今日もイキイキ

思うままに綴っています
ブログによって新たな自分を発見!?

下がり過ぎ

2014-12-10 17:25:51 | 日記(~2023年)
梅田に出る用事があったので、献血にも行くことにしました。

ところが、なんとヘモグロビン値が 9.1
全血どころか成分献血もできませんでした

ここ5ヶ月のヘモグロビン値の推移

  7月14日 12.7(整形にて検査)    
 8月 8日 13.2(不妊治療病院にて検査)
 8月20日 12.5(献血時)      
 9月26日 11.3(大阪市検診)    
 12月10日 9.1(今回献血時)

自覚症状も少しあったのですが、まさかここまで下がっているとは…

先週から寒さ厳しいですが、のぼせっぽい症状があり寒さをあまり感じませんでした。
10代の頃の貧血もこんな症状だったな…と思い出しました。

数日前より鉄分の多い食事を心掛けていましたが、食事だけでは追いつかない
しばらく鉄剤を服用して様子をみよう





2014年12月読書(2)

2014-12-09 09:45:38 | 感想
②「それでも僕は夢を見る」水野 敬也(著) 鉄拳(画)

ほとんどが漫画で5分ほどで読めてしまいました。

主人公は、夢を持つがゆえ、その夢がなかなか叶わないがゆえに苦しみ悩みます。
それでも前向きにその夢を追いかけるものの、いつしかその夢が自分自身を追い詰めていく。
耐えられなくなり、ある日、その夢を捨てて生きることを選び、結婚もせずつまらない人生を生きる。
そして、死ぬ時になって、気づくのです。

(引用開始)

「私は、これまでずっと
 夢をかなえることができたら
 自分の人生が輝くと思っていました。

 そして、夢をかなえていない
 私の人生は、何の輝きもない
 つまらない人生だと思っていました。

(中略)

 そのつまらない人生に最後の最後まで
 しがみつきたくなるくらい
 生きることは素晴らしかった。」

(引用終了)


この本を読んで尊厳死を宣言したアメリカ人女性のことを思い出します。

悪性の脳腫瘍で余命6ヶ月と診断された20代のアメリカ人女性が尊厳死を望み、近親者に見守られながら医師から処方された薬を服用して亡くなりました。

当人にしか分からない気持ちやその耐えがたい辛さを考えると、私ごときがとやかく言うべきではないことは重々承知しています。
しかし、どうしてもこれが尊厳死とは思えないのです。

医師から余命半年と宣告されたとしても、それはあくまでデータ上(経験上)からの診断であり、同じように宣告されてもそれ以上生きておられる人もいますし、逆の場合もあります。

人が持っている生命力は各々違いますし、時としてすごい生命力を発揮することもあります。
その可能性を否定して死を選ぶことは生命を尊重することになるのでしょうか?

まだ生命力があるのにそれを縮めたり、逆に生命力が尽きようとしているのに無理に延命したりすることは、生命を尊重することにはならないと思う。


今の私にはこの世に未練を残すほどのものはない。
大切な人達には、なんだかまたいつか会えそうな気がする。

だから私は無理な延命は望まない。
だけど自分の命を大切に生ききりたい。

保険証の裏には臓器提供の有無の記載欄があります。これはすでに記入済み
この度「延命治療は望みません。しかし、痛みは取ってください」と追記しました。

チクチクと・・・

2014-12-08 12:26:52 | 日記(~2023年)
2ヶ月ほど前に主人が副鼻腔炎と診断されてから毎日朝と就寝前に薬を2~3種類服用しています。

「どの薬を飲んだらいいの?」
「お水がないよ~」

などと甘えてくる
薬とはあまり縁がない人にとっては面倒くさいのかもしれない。


「私が筋腫の時や不妊治療の時に毎日のように薬を服用していた時、
 薬の時間を気にしてくれたり、薬や水を用意してくれたことがあったかな??」

と余計なひと言と笑顔で今のところ水と薬を用意してあげている。


主人は苦笑いをしながら薬を服用していますが、おそらく言わなければ気づかなかったと思う。
それくらい鈍感だ…

この状況でこの余計なひと言を言えるのが少し快感でもある。

しばらくは私が薬と水を用意することで恩を売っておこう!!


