地球散歩♪

いもとなおこのBLOG

モザンビークの楽園編。

辛くて辛い出張

2009年11月27日 | sri lanka
同僚は6時半モーニングティーどころか、
5時半に起きていた。
強行日程ゆえに、私も大抵の朝は5時台起床で移動、また移動。。。

さらに。
お恥ずかしい話ですが。
出張中、移動中はトイレに行かなくても良いようにいつも水分摂取を極力やめる。
そのせいでまた膀胱炎になりまして。
またかって感じですが。
膀胱炎かかったことがある人にしかわからないのですが、
これが辛い。
もー、最悪。

それをこらえて一生懸命仕事して、
また移動して、
一日10時間くらい車の中に居て、
早朝起床して、、、
本当に憂鬱で。。。

おまけに行く先々の学校で甘いミルクティーの応酬で、
お菓子やランチがいっぱい出てきて、
カレーは凄く辛かった。
せっかく歓迎して出してくれたので、一生懸命食べた。

何だか精神浄化するつもりが、
体内に毒素が一気に溜まっている感じ。

あああ。

でも活動は収穫大でした。
今回は、がんばったわ、私。

精神浄化作用

2009年11月24日 | sri lanka
わーい フィールドだ。

前の出張から1ヶ月も経っていないのに、何だか体内の血流が悪いというか、デスクワークでそれはそれはうっぷん溜まっていたから、喜び勇んでコロンボを出てきた。

デスクワークは、まったく信じられないほどに、時間がかかる。
書類がぐるんぐるん回って、なぜかまた戻って来て、それを数回繰り返して、ようやく代表のサインがもらえた書類にどれだけ手垢がついているか。どれだけの人が、一語一句、数字ひとつひとつ、チェックしているか。
自信のあるオピニオンを持っているのに、自分に決定権がないのが歯がゆい。
挙げ句の果てにその作業が最終的に必要なくなったりもするのだから、国連は恐ろしいところだ。wasteが非常に多い気がする。何とかならぬものか。

今回の出張、同僚と一緒だけれど、ルームシェアしようと言われ、断るに断れず「いいよ~」とOKしたけれど、、、

彼女が「ベッドティー(朝起き抜けに運ばれてくる紅茶)を6時半にお願い」とホテルの人に指示していたときには後悔した。

「私は朝方なの」と言って早々9時に就寝していた。

まあいっか。
私もパソコン閉じて、ゆっくり休んで、五感で仕事しよう。

茶畑が美しい。
コロンボで普段食べないカレーも、何だか無性に食べたくなるのだ。
明日の朝はウェスタンを拒否し、ストリングホッパーをチョイス。
何だか生き返る気分!

キャンプ卒業

2009年11月23日 | sri lanka
金曜日の夜に舞い込んで来た、キャンプに残る国内避難民13万人の帰還許可のニュース
12月1日から移動規制も解除され、自由にキャンプの外に出られるらしい。

率直に、嬉しい。。。
この間キャンプに行ったときも、もう立ち直れないくらい精神状態がギリギリになっている人もいっぱい居た。
何の罪もなく、家を追われ、逃げ続け、生と死を彷徨い、やっと逃げられたと思ったら半年間もキャンプに入れられ、親戚にも会えず、家族も離ればなれ、外にも出られず、着る服もなく、水を得るのに長蛇の列・・・
そんな人生を強いられた人々がやっと自由になれる。

地雷は、とても心配だけれど、でもどんどん人々がキャンプから解放され、沢山のバッグの上に座って嬉々としてバスを待つ人々を見るのは清々しかった。
4月からキャンプでの緊急支援を、葛藤しながらも、一から作り上げて、ようやく30万人が外に出る。
私たち国連も「キャンプ卒業」。

帰る先には家がないかも知れないし、仕事はおそらくない。
先行きは、現代の就職活動中の日本人学生同様、不安だけれど、いや仕事が得られる確率は日本の何百倍も確率は低いけれど、ひとまず、大事な一歩。

明日から東に出張行ってきます!
少し殻を破れそうな仕事・・・
前進あるのみだ。



やさしさに触れる旅

2009年11月19日 | sri lanka
台風一過。
女子大生たちが慌ただしく帰っていった。
10日間ほどで、コロンボ→ワドゥワ→ベントタ→ヒッカドゥワ→コロンボ→キャンディ→ヌワラエリヤ→ダンブッラ→シギリヤ→コロンボの怒濤の日程。
その中で世界遺産4カ所、初サリー、ウォータースキー、ジェットスキー、サーフィン、アーユルヴェーダ、象さんにも乗り、何人かのスリランカ男性を虜にし、嵐のように過ぎ去った。帰ってからも私の携帯に二人が道中で出会った男から電話攻撃という始末。さすが私の後輩である。

学生の間の旅だから、私の送る便利で生温い外国人生活ではなく、足で歩いて、普通の交通機関を使って、英語とジェスチャーを駆使して、スリランカ人の変な訛りの英語をがんばって聞き取りながら、カレーをふぅふぅ言って手で食べて、スリランカ人と同じ目線で、その温かさに触れて欲しかった。だから最初はちょっと一緒に行動し、そのあとは放り出した。

今の私は車でしか移動しないし、金にモノを言わせて、先進国並みの便利を追求する生活。でも外国の本当の魅力は、バックパッカーの貧乏旅行でしかわからないと今でも自負している。不便をこらえて、節約してナンボ。ハプニングがあって初めて、本当の彼らが見える。

イギリス留学時代のイタリア貧乏旅行では、ヴェネツィアのユースホテルに泊まったが、クリミア戦争の病棟のようなところで沢山の若い旅行者と一緒に寝た。夜着いて、どこも店が閉まっていたけれど、やっと辿り着いたバーで世界一美味しい(とその時思った)ピザを食べた。ワインを飲みたいと言ったら、ペットボトルに注いでくれた。帰ってきたら、ホステルの管理者であるシスターに門限破ったと閉め出され、さらに「酔っぱらっている」と説教された。

アフリカのマリ旅行では、ブルキナファソから北上してマリに入ろうとしたら、散々バスの行き先を確認したにもかかわらず、気がついたらブルキナの西部のボボデュラッソ(日本人渡航禁止地域)に居た。そこから何十時間もかけて目的地に移動した。途中で食べた屋台のフランスパンとヤギ肉の煮込みシチューがとても美味しかった。ふと見上げると、夜空に数えきれない満開の星があった。

マリのモプティで一番安い宿に泊まったら、実はそこは売春宿だった。トイレが異様に臭かった。

マリ南部のドゴン・カントリーは、今まで訪れた中で一番感動した場所の一つ。異文化から自分たちを隔離し、神話を信じて生きる人たち。子どもたちと一緒に伝統の踊りを踊った。その帰り、なぜかトラックの荷台に馬と一緒に何時間も揺られて帰った。

そんないくつかの旅の中で触れた、人々の優しさと温もり。金にモノを言わせては絶対に触れることができないのである。

後輩の彼女たちも、スリランカ人の優しさにうんと触れたらしい。道が全然わからなくても、いつも3分もしないうちに誰かしらが助けてくれたらしい。

たまにうざったかったり、金目当てだったりするので、私はもう自分で「プチ・セレブ」になりきり、道行く人の問いかけに純粋に応えることがなくなってしまったけれど、「不信感」のフィルターなく、沢山の発見をする彼女たちに大切なことを思い出させてもらったし、スリランカ人はやっぱりすごく、すごく優しいと実感した。

スリランカに来てくれてありがとう。
また遊びにおいで。
イケメンたちがみんな待っているよ。