地球散歩♪

いもとなおこのBLOG

モザンビークの楽園編。

ぶっつけ本番

2020年05月02日 | greece

立ち上がって、いよいよ競技場に足を踏み入れる。

前を歩いてくださる組織委員会の方が手前で立ち止まったけれど、

えっと私は・・・

「ここで良いですかね」とオドオドしながら聞いてみる。

しかしその後の動きがまったくわからない。

「えっと… あの辺に歩いていけばいいんですかね」

ここのところのリハーサルはやっていなかったのだ。

さすがギリシャ…!

感心している場合ではない。

カプラロス会長はスタスタと聖火ランナーの方へ歩いていき、

トーチを受け取って、戻ってきた。

今か?行っちゃう?

会長の方へ歩いていき、前に行くと、会長は英語で話し始めた。

「この聖火を日本の皆さんが希望を乗せて東京まで届けることを祈っています」

みたいなことを言っていたと思うけれど、はっきり覚えていない。

私の方は、会長が持っているトーチにいつ手を添えるべきか否かみたいなことをごちゃごちゃ考えていたのだから。

 ←二十顎同士

会長がトーチを手放す。

私は、ほとんど勘で、トーチを掲げてみる。

そのシミュレーションは頭の中でできていなかったことに気づく。

トーチを下ろして、

次はランタンに火を移すのだ。

でも風が強すぎて全然つかない。

その間、私の髪の毛は強風で一層ぐちゃぐちゃになり、顔面にかかる髪の毛を払うので私は必死。

と同時に、持っているトーチの火が吹き荒れ、技術士の方の背中にかかりそうになる。それはマズ過ぎるだろう!

結構時間がかかって(実はこの時、技術士の方のテクニックでやっと火が移ったことは後で知った)、

ランタンに火が灯って、私はそのランタンを受け取るのだけれど、

その前に私が持っているトーチを誰かに渡さなきゃいけないことはリハーサルでできていた。

でもみんなランタンに火が移すことが多分冷や冷やで、その一大任務が終わり、次のアクションが吹っ飛んでしまっていたと思う。

「すみません、トーチ、トーチ」と私が言って、

技術士の方が気が付いて、トーチを受け取ってくださってから、

私はランタンを受け取った。

ランタンを掲げるところのシミュレーションは前日にバッチリできていました。

しかしその後の動きはまた全然わかっていなくて、

どこかに歩いていくのは知っているけれど、どこに行くんだ?

周りの人の動きに合わせて歩く。

競技場の中心から外までやん!結構長いやん!

と思っていたら、カプラロス会長に、

「この聖火を持っているのは、今世界中で君だけなんだよ」と言われた。

 

そういうことか…。

 

「世界に一つだけの火」なんだ。

 

私は恥ずかしながら、聖火の意味を初めて理解した。

 

↑ ここを歩いている時は、「またなんか協力しよう。ミーティングでもしようね」なんて話をしていました。

 

「終わったーーー」

 

この後、囲み取材。

日本語と英語。

コロナウィルス対策のため、記者さんには2m以上離れてくださいと頼んでおいた。

 

その後組織委員会の方に、「ではここで」と聖火を引き渡し、

彼らは空港へすたこらさっさと向かわれた。

 

私はその後も、個人携帯やLINE経由で日本からの取材を数件こなし、

一旦(スタジアムの隣の)家に帰って、

部屋着に着替えてからフランスの新聞(実はお友達)の取材を電話で受けていたら、

テレ朝の「報道ステーション」の知り合いから連絡があり、

「(50分後の)放送の前にメッセージ欲しいから今イケる?」と言われ、

フランス人の電話は切って、さっきの服にまた着替えて、スタジアムに走って戻ったのでした。

 


あっという間に出番

2020年04月11日 | greece

当日。

深夜過ぎまで仕事をしていたので、あまり寝られなかった。

メールを開くと、

東京の組織委員会の聖火リレー担当の知り合いからメールが来ていて、

「日本のためにお願いします。」

なんて書いてあった。

そんな・・・。

大袈裟すぎない?

