地球散歩♪

いもとなおこのBLOG

モザンビークの楽園編。

今日のランチ

2007年02月06日 | sierra leone

何だか慌しくなってきました・・・

これが現実というべきか。

2ヶ月しかありませんから、今まで余裕ぶっこいていた私が悪かったのです。6時とかにさささーっと帰ってましたから。

久々のシエラ復帰で浮かれている場合ではありません!

ということで今日はめずらしく仕事に熱中して、ランチを食いっぱぐれて、というか周りにあまり行くところがないので行くのが面倒臭くなっちゃっただけなのですが、

「お腹すいたー」とぼやいていたら後ろの席の通称シエラちゃんから

「ラーメンあるけど?」って天使の声が。

「食べるー

中国のスーパーマーケットのラーメンをデスクでずるずると食しました

実は私、ラーメンって好きじゃなかったんです。

信じられないって言われること多いけど。

高カロリーだし。

それでなくても先週は毎晩毎晩外食で、新しくレバノン人経営のスーパーで買ったお洒落な体重計が悲鳴を上げているし。

でも仕事中にデスクで食べるラーメンはおいしいなあと感じた今日のランチでした。

汁がPCに跳ねてたけどね

 

今週末には中国人のスーパーでこんなの買ってました↓↓↓

 中国版コアラのマーチ(小熊餅)と出前一丁

コアラのマーチは同僚が「若干中のチョコレートが少なめ」と言っていましたが

ほんとにそうでした


ボクシング・ナイト☆

2007年02月02日 | sierra leone

着々と肌の日焼けを重ねているいもとです

オフが充実していまーす

土曜日にボクシング観戦をしました!

フリータウンで多分2回目くらいとなる“ボクシング・ナイト”

人気のビーチ沿いのレストランAtlanticにリングを設置して

ビュッフェディナー付予約制入場料は33ドルくらい

ここのスタンダードにしては結構高かったから、観客はほとんど外国人ばかりでした

そのお金はプレイヤーたちに支払われていたんだと思うけど・・・ 最後にちょっと怪しい場面もありました

 

私 こう見えても(笑?)格闘技系一切ダメで・・・

テレビも絶対!見れない

だって殴り合い、蹴りあいなんて、野蛮!!!

しかしこの日は「一体どんなものか?」と相変わらずの好奇心で行ってみました

友達には「私、殴り合い嫌いなのよ。血とか出てたら絶対観れない。夜中後ろ向いてるかもね!」なんて言っていたのですが、、、

結局立ち上がって、Go!なんて叫んだりして、かなり楽しんでいたのは自分でも驚きでした~

選手はシエラレオネ国軍の選手たち中心で

主催は国軍を支援していたイギリス軍の有志

面白かったのは前座

国軍の空手チーム

へんな道着みたいなの着て、「押忍!」って叫びながら

およそ空手とは思えないような演技でも会場は沸きました

 

その後10組くらいのボクシングの対戦を夜中まで観戦

まあまあ良い試合もあったり、接近しちゃって抱き合っちゃってばかりのあんまり面白くないのもあり

周りの人たちは「お粗末」って言ってたけれど

アマチュアだから シエラだから仕方ない

私は会場の雰囲気だけでも楽しんじゃって・・・

いつのまにか、殴りあいを平気で見れるようになっていました

もしかして、黒人だから、顔の傷があまりよく見えないから良かったのかも?

みんな弱そうだから大丈夫だったのかも?笑

 

その夜のハイライトは、シエラレオネ・チャンピオン対ギニア・チャンピオンのヘビー級、プロ対決!

