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ビデオテープ、捨てようと手に取って、ふと見たら¥ 14,900だって。高っ!
・大学生という時間を有効に使い、色々なことにアンテナを張ること、行動することの大切さに気づくことができた
・自分の好きなこと、やりたいことを仕事にして日々活動できること、人生一度きりを自分のために存分に使うことがとてもかっこいいと思った
・オリンピックや途上国、それぞれの経験と実状を知ることができてとてもよかった
・色々な国へ行き、言葉も習い、自分の本当にやりたいことを探すために色々挑戦したい(まだ目標がない)。大学での勉強は国際的視野や分野を持つことが大事だと思った。
・国連に入るために語学力だけではなく、専門分野も作る必要があることを知った
・「自分にしか分からない、アドレナリンが出るところ=本当に楽しいと思えること」をどうやって自分の一生のことにしていくのか、について考える過程で、自分の大切にしていることに気づいた
・日常生活の中で開発課題が発現することは重要だ。海外のインターンや実習への参加が有用だ。
・自分の目標が何か、というのはアンテナを張ってこそ見つけられるものだ、と感じだ
・全学生に聴講してもらいたいと思う内容だった
終始気が張りまくっていたセレモニーから一夜明けて、
一気に興奮が冷め、
我に返っている私。
昨夜の話をしながら、家族と鍋をつついている。
一体昨夜は何だったんだ?!
私は一介の人道支援家で、一介の国連職員に足らないのは変わりないのです。
その観点では、特に表彰されるべき実績はありません。
しかも人道支援の世界とは裏腹に、一張羅のドレスを着て着飾って、煌びやかな場に立って。
矛盾しまくりやんか・・・。
でも元オリンピアンにしては珍しい活動を選んだし、
志した動機もちょっとユニーク。
ただそれだけのこと。
そしてまた、美味しいものをたらふく食べて、
旧交を温めて、
二週間で現場に戻っていく。
でも今回、評価して頂いただけでなく、
私の活動を知っていただいたことがとても嬉しいし、
私や他の受賞者の方の活動にインスパイアされた人がいるかも知れない。
これをきっかけに、海外の紛争や貧困や災害や気候変動について、
より多くの人に知ってもらえるきっかけが生まれるかも知れない。
他人のために何かやりたいと思う人が増えるかも知れない。
そういう人がいたら、もし私に何か提案できることがあれば、出していきたい。
そのための土台とネットワークを作っていただいた貴重な賞、機会でありました。
地球課題に対して、もっと多くの日本人に目を向けてもらうために、
もっともっと発信していかなければならないと思ったし、
日本でもこういった、開発課題を世に広めたり、アスリートの社会貢献活動のお手伝いをしたりする活動を何か始めるべきかなと思いました。
といっても自分ではあまりできないので、
これから今回出会った方々や周りと相談しながらできれば。
そんな気持ちにさせて頂いた、本当に本当にワンダフルに楽しいアワードでした。
日本財団の皆様、審査員の皆様、一緒に来てくれた家族と友人、ご祝福頂いた方、本当にありがとうございました!
やばいやばいやばい。
開始前に色んな人と喋ったり写真を撮ったりして気を紛らわせる。
そうこうしているうちに、宴はスタート。
すぐ私の番だよ・・・。テンポ速っ。
みんなジャガイモ、ジャガイモ、ジャガイモ、誰も私のことなんて気にしていない・・・。
と思いながら、自分の映像が流れ、名前を呼ばれて席を立ち、壇上に上がっている時のこと。
ひ、ヒール片っぽ脱げたよ・・・。
脱げると思ってたんですよ。
膝下ストッキング履いていたから。ちょっと滑るから。
一瞬頭が真っ白になるも、
すぐに前に立っていたお姉さんが手を貸してくださったのでつかまって、
履きなおし、
壇上に上がったものの、
恥ずかしさのあまり、自分で爆笑が止まらない・・・
しかしこれで、緊張が一気に解けました。
もう開き直るしかない。
アワードを授与され、
そのままスピーチへ。
本当はインスピレーショナルなことを言おうかどうかちょっと迷いました。
でも「社会貢献活動」を16年間仕事にしている、言わば周りの比べてプロの私が、
あまりアツいことを言っても、
あまり「世界的な」ことを言っても、
余計に溝ができてしまうような気がしたし、
上から目線になってしまっても嫌だし。
だから今回は、私がよく感じている、「アスリートと開発課題の接点」をお伝えしたかった。
それは私にとって、
「スポーツに恩返し」とか「スポーツを通じて」ではないのです。
それは私がやってきていることとは違う。
私のメッセージは、アスリートの凄さは、困難な開発課題への挑戦に、極めて必要なものだ、ということ。
本当はもうちょっとうまく言えれば良かったと思うのですが、
あとで「スピーチ良かった」って沢山の方に言って頂けたので、及第点。
次回もっとがんばろう。
その後は、もうリラックス~。
あと一回壇上に上がるみたいなので、
膝下ストッキングをテーブルの下でこっそり脱いだ。
だから次は万全ですんなり上がれましたー。
4組の中から1組だけ選ばれる「オブ・ザ・イヤー」は、
絶対に自分はないと思っていたので、
とても気楽でした。
心の中で「多分あの方・・・」なんて想像してた。
呼ばれたのは、北澤さんが会長を務める「障がい者サッカー連盟」で、物凄く驚いた顔をしていらっしゃいました。
壇を下りて、セレモニーは終わり、ドンペリで乾杯し、あとは楽しい宴!
