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三郷啄木祭 「教師としての啄木」奈良達夫氏の講演

2024年04月13日 | 短歌 俳句 川柳

 今日、隣の三郷市で「第5回三郷 啄木祭」が開催された。案内を受け初めて参加。松伏町議会選挙が無投票になって、今日の時間が取れた。

 会場には70~80名の参加者。その多さにびっくり。講談師甲斐淳二さんの「房総 花物語」 ミニ講演 大津留公彦さんの「漱石の「こころ」のKは啄木か?」と題しての話。なかなか面白い。

 「教師としての啄木」と題しての奈良達夫さんの講演は 上田庄三郎氏の「青年教師としての啄木」の文献を紹介しながらの話。昭和29年に書かれたもの。

 啄木の教師としての経験は渋民小学校で代用教員1年、函館の弥生小学校で3ケ月、という短いもの。しかし、当時の官製教育、軍国教育に真っ向から抗して、子どもこそ主人公の教育を実践。校長、県視学官(当時の教育委員会)をものともせず、自らの実践を貫く。

 子どもの実生活を直視し、子ども主体の教育を掲げて戦前の教育運動に足跡を残した「生活綴り方教育」の祖ともいうべきと奈良氏の弁。

 私は啄木の出身である渋民村のある岩手県、盛岡の地にある岩手大学で4年間過ごし、生活綴り方研究会にほんの少し身を置いたことがある。「日本一の代用教員」と言う啄木の言葉にひかれ「日本一の教員」目指して38年間、都内の障害児学校で子どもたちと過ごした。

 今日の講演での話は、私の過ごしてきた過去の日々がいくつもつながっていたことに新鮮な驚き。啄木と盛岡、啄木と生活綴り方、啄木と教師、「青年教師としての啄木」を書いた上田庄三郎氏は日本共産党元議長の不破哲三さんのお父さん。上田氏は確か、土佐高知の教員で、30代で校長になり、子どもの自主性を生かした教育を実践した人と聞く。

 久しぶりに文化の香?に浸ることができた時間。帰りがけ八潮市内に戻り、2時間ほど流し宣伝しながら何人かの人と対話して帰宅。

 改めて啄木の文献など読みたくなった。

今日の日に拙首。

「今問わん 時代閉塞の現状 4月13日は啄木忌」

「ひたひたと 迫りくる音 戦争はいつの時代も ある日突然」

「日本一の 代用教員たらんと欲す 啄木の心に我もまた」

 

 


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