わざわざ隣国ギニアからチャンピオン呼んだんですよ。。。

ゼネストで死人も59人出て大変だって時に・・・

二人とも黒光りする筋肉の塊っていう感じの人たちでしたが

第1ラウンドから、ギニア人の方が完全に強かったの

あららら このホームクラウドの中で、シエラ人簡単に負けちゃうよ。。。 って感じだったの

ところが第3ラウンドにシエラ人のストレートがばっちり入り、そのままノックアウト

起き上がれず、シエラ人のKO勝ち

会場は異様な盛り上がりでしたが、私たち含め、半分はシラケムード・・・

八百長じゃねーの?!

こういうことにも私たちの入場料、支払われてるんじゃ・・・???

あとで今夜前座で戦ったボクサーの一人と話したときに、「ぜったい八百長だよねぇ?」と聞いてみたところ

「その可能性はある。」とのことでした

だってギニア人の方が、最初から明らかに強かったもん!

しかしシエラレオネではめずらしいボクシング選手権では、盛り上がりが一番大事ですから、負けて会場全体がしら~~~っとなるよりは良かったのかもね


ある若者との会話

2007年01月27日 | sierra leone

こちらではいつも車移動ですが、外を歩くと必ずたくさんの人に声をかけられます。

「チャイナ!」

「チョンチンチャン」

が一番多い。中国人の方が日本人より身近なことは確か。

「ハロー、ホワイト・レディ」 「名前は?」 「こっちへ来い」

無視するか、微笑むかは、そのときの虫の居所によります。

子どもには大体手を振るけど。だってめちゃくちゃかわいいんだもん、この国の子どもは。

 

今朝は久々に外を歩いていて、シエラレオネ人の若者と会話しながら歩きました。

若者「名前は?」

私「なおこだよ。あなたは?」

若者「モハメドだよ。よろしくね。君は中国人?」

私「ううん、日本人」

若者「ふうん、日本人か。香港から来たのか?」

私「違う。東京」

若者「何の仕事してるの?」

私「日本政府の援助の仕事だよ。あなたは?」

若者「僕はケアテーカー(お手伝い)だよ。耳の・・・」(と耳を指す)

    ・・・ 耳のケアテーカー?!耳かき屋か?!

私「ふ、ふうん・・・」

若者「日本政府はこの国で何をしてくれているの?」

私「フリータウンの電力とかやってるのよ」

若者「そうなのか!シエラレオネのためにやってくれているのか・・・」

私「この国はお金がないからね」

若者「お金ない?そんなことない。ダイヤモンドも金も沢山ある。ぜーんぶ政府が横取りしちゃって、国民に還元しないで自分たちのポケットに入れてしまってるんだ、あいつらは!!!」

私「そうなのかね」

若者「僕は金持ちになったら、あなたに恩返しをしてあげるからね」

私「(耳かき屋で・・・)ありがと」

 

若者の間で、政府への不満は積もっているという話を聞くけど、このことです。

15年前から10年間続いた戦争も、こういうことが原因で起こったのに、政治家や有力者はいっこうに反省していないんだから。

しかしここの人たち、特に失業率80%以上とも言われる若者には、どうしたらお金を稼げるのか、よく考えてもらいたいものだ。

いくらでも需要は転がっているのに。気がつかないのかなぁ。やり方がわからないんだろうなぁ。

常に付加価値、より便利に、を考える日本人には理解しがたいのです。

もしかしたら、耳のケアテーカーで金持ちになる方法を企んでいるのかもしれないけど・・・!

 

注:写真はキャッサバの葉の油炒めとライス。シエラレオネはご飯が主食です。


Blood Diamond

2007年01月25日 | sierra leone

昨日は映画Blood Diamond観てきました 

えー 日本でも公開されていないのにシエラレオネで???

と思うかも知れないですが、フリータウンの高級レストラン『マンバ・ポイント』で毎週火曜日に行われる上映会で、今話題のレオナルド・ディカプリオ主演Blood Diamondが上映されたのです。

さすがに映画の舞台になったのだから、どこからか入手できたのだろう・・・と思いきや、 

しっかり海賊版でした。

どこかの劇場の人影とか映ってましたから。

まーダイヤモンドもバンバン密輸する国ですから。DVDくらいわけないです。

 

さてさて。批評。

         「・・・な~んかね・・・。」

 

まず、ストーリーが面白くない。ハリウッドっぽくて。

アクション?恋愛?イマイチ焦点定まってへんちゃう?