2014年12月読書(1)

2014-12-07 11:45:22 | 感想
①「みんなのたあ坊の菜根譚―今も昔も大切な100のことば」サンリオ


NHKで「菜根譚」の解説をしている番組がありました。
人との付き合い方、人は如何にしていきるべきか、ということが書いてあるとの事
未だ人との付き合い方に悩まされているので早速図書館で何冊か本を借りてみました。

「苦労を乗り越えてこそ、人間として成長できるのだ」

「ほめられても有頂天にならない
 けなされても気にしない
 自分をしっかり持っていれば
 まわりに振り回されることはない」

大切な言葉が書かれていましたが、その言葉の背景は書かれていないので、もう少し詳しい本を読んでみたいと思います。

この本のあとがきに編者がサミュエル・ウルマンの「YOUTH」という詩に感銘を受けたありました。
私も5年前に、この本を借りて読みました。(2009年12月22日ブログ)

実は私が高校受験をする際、たしか、この詩が国語の試験に出題されていました。
入試問題だったのに、なぜかその詩が心の片隅に残っていて、でも誰の詩だったのか分からずそのままでした。
しかし、ひょんなことからその詩と出会い再び感動したことを覚えています。

有名な詩だと思いますが、この本を編集された方も同じように感動していたなんてびっくりです。

この1年ちょくちょくこんなことが続きました。

◆鍼灸院の先生と話がとても合うな…と思っていたら、「魂の処方箋」越智 啓子 池川 明(共著)他1冊を共に読んでいた。

◆行きつけの美容師さんと話をしていたら、「素直な心になるために」松下 幸之助(著)を共に読んでいた。

◆ブログにコメントをくださった方も「ああ 正負の法則」美輪 明宏(著)を共に読んでいた。


たくさんある本の中で、同じ本を読んでいる方にこんなに遭遇するなんて縁を感じます。

7年目突入

2014-12-06 00:09:45 | 日記(~2023年)
気が付けばこのブログを始めて丸6年が過ぎていました。

6年前、自分の置かれた状況に納得できず、でもどうすることもできない悶々とした日々を変えるきっかけを…と思い、ブログを始めました。

それまでは自分の気持ちを吐露する場がなく、たとえ吐露したところで理解してもらえませんでしたし、状況が変わることもありませんでした。

あれから6年、少しずつ少しずつ周りの状況が変わっていき、理解してくれる人もでき、私の心も少しずつ強くなったように思います。
これもブログを書くことで自分の気持ちが整理できたことが大きいと思います。


本当にいろんなことがありましたが、悩む事、辛い事、哀しい事、楽しい事、嬉しい事など全てが自分の人生を作っていく。
自分の予期しない結果、望まない結果になったとしても正面から向き合える勇気を持ちたい。
そう強く思えるようになってから、他人の意見に左右され過ぎない、ぶれ過ぎない自分を持つことに自信がついてきました。

facebookのように個人を特定されるのが嫌だったので、ランキングには参加せず細々と書いてきました。
それでも、こんな拙いブログを読んでくださる方がおられたことは私にとっては大きな励みでした。
コメントくださる方々にも励まされました。

この場をお借りしてお礼申し上げます。

本当にありがとうございます

もうしばらく細々と続けていきたいと思いますので、これからもどうぞお付き合いくださいませ。

信仰って?(3)

2014-12-05 09:09:00 | 日記(~2023年)
リーマンショック後、手取り年収が150万円ほど減り、貯金を崩しなんとかやってきました。
それから徐々に戻ってきたとはいえ、リーマンショック前に比べるとまだ約50万円くらい少ない。
それに社会保険料が上がり、住民税が増え、結局今年7月以降、毎月のお給料の手取りが10,000円以上減りました。

リーマンショック後も変わらず、それまでと同じ金額でお供えをしてきました。
これまでにも我が家の予定をキャンセルして、その人のために尽くしたことも多々ありました。
貯金も使い果たし、今まで背伸びしすぎていたお供えの額を、今の収入でさせていただける金額に減額しただけなのに、「お供えの額を減らすなんて神さまに失礼(図々しい)」というようなことを言われ…

「信仰があって、生活、仕事があるのだ」とも言われました。

しかし、それって出家信者のことでは??

