「私の嫌いな10の人びと」 中島 義道(著)
結構面白かった。
一般的に素晴らしいと思われる人に対して疑いもしなかったが、読んでみると結構人間の醜い(見にくい)本心をついているような気がした。
笑顔の絶えない人、常に感謝の気持ちを忘れない人、みんなの喜ぶ顔が見たい人など…
これらの人に対する著者の考え、特に以下の部分にに共感してしまった…
“常に感謝の気持ちを忘れない人から”
(引用開始)
相手が自分に何も期待しないでただ親切にしてくれるとき、われわれには自然な感謝の気持ちが湧きあがります。しかし、親切な行為の背後に、相手の自己利益や計算高さや、事故愛や、傲慢や自分に対する軽蔑や、恩着せがましさや見返りや、定型的な義務心や…が透けて見えるとき、われわれはとっさに感謝の言葉を呑み込むのです。
(引用終了)
なるほど…
自分でも素直に感謝の言葉が出る時と、そうでない時があり、深く考えなかったが、直感的に相手の背後にある思いを読みとっていたのかもしれない。
(引用開始)
人間ですから、かつてどんなに絶大な恩恵を受けたとしても、つい忘れてしまうこともあるでしょう。
~中略~
そのとき自分が彼からそれほどの恩恵を受けたことはありがたいことながら、やはり同時に自分の不甲斐なさがちくちく体を刺し通して、無性に辛いからです。忘れたいから、忘れてしまうのです。
(引用終了)
これも深層心理をついた内容だと思います。
(引用開始)
私が嫌いなのは、感謝の気持ちを忘れない人というよりむしろ、折に触れて「感謝の気持ちを忘れるなよ!」と高飛車に、あるいはしみじみとお説教する人なのかもしれません。私が誰かから絶大な恩恵を受けようと、私は彼にいつまでも「ありがたかった、助かった」と言いつづけたくない。そして、私は他人に親切にすることはほとんどないのですが、そのごく少数の場合でも、他人からいつまでも「ありがとう(ございました)」と言ってもらいたくない。すぐに忘れてくれる方がありがたいのです。
(引用終了)
感謝の気持ちを忘れてはいけないと思うけど、自分がした親切に対して感謝され続けたいと思っている人はどれほどいるのでしょう?
感謝の気持ちを忘れない人、忘れてはならないと信じている人は、おそらく感謝され続けられることが当然と思うのではないでしょうか…
私も著者同様、いつまでも感謝されずに忘れてくれる方がありがたい
感謝されることに悪い気はしませんが、どうしても相手側に対して優位に立っているような気がしてイヤなのです。
(あとがき 引用開始)
私は、本書ではむしろ、大部分の現代日本人が好きな人、そういう人のみを「嫌い」のターゲットにしたのです。それはさしあたり物事をよく感じない人、よく考えない人ということができましょう。「よく」とは自分固有の感受性をもって、自分固有の思考で、という意味であり、ですから世間の感受性に漠然と合わせている、世間の考え方に無批判的に従っているような人は嫌いだということ
(引用終了)
これを読むと確かにそうだと思います。
世間からずれる事は悪いことだと思い、疑問にも思わなかった。
自分自身世間の考え方に流されて、深く考えようとしなかった。
しかし、心のどこかに疑問を感じていたのでしょう
図書館にあったこの本に目が留まったのですから…
今月は、“感謝の気持ちを忘れていはいけない”内容の本も読みました。
これについては後日書きたいと思います。
結構面白かった。
一般的に素晴らしいと思われる人に対して疑いもしなかったが、読んでみると結構人間の醜い(見にくい)本心をついているような気がした。
笑顔の絶えない人、常に感謝の気持ちを忘れない人、みんなの喜ぶ顔が見たい人など…
これらの人に対する著者の考え、特に以下の部分にに共感してしまった…
“常に感謝の気持ちを忘れない人から”
(引用開始)
相手が自分に何も期待しないでただ親切にしてくれるとき、われわれには自然な感謝の気持ちが湧きあがります。しかし、親切な行為の背後に、相手の自己利益や計算高さや、事故愛や、傲慢や自分に対する軽蔑や、恩着せがましさや見返りや、定型的な義務心や…が透けて見えるとき、われわれはとっさに感謝の言葉を呑み込むのです。
(引用終了)
なるほど…
自分でも素直に感謝の言葉が出る時と、そうでない時があり、深く考えなかったが、直感的に相手の背後にある思いを読みとっていたのかもしれない。
(引用開始)
人間ですから、かつてどんなに絶大な恩恵を受けたとしても、つい忘れてしまうこともあるでしょう。
~中略~
そのとき自分が彼からそれほどの恩恵を受けたことはありがたいことながら、やはり同時に自分の不甲斐なさがちくちく体を刺し通して、無性に辛いからです。忘れたいから、忘れてしまうのです。
(引用終了)
これも深層心理をついた内容だと思います。
(引用開始)
私が嫌いなのは、感謝の気持ちを忘れない人というよりむしろ、折に触れて「感謝の気持ちを忘れるなよ!」と高飛車に、あるいはしみじみとお説教する人なのかもしれません。私が誰かから絶大な恩恵を受けようと、私は彼にいつまでも「ありがたかった、助かった」と言いつづけたくない。そして、私は他人に親切にすることはほとんどないのですが、そのごく少数の場合でも、他人からいつまでも「ありがとう(ございました)」と言ってもらいたくない。すぐに忘れてくれる方がありがたいのです。
(引用終了)
感謝の気持ちを忘れてはいけないと思うけど、自分がした親切に対して感謝され続けたいと思っている人はどれほどいるのでしょう?
感謝の気持ちを忘れない人、忘れてはならないと信じている人は、おそらく感謝され続けられることが当然と思うのではないでしょうか…
私も著者同様、いつまでも感謝されずに忘れてくれる方がありがたい
感謝されることに悪い気はしませんが、どうしても相手側に対して優位に立っているような気がしてイヤなのです。
(あとがき 引用開始)
私は、本書ではむしろ、大部分の現代日本人が好きな人、そういう人のみを「嫌い」のターゲットにしたのです。それはさしあたり物事をよく感じない人、よく考えない人ということができましょう。「よく」とは自分固有の感受性をもって、自分固有の思考で、という意味であり、ですから世間の感受性に漠然と合わせている、世間の考え方に無批判的に従っているような人は嫌いだということ
(引用終了)
これを読むと確かにそうだと思います。
世間からずれる事は悪いことだと思い、疑問にも思わなかった。
自分自身世間の考え方に流されて、深く考えようとしなかった。
しかし、心のどこかに疑問を感じていたのでしょう
図書館にあったこの本に目が留まったのですから…
今月は、“感謝の気持ちを忘れていはいけない”内容の本も読みました。
これについては後日書きたいと思います。