あとディカプリオはアカデミー賞主演男優賞にノミネートされていますが、たぶん受賞はできないと思います!

でもね、やっぱり嬉しいですよね。こうやって、この映画がきっかけとなって、世の中の人が、100%事実とは言えないまでも、こういうようなことがたった5年前までこの小さなシエラレオネという西アフリカの国で行われていたという事実を知ってくれることが。

特に少年兵のこと、ダイヤモンドのことは、今まで言葉だけは伝えられていても、あまり映像としては知られていないことですもんね。

だから歓迎!みなさんも日本に来たら是非見てくださいねーっ。

シエラレオネ人たちは、「もう平和なのに、悪いイメージが払拭されない!」って不満言っているみたいだけれど。

 

ところで、さすがにシエラレオネ在住のマニアックな人たちの批評は面白いです。

今回、職場の人たちと観てたのですが・・・

 

「シエラレオネなのに、朝陽が昇る分けないよね。ここで撮ってないのバレバレ」(実際撮影はモザンビーク辺りらしい)

「フリータウンの街並みがぜんぜん雰囲気違うよね。建物が綺麗すぎ」

 

・・・普通の人は気にしませんから、そんなこと!

 

ちなみに今は映画みたいな市内銃撃戦も、少年兵の誘拐、トレーニングもありませんので。

至って平和ですのでそこのところご了承を!


レバノン人万歳

2007年01月22日 | sierra leone

なかなか更新できていませんが・・・

私、めちゃ元気です!

 

お仕事の内容は、ルワンダのときと似ているところがかなりあるし、昔の知り合いがいるから物事がスムーズ!

あとネット環境もここはルワンダと違って整っているのです。

インターネットと、携帯電話は、レバノン商人たちがかなり快適なコミュニケーション環境を提供してくれています。全然フラストレーション溜まらないのは、ネットがいつもつながっているからだと思います。

ルワンダのときはそれで「んぎゃーーーーー!!!もぉーーーー!!!」って鼻息荒くなってましたもの。オホホ

今もファックスはつながりませんけど。

電気もないけどね。

ジェネレーターあるし。

水はちょこっとあるし。

 

しかしレバノン人ってすごい!

彼らがいなかったら、この国で仕事できないって言い切れます。

このちっちゃな国だけで、9000人くらいいるらしいけど、快適なサービスを提供してくれています。

中国人パワーもかなり高まってきているようですが、中国商人の影響は、シエラレオネのちょっと裕福な人か、一般の人にかかってきているのだと思う。たとえば安い衣類とか、百円ショップみたいな質のものは、そういう人たちに重宝がられているらしい。

レバノン人は、外国人の金持ち対象のビジネスが多いのです。旅行会社や、ちょっと良さげなレストランはレバノン人経営。ホテルや高級アパートも。

デマケができています。

本当は、シエラレオネ人に利益を与えたい。同じものを買うなら、レバノン人からじゃなくてシエラ人から・・・

でもね、最低限、充足していなければならないことがある。でなきゃ効率悪くて仕事にならないし、ストレス溜まるし!

というわけでレバノン人と仲良くしている私は、美しいプライベートビーチの恩恵にも肖り、今週もエネルギー充電完了(←去年から充電しすぎ?)