事の重大さがイマイチわかっていない私。

でも、オリパラが予定通り開催されるかどうかの議論がされている中、

何よりも、ずっと準備されてきた組織委員会の方々が、

なんとか聖火を日本に持って帰りたい気持ちはひしひしと伝わってきた。

 

実は、引継ぎ式会場のパナシナイコス競技場は、私のアパートの隣なのです。徒歩5分弱くらい。

開始2時間半前の9時に来てください、と言われたものの、

ここはギリシャだから(笑)、少しゆっくりと到着。

在宅勤務になって1週間経過していたから、

昼間に外出するのも久しぶりで、

警察やテレビ局の人たちが固まっていて、少し躊躇する。

この人たち、ウィルス持っていないでしょうね・・・。

 

案の定、到着した後もすぐにリハーサルがあるわけでもなく、のんびりとしているので、

コーヒーを買いに行ったり、

塗る時間がなくて持ってきた赤いマニキュアを、スタジアムの前で立ったまま、塗ったりしていた。

1時間前くらいになってようやくスタジアムに入れて、

なんとなーくリハーサルがあった。

でもそれは、一部だけだったことに、本番になって気づいたのでした。

風がとても強くて、寒かった。

冬物のコートを着ていても寒かった。

私は不思議と緊張していなかった。

だって、何も話さなくてよいし、泳ぐわけでもないし。

ただ歩いて、トーチを受け取って、また歩くだけ。

転ばないように・・・ それだけが頭にあった。

今考えると、もうちょっときちんと考えておけばよかった。

だって、どこをどうやって歩くか、全然頭の中に予行演習がなかったんだから。

でもそんな気持ちを悟ってか、

一緒に歩く組織委員会の方が、

「先に歩きますか、それとも私が先に歩きましょうか」と聞いてきてくださった。

「もうそれは、是非とも先をお願いします。全然わかっていませんから」

 

式が始まった。

聖火が灯ったトーチを持ったランナーが入ってきて、

生まれて初めて聖火を見た。

本来なら、この式に、錚々たるメンバーの方々がいらっしゃっていた筈なのだ。

森会長、野村忠宏さん、吉田沙保里さんのメッセージが流れる。

EXILEのHIROさんがプロデュースして、140人もの子どもたちがパフォーマンスをするために、ずっと練習を積んでいたことも聞いていた。

そんな子どもたちの気持ちをを思うと、胸が痛んだ。

組織委員会の聖火リレー担当の方も知り合いで、

ずっとされてきた準備の努力を思った。

そんなことがコロナウィルスで1週間くらいで全部吹っ飛んで、

私がここに座っている。

こんな、たまたまここに居た私が・・・。

と思っていたら、聖火台に聖火が灯されて、いよいよ私の出番らしい。

合図されて、私は立ち上がった。


世紀の引継式前夜

2020年03月30日 | greece
16時にヒルトン・ホテルに来てくださいと言われ
支度をして恐る恐る家を出た

本当はタクシーに乗るのが怖いから
歩いて行きたかったけれど
(家から15分くらい)
直前まで仕事をしていて支度が遅くなったから
タクシーでホテルへ
だって相手は日本人だもの笑
遅れちゃまずい

ヒルトン・ホテルはガランと静まりかえっていて誰もいなかった
ゲストですかと聞かれて
いいえ 日本のオリンピック組織委員会の…と説明していたら
旧知の大使館の方が迎えに来てくださった

組織委の方々が篭っている部屋に案内された
屋内で人に会うのは一週間ぶりだから
ちょっとびっくりした
こんな密室で…
ウィルスはいないのだろうか

皆さん連日の変更で
お疲れの様子だった
多分一週間前の採火式から
ほとんど寝ていなかったと思う
そんな中私もどんなテンションで居たら良いのかわからなくなった

大抜擢に嬉しいよりも
こんなショボい代役で良いのかしら…
という気まずさが勝っていた

私も一通り説明を聞いたけれど
あんまり頭に入っていなかった
その場でリハーサルみたいなことをしたけれど
トーチからランタンに聖火を移すことくらいしか分からなかった

