2004年10月の日記
まず、この間の飛行機の話の続き。
ある日、新聞を見ていたら、驚嘆の記事が!
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「立ち往生の乗客200人がガーナ航空事務所を襲う」
ついに犠牲者は立ち上がりました。そりゃそうだ。2週間以上も飛行機が飛ばないのに、宿泊費等のなんの賠償もないどころか、ろくな情報もないのだから…。
でも彼らには悪いけど笑っちゃう!
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「怒った客はガーナ航空の職員を数分間オフィスに軟禁した」だって。
あまりにもオモロイ記事なので、大切にスクラップしておきました。
さて、シエラレオネ。
私は現在、国際協力機構(JICA)で、3ヶ月という短期ですが、シエラレオネの調査・プロジェクト企画・立案といったお仕事をしています。
なぜシエラレオネ?
それは自分でもよくわかりません(笑)
10年間内戦してたから?
大学院で勉強したから?
世界一貧しい国のひとつと言われているから?
とにかくずっとシエラレオネで仕事がしたかった。
直感に従って、ここまで来てしまいました…
首都フリータウンに降り立つと、両手を切り落とされた少年たちが迎えてくれました。
いきなり目の当たりにする、戦争の傷跡。
戦争終結から2年半経った今も、街はぼろぼろ。ガーナが先進国に見えた。
道という道がぼこぼこ。
電気も微々たるものしか通ってなくて、夜はほぼ国全体が自家用発電機(ジェネレーター)かケロシン・ランプで明るさを保っている。
機能している信号は国中にひとつもない。
平均的なシエラレオネ人は、40歳まで生きられない。
100人に28人の赤ちゃんは5歳まで生きられない。
戦時中、RUF(反乱軍)は罪のない住民の四肢を切断するという残虐な手を使いました。
それは人々に恐怖を与えるだけでなく、一度味方に加わった者が再び農業のために戻らないようにとか、選挙をボイコットさせようとか、いろいろな意味があったらしいけど。
フリータウンには Amputee(切断された人)キャンプなんていうのもある!
社会福祉とは言え、そうやってデカデカと看板立てなくてもいいのにね。
少しカルチャーショックだったんですけど、みんな平気で「この子たちはRUF兵士によるレイプ被害者です」とか、「この子は元兵士です」とか、私に紹介してくれるのです。
そのたびに、「シーッ!聞こえるよ!」とあたふたしているのは私だけみたい。
内戦終盤、反乱軍RUFの基盤であったマケニという町で不思議な光景を見た。ぴかぴかのバイク(しかもHONDA)がやたらと多いのだ。こんなに貧しい国に新しいバイクなんて、何故?
聞くと、戦時中、反乱軍に参加すると、バイクが与えられたのだそうだ。
今ではその元兵士たちは、そのバイクを使ってタクシーの運ちゃんとなっている。
元兵士のバイクタクシーなんて、利用できるかしら。背中になんてつかまれるかしら!
そんな私に知り合いが笑った。
「今では元兵士もみんな、普通の若者なんだよ。身内を殺されたって、もう昔のことは忘れて、共存するしかないんだよ」
10代の女の子たちが、両親を殺されて、レイプされて、子どもができても、皆黙々と職業訓練校で識字やお裁縫を習っています。
こういう子たちは、どんな体験をしてきて、今はどんな想いで人生を送っているんだろう。
もうちょっと仲良くなったら、自然に話してくれるかなぁ。
そう思っていたら、ある人が言いました。
「この子たちは、過去を振り返らない。過去がない、未来もない、moment、momentを生きる人たち」
シエラの海は、今までに見たことがないくらい綺麗。
そんな海を見ていると、切なくなる今日この頃です。