 

しかしあまりやりすぎるとびっくりされちゃうみたいなので

(ルワンダのときは”ブルドーザー”って言われたことがあるこの私。こんなにのんびり、おしとやかに仕事しているのに・・・

ぼちぼち行きまぁす

隣国ギニアの情勢が ちと不安です。。。


ハマターンと汚職、ときどき海。

2007年01月17日 | sierra leone

ハマターンとは、この時期西アフリカ一体を覆う、サハラ砂漠からやってくる砂風のこと。

終わりかけのハマターンに包まれたシエラレオネに、2年ぶりに帰ってきました。

ハマターンが吹くと、視界は悪いけれど、気温が少し下がって過ごしやすい。

海辺だからものすごい湿気で、髪の毛バクハツしてますが!(>_<) エーン

 

建物も、人も、友達も、透き通った海も、子どもたちの愛くるしい笑顔も、ぜーんぜん変わってない。

首都フリータウンに中国人が増えて、中国のスーパーマーケットが新しくできたくらいかしら。変わったのは。

ああ、あと、フリータウンのある地区に街頭が灯ったってみんな大騒ぎしています

あまりにも発展がないのは、ちょっとがっかり。

後退している気さえする。

 

それは、健全なリーダーシップの欠如。バッド・ガバナンスのせい。

聞こえてくるのは、汚職や窃盗や、政府の悪態ばかり。

 「世銀のプロジェクトで水力発電ダム作ってたでしょ。あれ、まだできてないの。長~い配電管をごっそり盗んだ奴がいてね」

「○○のM局長、覚えてるでしょ。ナオコ、良く打ち合わせに通ってたもんね。あの人、公金をがっつり使い込んで、今イギリスに逃げているのよ」

「相変わらず電気がないから、省庁は誰も仕事していないよ。何かにつけてドナー(援助供与国)からお金を巻き上げようとしているばかり」

 

下々の者たちは、こんな国の状況に愛想を尽かしているけれど、だからといって改善を目指すわけでもない。

そのまま放置している。

人間の開発指標177ヶ国中 176番目なのも、頷ける。

最下位のニジェールには雨が降らないから、仕方ないのかもって思えるけれど、シエラレオネは資源に恵まれている。

悪いのは、ぜーんぶ、人。

計画的な自立発展ができない、自分のことしか考えない人たち。

誰かが「シエラレオネ人ほど怠け者の国はない」って言ってた。

 

この国には、明るい未来がない。希望がない。

さて私たち、どうすればいいんだろう?

 

・・・と嘆きつつ、仕事のことさえ考えなければ、この国サイコーです

週末の海で、ハッピーを充電。

久しぶりに会う友達も、ほんっとに温かくて、涙出そう。

やっぱりシエラレオネが大好き。

こんな感じでアフリカ復帰しました。


★The Refugee All Stars★

2006年07月21日 | sierra leone
驚いた

難民映画上映会が昨日から始まったのだけど
怒涛の観客で
会場に入れない人が出るほどだった
(スウェーデン大使館の会場も狭かったのだけど)

日本人でも 難民に興味ある人 探せばけっこういるんだ

現場を知ってもらうには
こういう映画はいい
特にドキュメンタリー形式は
過剰なストーリー展開などがなくていい

昨日観に行った訳は
その映画が
私がアフリカの中でももっとも愛しいと思う国
シエラレオネの話だったから

ザ・レフュージー・オールスターズ
西アフリカの小国・シエラレオネで11年間の内戦の経験した難民が
隣国ギニアの難民キャンプでバンドを結成した話
 
大いに楽しんだ

もっとも現地に半年携わった私の楽しみ方はちょっと違う
フィルムはギニアの難民キャンプや周りの風景、フリータウン(シエラレオネの首都)の街を映していて
きっと一般の人には
「ほぇー こういうものなんだ」
と思わせるかもしれないけど
私は 風景にこの上ない懐かしさを感じたり
現地語「クリオ」の独特のノリに
にんまりしたり
懐かしくて懐かしくて
涙出そうになったり
嬉しくなった