信仰も大事だけれども、家族があり、生活があり、そのために働かなければならない。
出家信者は世俗を離れ、家を捨て、家族を捨て、仕事を捨て、所有物を捨てて修行する者だけれども、私は出家したつもりはない。
自分の好きなこともしたいし、少しくらいは贅沢をしたい。
家も欲しいし、できるなら自家用車もあったら嬉しい。
この欲はおそらく捨てきることはできませんし、捨てようと思いません。


私がこの度就職するにあたり、
「月1回のおまいりの日は休める職場にしなさい」とも…

たまたま非常勤で休日はシフト制のなので休みは取りやすいですが、いやはや、そこまでなぜ押し付けようとするのでしょうか?

私は仏教の教えは素晴らしいと思います。
でもそれを導く人によっては善にも悪にもなります。
私は私の人生をそこまで縛られたくありません。

巷には様々な信仰があります。
素直な目で見極めていくことが必要ですね。

言っている本人は豊かな財産があり、ブランドバッグ、財布、宝石などを身につけて、馬も数頭保有している。
なんだかな~って感じです。

様々な事情があり、縁を切ることはできません。
以前の私はビクビクして縛られて何もできませんでしたが、自分の気持ちや考えをしっかり持てるようになってきたので、随分スルーできるようになりました。

正しい事はちゃんと教えをいただき、おかしいなと思う事は反面教師として、どんなことからも学ぶ気持ちを持てばいいのだと思えたとき、何かが吹っ切れました。


(あるブログより引用)

あらゆる活動の根拠(土台)は“信仰”

直線的に「信仰―家庭―仕事」と観念的な優先順位をつけるのではなく、「家庭も仕事も社会活動も信仰とともにあり、信仰を土台として、信仰に根ざして営まれている」というあり方に私は親しみを覚えます。家庭も仕事も人間関係も社会的な奉仕も、信仰とは別のことがらではなく一元化されたもの、一体のものだと理解しています。どんな時にも「信仰」を土台にして考え、判断し、選択し、行動する。それが「人生の優先順位」ではないでしょうか。

信仰って?(2)

2014-12-04 09:30:06 | 日記(~2023年)
私達、結婚してから贅沢はしていないつもりでした。

新婚旅行以降、宿泊する旅行やテーマパークは1度も行かず、
服や日用品も本当に必要最小限しか買っていません。

車も売りました。

携帯は未だガラケーで、夫婦で5,000円前後

夏はエアコンを使わず電気代節約

冬は水道代・ガス代を節約するためにお風呂は2日に1回
お風呂に入らない日はホットタオルで身体を拭いています。
風呂の水位は低くし、夫婦で入り嵩をあげ、なるべく浴槽のお湯を使い、シャワーの時間を減らす
夫婦ともに髪はシャンプーのみ(リンス代やリンスのすすぎにかかるお金を節約できる)

ありがたいことにエアコンやリンスを使わなくても大丈夫なんです。

自分の思いを通せない生活の中で唯一の楽しみが月2回ほどの外食とお酒でした。


「私に任せなさい!」と言われ、筋腫が治り子供を授けてもらえるならと、祈願・祈祷をしていただき、私達は質素な生活をし、貯金を崩してお供えしてきました。
その人を疑う・逆らうという事は許されない状況でした。
結局、手術を2回受けなければならず、不妊治療にお金を使い果たし、子供も授からなかった。

私達のことをよく知っているはずなのに、お供えの金額を一言もなく減額するのは神さまに対して図々しいとのこと

「親しき仲にも礼儀あり」を考えると、確かに図々しかったかなと思いますが、私達の10倍近くの年収で生活されているその人には、どんなに説明しても私達の生活なんて分からないのだろうな~と思った。

信仰って?(1)