沢山の方に話しかけて頂き、
おめでとう、感動した、と言って頂き、
終始フワフワでした。
母の席に言ったら、案の定ゴクゴク飲んで食べて、ほろ酔いになってる。
宴は遅くまで続きました。
続きはまた。
日本財団HEROsアワード。
アスリートによる社会貢献活動を推進するためのアワード。
スポーツの価値・・・。
最初にこのアワードにご推薦頂いたとのお話を聞いた時、正直言うとピンと来ませんでした。
自分はスポーツ界、それも日本の、とは無縁の世界にいると思っていたから。
この人道支援の世界でキャリアを踏み出してから、16年。
その間、元アスリート、元オリンピアンであることを使ったことは一度もありませんでした。
そして私は、評価があいまいで、評価=次のポスト獲得、それも必ずしも能力ありきとは限らない、という今の環境において、幸か不幸か、他人の評価をあまり気にしないようになってしまいました。
自分の価値観で、何が良くて、何が凄いのかを判断する。
そう考えたら、今の私なんてまだ全然、評価されるほどの実績を残していない・・・。
それでも今年のファイナリスト4組の中に選ばれ、
日本に帰る航空券は出してもらえるし、
ドレスコードは「ブラック・タイ」、
超有名アスリートにお会いできて、
さらにそんな煌びやかな場に母まで招待!(しかも母までちゃっかりヘアメイクしてもらえるってそんな。)
それだけでも、とホクホクと日本に帰国しました。
多分一年で一番忙しい時期で、同僚たちは「本当に今、帰るの?」と何度も聞いてきました(笑)。
「に、日本でもちゃんと仕事対応するからさ!」と私。
でも蓋を開けてみると・・・
ホテルのボールルームにひしめく、250人強の出席者。
それも、超有名アスリートの皆様方ばかり。
そしてずらりと並んだ報道陣。
ドレスに着替えて、ヘアメイクをしてもらって、待合室に上がって取材を受け、
会の進行の説明を聞いていても、
事の重大さをイマイチ理解していない私は、
説明係の人「ここで檀上に上がっていただきます」
私「えっ、一人で上がるんですか」
私「私、なんか喋るんですか?」
がくがくブルブル・・・。
隣にいらした北澤豪さんに、
「緊張しすぎちゃったことってあります?」と聞いてみた。
「あるよー」と優しい北澤さん。
「テレビで、頭が真っ白で何も言葉が出なくなっちゃって、とりあえずわけもわからず喋った」。
どーしよーどーしよーどーしよー!
(次に続く)
※写真は、甥っ子が撮ってくれた、ヘアメイクの後、会場に乗り込む前の私
一週間の束の間の日本滞在。
目的は友人の結婚式だったのだけれど、
彼女の祝福だけじゃなくてそこで色んな人に再会できるし、と思って。
そしたらおまけで、ラグビーもテレビで熱く観戦できたし、
別件でお祝い事や嬉しい再会もあったし、
姪っ子のダンスの発表会も見れたし、
お腹いっぱいな一週間で、ムフフって写真眺めながら、今ドーハで乗り継ぎ。
でも、時差六時間で一週間滞在は、キツイよ。。。
美容院とフェイシャルとメイクでもごまかせないよ。。。
やっと本調子になったと思ったらもうリターン。
たった一週間だったけれど、何と言っても、日本での人と人との繋がりは、私にとって本当にかけがえのないものだと思い出させられて、とても幸せ。
全然日本にいなくて、全然連絡も取っていなくて、普段は「全然友達いない」「誰も私がどうしてるかなんて知らない」なんて孤独な気分になるのに、
日本の20年来の知人とは、ずっと会っていなくても、会うと絆が薄れていないのが不思議。
今回最高に嬉しかったのは、ある雑誌の取材で、19年くらい前にとってもお世話になっていた、尊敬するライターさんの吉井妙子さんに再会できたばかりでなく、なんとその吉井さんに取材してもらっちゃったこと!
吉井さんと言えば、あらゆるトップアスリートを取材して記事や本を書いていらっしゃる、超大御所ライターさん。
ライターさんなだけでなく、アスリート達が慕って、ありとあらゆる相談もしてくる超人格者。
私はその当時、政治家秘書兼スポーツマネジメントの会社に勤めていて、選手を取材されている吉井さんと会うことが多くなり、さらに駆け出しのスポーツライターとして、吉井さんの文章は私のお手本だった。
そんな巨匠が私なんかを書いてくださるなんて。。。
写真で言ったら、篠山紀信とかに撮ってもらうくらいの衝撃ですよ。
どんなことを聞かれるんだろう?と思ったら、
巨匠は私の人生をすべて調べ上げられていて、
ポイントをついた質問をポンポンしてくる。
普段、取材してくださる記者さんと「感覚が近い」「ポイント付いてくる」と感じることは滅多にないのだけれど、
吉井さんの質問は、マッサージで一番痛いところをほぐしてもらう、そんな感覚だった。
これこれ、この感覚。
自分がスポーツライターとして書いていた時も、
それが自分の武器だと思っていたことを思い出した。
そんなインタビューの感覚が半分で、
それプラス、書く技術が残り半分。もしくはそれ以上。
これに関しては吉井さんは誰よりもストレートな文章を書かれるから、
もうとにかく、記事が出来上がるのが楽しみで仕方ないのです。
掲載になったらまた当ブログでお知らせしますね。
インタビューの後は、共通の知人とともに、薬膳火鍋をつつきました。
18-19年前の懐かしい話に花が咲いて、
あの頃の自分が、こういう人たちに囲まれて、好奇心と向上心に溢れていたことを思い出した。
そんな時代があって、今の自分があります。