この映画は シエラレオネ内戦の残酷なところを軽いタッチで描いていて
最低限触れているけども
決して落ち込むような暗さではない

実際 シエラ難民たちはこんな感じなのだ

拭い切れない暗い過去はみんなあるけれど
一生懸命忘れようと努力して
明るく生きている


思いがけず 音楽も良かった
レゲエな感じ
西アフリカ人は特にボブ・マーリーが好きだから
彼らも影響を受けているんだと勝手に想像する
フィルムの最初の頃(フィルムは3年間実生活を撮り続けたもの)は
ボーカルも酷かったが
だんだん上達していた

そして彼らは言うの

「僕ら難民はみんな辛い過去を持っている
そのトラウマを音楽で癒そう」

The Refugee All Starsのツアーは
ギニアの難民キャンプから 全米に移動した
今度日本でもフジ・ロック・フェスティバルで演奏する

そんなスターになった彼らをみたら
私 彼らと全然面識ないないけど
お母さんみたいな気持ちになって
きっと泣いちゃうだろう


注)写真は'04年シエラレオネでの私と道端の子どもたち 
アフリカの中でも、シエラレオネの子どもはほんとにかわいい!!

シエラレオネの海

2005年04月18日 | sierra leone
気が早いのですが
桜が終わったと思ったら海が見たくなった

シエラレオネの海 サイコーです
波が少なくて 白砂で
顔まで水に浸かるところで立っていても
つま先がくっきり見える

写真はフリータウン半島の南端のBure Townというビーチです
友人のプライベートビーチなの☆
フリータウン近郊には沢山ビーチがあって
週末は国連など援助関係者がうじゃうじゃいるけど
(他に娯楽がない)
ここが一番綺麗
その家族と友人は
毎週欠かさずそのビーチに行って
シェフも連れて行く
採ったばかりの旬の魚でビーチパーティ!
至福のひととき

そしてまた1週間頑張れる

西アフリカの中でもシエラの海は
抜群に綺麗なんだそうです
もう戦争は終わって安全だから
これから観光業が栄えるといいな

この島まで300mくらいかな?
泳いでいって 素もぐりした
綺麗な魚がちょーーーーーいっぱい!
スキューバダイビングはやったことがないけど
こんなカンジなんだな~って

黄色の魚が自分の周りの至近距離に沢山いて
一緒に泳いだ
一瞬 自分も魚になったような。。。

愛しい愛しい思い出です
 

シエラレオネだより2

2005年03月09日 | sierra leone
2004年10月の日記

まず、この間の飛行機の話の続き。
ある日、新聞を見ていたら、驚嘆の記事が!
「立ち往生の乗客200人がガーナ航空事務所を襲う」

ついに犠牲者は立ち上がりました。そりゃそうだ。2週間以上も飛行機が飛ばないのに、宿泊費等のなんの賠償もないどころか、ろくな情報もないのだから…。

でも彼らには悪いけど笑っちゃう!
「怒った客はガーナ航空の職員を数分間オフィスに軟禁した」だって。
あまりにもオモロイ記事なので、大切にスクラップしておきました。

さて、シエラレオネ。
私は現在、国際協力機構(JICA)で、3ヶ月という短期ですが、シエラレオネの調査・プロジェクト企画・立案といったお仕事をしています。

なぜシエラレオネ?
それは自分でもよくわかりません(笑)
10年間内戦してたから?
大学院で勉強したから?
世界一貧しい国のひとつと言われているから?
とにかくずっとシエラレオネで仕事がしたかった。
直感に従って、ここまで来てしまいました…

首都フリータウンに降り立つと、両手を切り落とされた少年たちが迎えてくれました。
いきなり目の当たりにする、戦争の傷跡。
戦争終結から2年半経った今も、街はぼろぼろ。ガーナが先進国に見えた。
道という道がぼこぼこ。
電気も微々たるものしか通ってなくて、夜はほぼ国全体が自家用発電機(ジェネレーター)かケロシン・ランプで明るさを保っている。
機能している信号は国中にひとつもない。

