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2014年12月読書(2)

2014-12-09 09:45:38 | 感想
②「それでも僕は夢を見る」水野 敬也(著) 鉄拳(画)

ほとんどが漫画で5分ほどで読めてしまいました。

主人公は、夢を持つがゆえ、その夢がなかなか叶わないがゆえに苦しみ悩みます。
それでも前向きにその夢を追いかけるものの、いつしかその夢が自分自身を追い詰めていく。
耐えられなくなり、ある日、その夢を捨てて生きることを選び、結婚もせずつまらない人生を生きる。
そして、死ぬ時になって、気づくのです。

(引用開始)

「私は、これまでずっと
 夢をかなえることができたら
 自分の人生が輝くと思っていました。

 そして、夢をかなえていない
 私の人生は、何の輝きもない
 つまらない人生だと思っていました。

(中略)

 そのつまらない人生に最後の最後まで
 しがみつきたくなるくらい
 生きることは素晴らしかった。」

(引用終了)


この本を読んで尊厳死を宣言したアメリカ人女性のことを思い出します。

悪性の脳腫瘍で余命6ヶ月と診断された20代のアメリカ人女性が尊厳死を望み、近親者に見守られながら医師から処方された薬を服用して亡くなりました。

当人にしか分からない気持ちやその耐えがたい辛さを考えると、私ごときがとやかく言うべきではないことは重々承知しています。
しかし、どうしてもこれが尊厳死とは思えないのです。

医師から余命半年と宣告されたとしても、それはあくまでデータ上(経験上)からの診断であり、同じように宣告されてもそれ以上生きておられる人もいますし、逆の場合もあります。

人が持っている生命力は各々違いますし、時としてすごい生命力を発揮することもあります。
その可能性を否定して死を選ぶことは生命を尊重することになるのでしょうか?

まだ生命力があるのにそれを縮めたり、逆に生命力が尽きようとしているのに無理に延命したりすることは、生命を尊重することにはならないと思う。


今の私にはこの世に未練を残すほどのものはない。
大切な人達には、なんだかまたいつか会えそうな気がする。

だから私は無理な延命は望まない。
だけど自分の命を大切に生ききりたい。

保険証の裏には臓器提供の有無の記載欄があります。これはすでに記入済み
この度「延命治療は望みません。しかし、痛みは取ってください」と追記しました。