私はそれまでてっきり走るのかと思っていて
明日は持っている無地のものを…と言われた時
Tシャツのことかと思っていたら
スーツかジャケットですって

私「黒しか持っていないんですが…」
だって国連職員と言えど
フィールド勤務の人道支援家はスーツ着る機会なんてほとんどないのですよ

「黒はNG。白か赤はありますか」と組織委の方

ないよ…
お店も全部閉まっているし…

友達にメールしまくった
みんな持っているジャケットの写真を送ってくれた
やっぱり同業者のみんなも全然ジャケット持っていない笑
一人だけ見つかった
赤が大好きなロシア人!
何とかなりそう…

その後インタビューを受けて
帰宅し
タクシーでロシア人の家に赤ブレザーを借りに行き
色もサイズもピッタリのが見つかった
こんな原色の赤のジャケット
私服で持っているなんて…!
家に帰ってパックしながら仕事をしていたら
深夜を過ぎてしまった

しっかり寝ないと
明日は全世界生放送なのに…(涙)

20時間前

2020年03月29日 | greece

「聖火を引き継いでいただけませんか」

 
日本大使館の方にそう告げられ、私の頭は一瞬フリーズしてしまった。
 
「え?」
 
つまり、来られなくなってしまった吉田沙保里さん、野村忠宏さん、森会長の代わりにってこと…
 
「ええええええ?ほんとうですか?」
 
「ええ、明日の11時半からなんですが…」
 
とりあえず一回、上司に確認することにして電話を切った。
 
心臓がバクバクしてる。
 
緊張するとあまり良いことがないので、一旦落ち着こう。
 
「大抜擢」だけれど、たまたまそこに居た私になっただけで、代役だし、私に何か求められているわけではないのだ。
そして、聖火を受け取るだけ。
簡単なこと。の筈。
 
泳いだり、喋ったりしなきゃいけないわけではないのだ。
 
落ち着いてから、許可を得るために上司に電話した。
正直、「外に出るな!」と毎日口酸っぱく言う上司だから、ダメ出しされるかとヒヤヒヤしていた。
喜んでOKしてくれたから、ホッと一安心。
 
アテネにいる組織委員会の方から電話が来て、OKの旨告げ、記者発表用のプロフィールを日本語と英語で送る。
 
それから日本にいる家族に電話した。
やんややんやの大騒ぎ。
 
それからは仕事をしようにも、あまり手につかない。
気になるのは、ヘアサロンがどこも閉まっていることだ。
ボサボサの髪の毛で出ていなかざるを得ない。。。むぅぅぅ。
 
2時間もしないうちに日本からガンガンLINEに連絡が来始める。
記者会見があったみたい。
写真入りのネットニュースまで出始める。
「井本直歩子さん、日本代表として聖火引継式に」
最初見たネット記事が高3の写真付きで吹き出した。
 
「井本さんが居てくれてよかった!」
「適任!」
「適材適所!」
 
「ありがとう!」
「日本のためによろしく!」
 
えっ、そんな大事(オオゴト)なの??
 
私、すっぴん、ほぼパジャマみたいな格好で家でテレワークしてるだけなんですが…。
 
(続く)

22時間前

2020年03月21日 | greece
テレワーキングを開始して一週間が経つのに、
連日電話とビデオ会議ばかりで仕事が捗る気がせず、
ただでさえ過酷な生活環境を強いられている、エーゲ海の島にいる難民たちに、
ひたひたとコロナウィルスが迫ってきている気がして、イライラが募る。

そんな中、午後一時に、大使館の方から電話がかかってきた。

「こんにちは。この度は館員の◯◯の猫を預かって頂いて、本当にありがとうございます」と優しい挨拶。

そして彼は優しい口調のまま聞いてきた。
「明日って空いてますか」

「明日は普通に仕事していますけど、なにかありましたか」と私。

明日は聖火の引継式だ、とすぐに思い出した。

新型コロナウィルスの影響で、パフォーマンスする筈だった140人の子どもたちが来れなくなったとか、来るはずだった知り合いとか、キャンセルが相次いでいた。
ちょうど昨日も、鈴木大地スポーツ庁長官から、来られないことになったと連絡があったから、さぞ小規模でやるのだろうとは思っていた。

引継式は最小限でやるから入れないけれど、一度は中止になった大使主催のパーティでもやることになったのかな?