平均的なシエラレオネ人は、40歳まで生きられない。
100人に28人の赤ちゃんは5歳まで生きられない。

戦時中、RUF(反乱軍)は罪のない住民の四肢を切断するという残虐な手を使いました。
それは人々に恐怖を与えるだけでなく、一度味方に加わった者が再び農業のために戻らないようにとか、選挙をボイコットさせようとか、いろいろな意味があったらしいけど。
フリータウンには Amputee(切断された人)キャンプなんていうのもある!
社会福祉とは言え、そうやってデカデカと看板立てなくてもいいのにね。

少しカルチャーショックだったんですけど、みんな平気で「この子たちはRUF兵士によるレイプ被害者です」とか、「この子は元兵士です」とか、私に紹介してくれるのです。
そのたびに、「シーッ!聞こえるよ!」とあたふたしているのは私だけみたい。

内戦終盤、反乱軍RUFの基盤であったマケニという町で不思議な光景を見た。ぴかぴかのバイク(しかもHONDA)がやたらと多いのだ。こんなに貧しい国に新しいバイクなんて、何故?
聞くと、戦時中、反乱軍に参加すると、バイクが与えられたのだそうだ。
今ではその元兵士たちは、そのバイクを使ってタクシーの運ちゃんとなっている。
元兵士のバイクタクシーなんて、利用できるかしら。背中になんてつかまれるかしら!
そんな私に知り合いが笑った。
「今では元兵士もみんな、普通の若者なんだよ。身内を殺されたって、もう昔のことは忘れて、共存するしかないんだよ」

10代の女の子たちが、両親を殺されて、レイプされて、子どもができても、皆黙々と職業訓練校で識字やお裁縫を習っています。
こういう子たちは、どんな体験をしてきて、今はどんな想いで人生を送っているんだろう。
もうちょっと仲良くなったら、自然に話してくれるかなぁ。
そう思っていたら、ある人が言いました。
「この子たちは、過去を振り返らない。過去がない、未来もない、moment、momentを生きる人たち」

シエラの海は、今までに見たことがないくらい綺麗。
そんな海を見ていると、切なくなる今日この頃です。

まずは過去の日記を掲載。

2005年03月09日 | sierra leone
2004年9月

シエラレオネだより①

ご無沙汰しております。みなさま、お元気ですか?
シエラレオネという国にいます。聞いたことありますか?
西アフリカにある、世界で一番貧しいと言われている国です。(「貧しさ」をどうやって量るか、というと議論が長くなります)

シエラレオネでは11年間、それはそれは残酷な内戦をドンパチやっていました。2001年に終わって今は平和が訪れてようとしています。

今回はそんなシエラレオネのお話をいろいろとしたかったのですが、それよりもガーナへの帰路の旅が凄まじかったのでそちらに焦点を当てることにします。

私は2週間の滞在を終え、火曜日にガーナへ帰ることになっていました(拠点はガーナです)。しかし飛行機は前週金曜日から「エンジン・トラブル」で飛んでいなかった。不安になったけど、絶対自分の日は飛ぶのだ!と楽観していたおめでたい私でした。

月曜日、翌日の私の便が運航しないことが告げられました。やれやれ。では水曜日は飛ぶのかしら。

水曜日。13時発の飛行機を目指して、空港へ。空港行きの船は1時間半遅れたけど、こんなこともあろうかと早めに出ておいた。
途上国では気を長く持たないとやっていけません。
空港に着くと、チップ目当ての従業員がまとわりつく。
「自分でできるからほっといて」と冷たく一蹴。しつこい人が多いので現地人についつい冷たくなってしまう、そんな自分が嫌だ。
空港内のカフェで待つ。出発はどうせ遅くなるから、と持参のPCを開いて報告書なんて書いてしまう真面目な私。