2014-12-03 09:06:13 | 日記(~2023年)
不景気が続いていますが、主人のお給料で生活費はなんとか賄えます。

しかし、毎月信仰にかかる数万円分が赤字で、景気が良くなるまで我慢しようと、これまで貯金を崩しながらなんとかお供えをさせていただきましたが、不妊治療で貯金を使い果たしてしまい、先月からお供えする金額を減らしました。

金額を減らしたことに申し訳ない気持ちがありましたが、今までかなり無理をしていました。
月数万では済まない時もありました。
一言もなく神さまに対するお供えの金額を下げたことに、信仰を導く人にチクっと苦言を呈されました。

これまで何度も、不妊治療で貯金を使い果たした事や会社の苦しい状況も相談し、いつも「気持ちが大事よ」と言っている人だったので、家計が苦しいことは分かってくれるだろうと思っていたのですが…

言わなくても分かってくれると思うのではなく、やはりここは礼儀として一言あったほうが良かったですね…
確かに、お下がりはいつも通り頂いていたので、図々しかったなと反省


大文字山・大台ケ原・生駒山へ

2014-12-02 09:51:16 | 日記(~2023年)
11月は自然の中で過ごす時間がたくさんとれました

 16日…京都の大文字山
 23日…奈良の大台ケ原で星空ウォッチ
 24日…奈良の生駒山


先日、野外でのお湯の沸かし方を教えてもらい、道具を揃え張り切って山に持って行きましたが、大文字山では火気厳禁とのこと…
カップヌードルを食べる予定でしたので、おにぎりは少な目に用意
昼ごはんとしては全然足りませんでしたが、お腹が空いているのも忘れるくらい楽しかったです。


(大文字山からみた京都市内)

下山した後は、主人が京都に行ったら一度は見てみたいといっていた南禅寺の疎水に行きました。
赤煉瓦のアーチを思わせる水道橋の上に疎水が流れています。



こんなすごいものを明治時代に作ったなんて信じられません。


23日は新月に近かったので、天気が良ければ天の川が見れるかもしれないと思い、夕方から車を走らせ奈良の大台ケ原に行きました。
標高が高かったのでかなり期待していたのですが、薄雲がかかり満点の星空ではなく少々がっかり…

駐車場でお湯を沸かし、カップヌードルを頂きながら星空を1時間ほどみていました。
主人は初めて野外でお湯を沸かす経験をし、案外簡単にできたので楽しみが一つ増えた感じ


帰宅は深夜0時を過ぎましたが、翌日(厳密にはその日)にハイキングに行こう!ということになりました。
家から交通の便がよい生駒山に行くことに…
紅葉が始まっていて、緑・黄色・赤と素敵なグラデーションに色づいていました。



ここでも、火気厳禁となっていてお湯を沸かすのを断念
魔法瓶に熱湯を入れていましたので、そのお湯でカップ麺を食べることにしました
お湯は少し冷めてぬるくなってしまっていましたが、十分美味しく食べれる熱さでした。


11月も自然を楽しむことができ幸せです

不便が楽しい!?

2014-12-01 09:40:41 | 日記(~2023年)
昨日の休日の午前はとても天気が良く、家に居るのが勿体ないということでドライブに出掛けることにしました

国道176号を大阪から兵庫県の柏原まで進むことに…
往路途中、私が運転することになりました
随分MT車に慣れたとはいえ、知らない道を走るのは緊張しますし、坂道も多い

平地の運転は身体が覚えましたが、坂道発進はまだ頭で考えながらしている状態

何回かエンストしながらも無事に約100㎞走行できました。
(後ろの車の人驚かせてごめんなさい)


車はMT車で、パワーウインド、カーナビはありません
もちろんオーディオもありません。
ラジオはありますが、AMしか入りません

かなりアナログの車ですが、不便が楽しいです。

助手席に座ると地図を確認し運転手を補佐

ラジオからは1970年代から1990年代の歌が数時間かかり、二人で歌いながらドライブ
歌の思い出や、その時の年代や状況を思い出し、話が弾みます

私にはとても幸せな時間でした

主人はどうだったのだろう??
私の運転でかなり緊張していたみたいでしたが…