するとおっとりした声の主は、相変わらずのソフトなトーンでこう言った。

「明日の引継式で、聖火を引き継いでもらえませんか」

「え?」
私は絶句して、頭が真っ白になった。

(続く)

呼吸とココロの回復

2020年02月16日 | greece
息を堪えて
怒りも一緒に閉じ込めて
我慢していた
4ヶ月半

長かった…

今、普通に息を吸えるようになった気分です

新居にインターネットが開通しました

もちろん 全くインターネットが繋がらなかったわけではありません
たまーに携帯の4Gは繋がったし(電波が悪いだけ)
隣の友人のWi-Fiパスワード拝借してたまに繋がったし
一歩外に出ると4Gはちゃんと繋がるし
もちろん職場ではWi-Fi繋がります

でも
自宅というホームグラウンドで
ネットが繋がらないというのは
生活機能障害以上に
精神的苦痛が酷く

それがなくなった今
やっと家を家と呼べる気分

Wi-Fi繋がってからやったこと↓

Spotifyを携帯からスピーカーに繋げて好きな音楽を聴いて
週末に仕事 ←これがストレス発散!だって全然できなかったんだもの…
それが良いか悪いかなんて
自分が決めること
私の場合はできないことがストレスで堪らなかったのです

そしてNetflixをスマートtvに繋げて
ソファに寝っ転がって
映画を観ました

実に人生で初めて
スマートtvのある家に住み
ホームシアターさながら
Netflixをソファで観るの
ずっと憧れていたのです
今までNetflixとTVは繋げていなくて
PCや携帯から観ていたから…

あとはギリシャ語の勉強
バリバリ開始です
グーグル翻訳できないと
単語わからず全く捗らなかったのです

ぷはーーーーーっ!
心の錘が
ごっそり取り除かれました

あ、これからはブログも更新しますよ(笑)

家はオフライン

2020年01月10日 | greece
新しい家のインターネットが
入居してもう3.5ヶ月経つのに
まだ開通しとりません
その間工事の人が来るアポは3回
来たのは0

おまけに今のアパートは携帯電話のデータ通信の受信も悪いのです

怒りでワナワナ震える日もあれば
インターネットのない生活に慣れてきた自分も居ます

さらに テレビもまだ繋がっていないのです

家では暇になるとギリシャ語を勉強したり
読書したり
まあこれも悪くない…

なんで3回のアポに来てくれなかったかというと
2回は
言われた日に待っていたのだけど
電話を取れず
非通知着信のため
かけ直す番号がないのです
で、オフィスに電話しても
オペレーターたちが工事の担当者にコンタクトする手段はないとのこと

そんなバカな…

これを書いている今はだいぶ落ち着いているけれど
怒りで自分がどうにかなってしまいそうな気分になります

3回目は
待てど暮らせど電話来ない
どうしたのかなと思っていたら

1ヵ月のストライキだってさ…

もう永久にネットは通じないかも知れません

他の会社もそれほどサービスも電波も良い訳ではないのですが
そっちに行くしかない

ギリシャがギリシャたる所以です

夏をあきらめて '19

2019年10月28日 | greece
今日はギリシャ人がこよなく愛する「オヒ・デー」(Όχι は英語でいうNoの 意味) の祭日

第二次世界大戦中にギリシャ軍がイタリアのファシズムに対してNo! と言って対抗して勝った戦の記念日

こういう過去の栄光への愛国心強い人たち

私は三連休に今年最後のビーチへ!
夏を名残り惜しんで
10月終わりにまだ泳いでる人いっぱいいる
そんな国です
夏が終わると冬眠みたいに元気がなくなるこの国の人たち