15時。まぁ2時間遅れなんてよくあること。昼食がまだだったからサンドウィッチなどオーダーしてみる。
場内アナウンスが16時出発と告げる。でも信用してはいけないわ。きっともっと遅れるはず。

18時。案の定、まったく動く気配なし。報告書はすでに書き終えてしまった。
「今だけを生きる」、のんびり屋の私が少し先を考えるようになってきた。
今日はマジで飛ばないかも…。
もう首都のフリータウンに帰る交通手段は遮断されてしまった。こうなったら空港近くのホテルを確保しておかなければ…。

20時。とうとう搭乗手続き!わーい!このままだと夜遅くてもアクラ(ガーナ)には着く。やれやれ。
デブの金持ちアフリカ人の合間を縫って席に着く。
アフリカの飛行機ではよくあることだが、飛行機の岐路は直行ではない。いろんなところに寄りながら自分の目的で降りる。バスみたい。
前から乗っていた隣のおじさんはビル・クリントン元大統領の分厚い自伝を大事そうに読んでいるつまらない奴だ。だけどちょっと声をかけてやるか。

「どこから乗っているの?」
「アクラだよ」
へ?それって私の目的地です。
「え、この飛行機、これからどこに行くの?」
「バンジュール(ガンビア)、ダカール(セネガル)、コナクリ(ギニア)だよ」

はあああああ???
つまり、ガーナ行きが飛ばなくなった代わりに、これら3都市行きの便に私たちを詰め込み、最後にちょっと足を伸ばそうという魂胆だったのです。やれやれ、これじゃ着くのは朝か…。

1時間でガンビアの首都バンジュールに着いた。まさかガンビアに降り立つことになるとは。何人かの乗客が降りて、残された私たちは機内で次の目的地ダカールへの出発を待つ。

1時間ほど待ったところで機内アナウンスがあった。
「この機体は都合により離陸不可能になりました。手荷物を持って降りて下さい」。

はああああああああ???
よくわけがわからないまま、他の乗客と一緒にぞろぞろと空港に下り立つ。
「飛行機が飛ばないってことは、今日はどこに泊まるの?」
「ホテルに連れていってくれるらしいよ」。

大した説明もないまま、私たちはバンジュール市内に向かいました。
ガンビアというのは実はヨーロッパ人に人気の観光地なんです。
ホテルに向かう途中の家々があまりにも立派で驚きました。
こんなに発展したアフリカの国は見たことない…。

ホテルは超豪華。4ツ星くらい。まぁこれならちょっと許してやろうかな。
それにしても相変わらず情報はなさすぎです。
「明日の飛行機は何時に飛ぶの?」
「また明朝、連絡します。」
「はっきりしなさいよっ!」
とブーブー文句をいいながらも、皆、昼から何も食べていないので(機内食も出なかった)空腹で弱っていた私。すでに深夜0時。
「どこかに食べるところはないの?ルームサービスは?」
「もうサービスは終わっています」。
皆の怒りは爆発して廊下で騒いでいたけど、私は空腹で力も出ず、不貞寝することにした。

翌朝。朝食バイキングを皆でガツガツと食べる。
人間は空腹だとこうも行儀が悪くなるのか。
西アフリカの果物はものすごく甘くておいしい。
ガンビアでもマンゴ、パパイヤがサイコー。

ガーナ航空の担当者は料金を課されないようにチェックアウトの時間には私たちをホテルから出した。こういう時だけ素早い。

空港で待つこと4時間。ようやくガンビアを出た。
セネガル、ギニアを経由してアクラに戻ったのは22時。

アフリカ人は、飛行機が目的地に降り立つと拍手するクセがあるのです。
私はいつもはそんな彼らを見て、「飛行機なんて滅多に落ちないんだよ。ちゃんと着くんだからいちいち騒ぐなー」と馬鹿にしていましたが、今回の着陸で真っ先に拍手したのは、私でした。

そして「もうガーナ航空は一生利用しない」と心に誓うのでした。