当日。
深夜過ぎまで仕事をしていたので、あまり寝られなかった。
メールを開くと、
東京の組織委員会の聖火リレー担当の知り合いからメールが来ていて、
「日本のためにお願いします。」
なんて書いてあった。
そんな・・・。
大袈裟すぎない?
事の重大さがイマイチわかっていない私。
でも、オリパラが予定通り開催されるかどうかの議論がされている中、
何よりも、ずっと準備されてきた組織委員会の方々が、
なんとか聖火を日本に持って帰りたい気持ちはひしひしと伝わってきた。
実は、引継ぎ式会場のパナシナイコス競技場は、私のアパートの隣なのです。徒歩5分弱くらい。
開始2時間半前の9時に来てください、と言われたものの、
ここはギリシャだから(笑)、少しゆっくりと到着。
在宅勤務になって1週間経過していたから、
昼間に外出するのも久しぶりで、
警察やテレビ局の人たちが固まっていて、少し躊躇する。
この人たち、ウィルス持っていないでしょうね・・・。
案の定、到着した後もすぐにリハーサルがあるわけでもなく、のんびりとしているので、
コーヒーを買いに行ったり、
塗る時間がなくて持ってきた赤いマニキュアを、スタジアムの前で立ったまま、塗ったりしていた。
1時間前くらいになってようやくスタジアムに入れて、
なんとなーくリハーサルがあった。
でもそれは、一部だけだったことに、本番になって気づいたのでした。
風がとても強くて、寒かった。
冬物のコートを着ていても寒かった。
私は不思議と緊張していなかった。
だって、何も話さなくてよいし、泳ぐわけでもないし。
ただ歩いて、トーチを受け取って、また歩くだけ。
転ばないように・・・ それだけが頭にあった。
今考えると、もうちょっときちんと考えておけばよかった。
だって、どこをどうやって歩くか、全然頭の中に予行演習がなかったんだから。
でもそんな気持ちを悟ってか、
一緒に歩く組織委員会の方が、
「先に歩きますか、それとも私が先に歩きましょうか」と聞いてきてくださった。
「もうそれは、是非とも先をお願いします。全然わかっていませんから」
式が始まった。
聖火が灯ったトーチを持ったランナーが入ってきて、
生まれて初めて聖火を見た。
本来なら、この式に、錚々たるメンバーの方々がいらっしゃっていた筈なのだ。
森会長、野村忠宏さん、吉田沙保里さんのメッセージが流れる。
EXILEのHIROさんがプロデュースして、140人もの子どもたちがパフォーマンスをするために、ずっと練習を積んでいたことも聞いていた。
そんな子どもたちの気持ちをを思うと、胸が痛んだ。
組織委員会の聖火リレー担当の方も知り合いで、
ずっとされてきた準備の努力を思った。
そんなことがコロナウィルスで1週間くらいで全部吹っ飛んで、
私がここに座っている。
こんな、たまたまここに居た私が・・・。
と思っていたら、聖火台に聖火が灯されて、いよいよ私の出番らしい。
合図されて、私は立ち上がった。