海に来てもまったく冷たい水に入る気はサラサラない私は
ビーチでビール飲みながら
せっせとギリシャ語の勉強
それが私の最高のリラックス方法っていう
不思議ちゃんな私にカンパーイ笑

ミロス島

2019年10月20日 | greece
まただいぶ時間が経ってしまったのだけれど
(しかも当ブログは大体この書き出しから始まる)
サントリー二島の後に行った大好きな島のことだけは書いておきたい

大体日本人の観光客は
サントリー二島とミコノス島ばかり行くのだ
その二島はベタベタの観光地で
せめて二つ行かずに一つだけにしてもらって
あと一島くらいは
もうちょっと違う、観光客が比較的少ない静かな島をオススメします

今回は子どもたちが泳げる綺麗な島を、と
隣のミロス島をチョイス
ミロのヴィーナス像が発見された島らしいのですが、
だから?感はあります…

ミロスは小さな島で
レンタカーで15-20分くらいで色んな町やビーチに行けるし
なんといってもオススメは
サラキニコ・ビーチ!

こんな感じでどこかの惑星みたいな地形




行った日は波もなく
泳ぎやすくて
みんなノリノリでした

あともう一つ
フィロポタモスという小さなビーチにも行ったけれど
ここも湾になっていて全然波がないので
子どもたちには泳ぎやすかった


泊まるのは島都のアダマス、ポロニアあたりが、色々とお店もあるし、オススメです

ご飯は港の真ん前の魚介料理のここが美味しかったー
カラマリも魚介のパスタも最高でした

お時間がある方は
島の周りのクルージングが超オススメみたい
本当に綺麗だと友達が言ってました

ミロス島、有名てはないけれど、超オススメです!

サントリー二珍道中

2019年09月15日 | greece
夏が終わっちゃう前に
楽しかった家族旅行の珍道中について書こう

半年前くらいからしっかり計画していた大家族ギリシャ旅行だったが
まさかのまさかの展開が満載な
今となっては笑えるけれど
未だに思い出すと震えが来るような
冷や汗が出るような
違った意味で一生忘れない旅行となったのだった

旅の始まりは
弟がパスポートの有効期限が足りなくて渡航できないこと発覚
から始まる
涙を流したのは姪っ子たちだけではなく
私を含め大人も泣いた

同時に国際免許を取った唯一のドライバーを失った私
つまり、8人でドライバー私一人
そしてレンタカーをバンに変更できない

チーン。。

さらに、あてにしていた携帯のデータプランが日本の携帯ではロックされていて使えず
唯一使えた義妹のもなぜか4Gが使えず
ポケットWi-Fi も使えず
日本から「イモトのWi-Fi」を借りてきてもらわなかったことを散々後悔した

そして
やっと何とかSIM入れて使えるようにした携帯を
サントリー二に行く朝
充電したまま忘れた…

もう神様が私に試練を与えようとしているとしか思えない

一人除いて英語話さない人ばかりだし
子ども3人いるし
バラバラに行動しにくい…

チーン。。

サントリー二に着いてからも
私は走り回った
泳ぎたい家族だからプール付きのホテルにしたのに
子どもたちがうるさいと追い出された
仕方なく綺麗な景色を後にして
義妹と一緒に子どもたちを決して綺麗ではないビーチに連れていった
(幸いにも波があったから子どもたちは存分に楽しんだみたい)

さらに一台の車で2グループをピストンした
泊まっていたイアからフィラまで30分
携帯にデータプランないグループと何とかWi-Fi が使えるマクドナルドで待ち合わせた
さすが世界のマクドナルド、だけれど
サントリー二でマックで待ち合わせとは。。

3回目のサントリー二だったけれど
初めて行った時のような感動はなかった
心に余裕がなかったのかも知れない
サントリー二は何度行っても感動するというものではないというのが私の結論

そして
子どもは楽しめるところが殆どない
行くならやはり恋人と行くのが一番なのだ