いでこの仏像を建立したのか。
そんな思いを巡らす朝のひと時。
「安永六年丁酉三月吉日」の銘がある仏像石碑。丁酉は(ていゆう)干支の一つ。